「カスハラ」について思うこと

 職場でカスハラ対応を義務付ける改正法が成立しました。
 事業者に対し,従業員を保護すべき義務を課すこと自体は歓迎しますが,カスハラに対して,特別な立法をしければならない社会について,ややモヤモヤしたものを感じてしまいます。

 カスハラとは,顧客等(取引先の関係者を含む)の言動で,その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通上許容される範囲を超えたものにより就業環境が害されることと定義されています。具体例としては,土下座の強要などが挙げられています。

 ところで,労働基準監督署に勤務していた時,申告処理業務というものがありました。これについて誤解を恐れず言えば,その本質はクレーム対応ともいえるもので,相談者や会社の方から怒鳴りつけられるなど,ここでいうカスハラに当たるようなことは比較的しばしば経験したものです。
 だからというわけではありませんが,「うまくやってね」「我慢してね」と担当者個人にこれを押し付けて,その責任と犠牲でこれに対処させるのではなく,会社として,組織として,従業員をカスハラから守ることを義務づけたことについては大いに賛成します。

 ところで,一般的に,ハラスメントの発生する原因は優越的関係にあると考えられています。
 職場で起こるパワハラは,力関係の不対等な場面(上司と部下など)で生じることがよく知られていますし,あるいは,スポーツの世界で生じるパワハラについても,指導者と選手という立場がこれに当てはまることは明らかです。

 そうすると,カスハラは,顧客等から従業員に対する言動として定義されていることから分かるように,顧客の方が優越的な立場にあるということが前提にされているといえます。

 私の場合,ここにとてもモヤモヤしたものを感じます。
 要するに「客は神様か?」ということです。

 弁護士になるために司法試験の勉強をしていた頃,新聞配達をしていました(私にとっては,大学時代のアルバイト以来の民間勤務でした。)。
 その販売店の従業員の中には,客(購読者)に対して,かなり謙った態度で接することが見てとれる方がいました。
 そして,その様子は,「丁寧な客対応」の延長にあるというよりも,自分たちが顧客よりも劣った立場にあるともいえそうな雰囲気すら感じさせることがありました。

 しかし,それ以外の従業員や,販売店の所長と関わる中で,彼らは,「誰も新聞を販売してくれない」「配達してくれない」ということになれば,新聞を読むことはできなくなる,そのような立場で新聞を販売しているという考え方を有していることに触れる機会があり,毎日の新聞配達を行う中で,とても共感を覚えてました。

 もちろん,他の販売店と契約する,コンビニで購入するということで新聞を読むことができるというのはそうかもしれませんが,それらも拒まれた時,どうしたら良いでしょうか。例えとして極端すぎますが,単純に,販売・配達してくれる方(売主)がいなければ,それを購読することができないというのは何も特別な結果ではないはずです。

 他にも,新聞に限らず,小売店や飲食店の店舗への出入りが禁止となることは,特定の方に限られたことではありません。カスハラに及べば,当然,そのような対応をされることはこれまでにもあったはずです。
 そこには,客も従業員も,経済活動というフィールドにおいては対等な立場であって,金銭を支払うことと,商品・サービスを提供するという双方の約束により形成される対等な関係によりこれらが成り立っているという考えがあるはずです。

 つまり,そこには優越的な関係は,本来,存在しないはずです。

 このような認識を国民(従業員と顧客等の双方)が有していれば,カスハラのようなことには至らないはずですが,もちろん,客がいなければ商売は成り立ちません。
 私だってそうです。
 現実はそんなにうまくいかないことは知っていますし,難しい依頼者の対応もしなければならないときもあります。
 しかし,つい先日,電話口で「お前バカか」といわれましたが,その方に尋ねるとそれでも「相談をお願いしたい」というため,丁重にお断りしたことがありました。
 このような対応ができるのは「弁護士だから特別だ」と誤解されてしまうと残念ですが,少なくとも,客は神様ではないはずです。

 この国(諸外国でもそうかもしれません)では,客が優越的な地位にあるという暗黙の了解が根底にあるのだろうと思います。昔の歌謡曲にそんな歌詞があったように記憶しています。
 そして,立法がされなければそのような関係が理不尽であるということについてすら考えが及ばないほど,そのことが当然とされているのではないだろうかと思うと,やはり,モヤモヤしたものを感じてなりません。