あまりにも無関心すぎませんか?

 お金の支払いを求める仕事の中で,依頼者の相手が自殺したことが過去に2回ありました。当然,私の弁護活動が,相手にとって負担であったのは事実だと思います。

 そうであっても,依頼者側の立場で,正当な権利行使として弁護活動を行なった以上,それについて責任を問われることはありません。
 そのため,相手方が自殺したことを聞いたとき,依頼者との関係があるため,「そうですか」「相続放棄するかどうかですね」と淡々と対応したものでした。

 しかし,内心は複雑です。

 個人的な考えではありますが,自殺は自己決定で行うものであるとの認識から,本人の決定については尊重したいと考えています。つまり,死者に対して,自殺したこと自体を非難することはしないということです。

 しかし,他方で,そのような自己決定をさせるに至らせてしまったそれ以外の者として,何らかの責任を感じるべきだし,そうなるのが自然ではないかと考えています。関係者という意味でもそうですし,同じ社会の構成員という広い意味でもそうです。

 もちろん,私の場合,依頼者の相手方ですから,直接,破産を勧めるようなことはできません。
 しかし,弁護士という社会的な立場にある身としては,自殺を回避する手段になりうるものとして,そのような方法(破産)の存在が社会的に周知されていないということについて,ある種の責任を感じざるを得ません。

 少なくとも,人が亡くなったことについて,無関心ではいられません。

 では,政治家である立花氏,斎藤氏,石丸氏はどうか?

 個人の住所をSNS上に晒す,無関係な情報をリークする(よう指示する),過激な言葉で個人を非難することで,結果としてその対象となった方々が自ら死を選ぶ事態に至っています。
 もちろん,その間に介在した事情(支持者が押し寄せる,嫌がらせの電話が鳴るなど)があり,直接的な因果関係がないといえばそうではありますし,法的な責任がないといえばそうでしょう。
 しかし,自己の行為とは全く無関係であると言わんばかりの発言や態度を見ると,そこまで割り切ってしまえることなのかと,政治家としての資質以前に,人として問題があるのではと,疑問を感じずにいられません。

 あまりにも無関心すぎませんか?
 それとも,サイコパスなんですか?

 私の個人的な経験ですが,23歳の頃,就職活動として官庁訪問を行なった際,ある役所の方から「まだ人は死んでませんから」と言われたことがあります。
 これは,その当時,ダイオキシンが各種メディアで取り上げられ,社会的な問題とされていたことに対しての発言でした。

 しかし,この発言は,人命に関わるものではないため,それよりも優先される問題(例えば,農薬など)があるということを意味するものでした。
 このことを反対に言えば,人が亡くなるというのは,行政としても,その問題の有する危険性が一線を超えることを意味するということです。

 例えば,労働行政であれば,労働災害のうち,死亡災害が発生すれば,必ず原因の調査が行われ,多くの場合,刑事罰を課すための捜査も着手されることになります。
 行政においても,それだけ人命が失われることが重大であると認識されているということです。

 私の携帯電話のメールには,いまだに「あなたの携帯電話の番号が公衆トイレに落書きされていました。心配になり連絡しました」という迷惑メールが届くことがありますが,他人の個人情報を晒しものにすることに,どのような意味があるかは分かりますよね?
 そして,そうすることで,どのようなことが起こるのか,想像できませんか?

 職務中にプライベートなことをすれば,職務上の問題にはなるとしても,それによって自己の行為(告発・公益通報の対象となった行為)に対する批判や責任が軽減され,正当化されるという関係にはありませんよね?
 それとこれとは別問題だと理解し得るだけの知性を有している方の行為であることからすれば,別の目的があってそうしたということですよね?

 大勢の前で「恥を知れ」と怒鳴るのは,職場であればパワハラです。
 公人(議員)に対する発言であることを理由にパワハラにならないとしても,あなたが指摘した事実を建設的に解決しようという目的でそのような発言に及んだわけではありませんよね。
 ただ,自己の感情を満たす,あるいは他の目的(再生数を上げる)のためにそのような手段を使ったんですよね?

 たとえ民意によるものではあるとしても,私は,彼らに公的な地位を与えることについて,疑問を禁じ得ません。