大臣の取った態度の意味

 少し前に,総理の特使として派遣された大臣が,アメリカ大統領から渡された帽子を被ったり,自らを「格下」と述べて大統領を持ち上げるようなコメントをしていました。

 このことについてどう考えるべきでしょうか?

 国内のメディアでは,それに対する国会議員等の意見として「毅然」とした対応を求めるというものがいくつも紹介されていました。その大臣の態度が,米国に対して遜った,対等でないもののように理解されたのだと思います。
 その時,確かに,私自身も,その大臣の態度について,あまりにも謙りすぎているように感じたことは事実です。

 役所にいた時,とある議題について,いくつかの関係する省庁から職員が参加して会議をすることがありました。
 その際には,格下の省庁と見られないため,その会議の責任を負わされないためという観点で,どの役職者が参加するのかを慎重に検討することがありました(課長代理で済むところを課長本人が参加する必要はないということです。)。

 そのため,上記の大臣については,総理大臣との会談でもないにも関わらず,あえて大統領が参加したことを逆手にとって,日本の立場を有利にしうるだけの機転のある対応が期待されたのではないかと思ったところです。
 そう考えると,「毅然に」という意見が出されるのも自然だと思われます。

 しかし,とある雑誌では,その大臣の対応を肯定的に評価するコメントを掲載し,「毅然に」などと注文をつける政治家に対して,状況や戦略の理解が欠けているとのコメントを寄せていました。
 どういうことかというと,大統領を持ち上げて,機嫌を良くし,その本音を喋らせて真意を探るという戦略がそこにあったということです。
 だから,大統領のサイン入りの帽子を被り,大統領を持ち上げるような発言に終始した大臣の対応は,そのような戦略に基づいてなされたものだったというのです。

 確かに,報道を見る限りでは,それ以後,上記の大臣が数回渡米して交渉を継続していますが,アメリカの強い要望に対して,何か譲歩したという状況にはなっていないと思います。
 現時点でも,アメリカの一方的な決定に対し,全面的な見直しを継続して求めているようで,確かに,帽子をかぶって陽気な表情を見せたことが,ただただご機嫌どりをしただけではなかったという解釈が当たっているようにも思えます。

 仕事柄,程度の差はあれ,交渉ごとが多い立場として,とても勉強になりました。