天災のたびに思うこと

 少し前ですが,夜中,豊後水道を震源地とする地震が発生しました。

 私の自宅も大きな揺れを感じましたが,翌日の新聞を見ると,自宅のあたりは震度3だったようです。
 年始の能登の地震と被害は現在も回復されていませんが,今回の地震でも,ここ(自宅)よりも震源地に近い場所では,より大きな揺れを感じ実際に被害も出たのではないかと思います。

 このような地球規模の天災とも呼べる自然現象に触れ,それから生じる力の大きさを改めて認識するたびに改めて思い知らされることがあります。

 それは,人間・人類の存在がいかに小さなものであるかということです。
 そして,それと同時に,人間同士の争いにより,お互いの命を奪い合うことがいかに愚かであるかということです。

 他方で,この時は,こんなことも考えました。

 戦争等で他人の命を奪うことに抵抗のない方たちからすれば,そうすることが当然の帰結,考え方なのかもしれないということです。
 つまり,人類として,自然の力に抗えないのであれば,せめて,人類の中においては,他人の命を奪ってでも,自らの意に沿うように他者に強いることで,人類の中での相対的な優位性を手に入れることも当然だと考えうるということです。

 職業柄,あるいは,これまで生きてきたことで,他者の存在や自分と異なる考え方があることに寛容でなければならないと考えることがある程度はできるようになってきたつもりです。
 そのため,戦争や紛争を積極的に支持する人たちが,上記のようなことまでは考えていないかもしれませんが,後者のような考えも,一応の理屈があるように考えられるかもしれません。

 しかし,人類が,いずれの考え方を取り,どう行動すべきか。

 中東,アフリカ,ウクライナの戦争(紛争)に,あるいは,台湾海峡の緊張感に,心が休まることがありません。