教育勅語と親孝行と私の考え

 一部の方々において,教育勅語は良いものだという意見があるようです.
 しかし,私は反対です.

 まず,教育勅語とは,明治神宮のHP(https://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.php)に「日本人にとって何が『大切なこと』なのかしを示された手本」と題して説明がされています.
 内容は別にして,明治天皇が発布したものです(上記HPでは「渙発された」と表現されています.).

 その内容は,親子関係(親孝行)のこと),兄弟のこと,夫婦仲のことなどが含まれています.また,当然ながら,国に対する態度(愛国心など)も含まれています.

 一見すれば,悪いことは書かれていないようにも思えます.
 しかし,教育勅語は,当時,国を統治する最高権力者たる天皇が,自らの支配する「国民(臣民)」の在り方を示したものである以上,国(国民)を支配するための手段という性格を拭い去ることはできません.
 そうであれば,内容がどのようなものであったとしても,「個人」が尊重されるべきとの私の考えからすれば,反対という立場にならざるを得ません.

 では,その内容についてはどうでしょうか.

 この点,教育勅語を良いものだという意見を有する方々の多くは,親孝行などを推奨するという内容を理由に,そのような意見を有するものと思われます.
 しかし,私の考えからすれば,これについてもとても危険な価値観を孕んでいるのではないかと思っています.その理由は,親孝行が推奨されるべきことかということに疑問を感じるからです(以下では,親孝行についてのみ述べていきます.).

 「親孝行」それ自体を否定する気はありません.しかし,そのような概念(考え方)が自分の外側に存在し,一定の価値(要するに,世の中で推奨されるべきことだという評価)を手にするに至った途端,そのような考えに到底至ることのできない方々にとっては,激しいほどの鋭さを持って痛みを与える恐れがあります.

 刑法が改正され,監護者による強制性交(刑法179条)が犯罪として明記されたように,親から喰い物とされてしまった子からすれば,そのようなことが安易に言えないことは容易に想像ができると思います.
 暴力の対象とされ,搾取の対象とされ,あるいはネグレクトなどの虐待を受け育った子らが,「血縁」という,自分では選ぶことのできな関係が存在することを理由に,無条件で「親孝行」を強いられるのは正義といえるのでしょうか.

 社会における大多数の中で,一定の価値観が幅を利かせて世の中に浸透する中で,それにより感じる痛みに対して声を上げることもできず,耐え忍んで生きている方は確実に存在します.

 誤解のないように繰り返しますが,私自身,「親孝行」を行うこと,それ自体を否定する気はありません.しかし,そのことを絶対的な意味で「人として行うべきこと」と評価する価値観が所与のものとされ,しかも,国の統治者・権力者から規範として示されることを肯定することは,やはり,私にはできません.

 ですから,教育勅語には反対です.

 なお,最後に,そんな私でも,親に対する感謝は必要だと思っています.
 それは,この世に生を与えてくれたということだけは,絶対的に否定することができないからです.
 そして,感謝の気持ちは,「孝行」という形だけでなく,それ以外の行動として示すことは可能なはずです.
 ですから,親に対する感謝を忘れなければ,親孝行はしなくていいと思っていますし,自分以外の誰かから強要されるべきものではないと思います.
 私自身,子供に対して親孝行をしてほしいとは思いませんし,絶対に求めることはしません.むしろ,人としての強さを身につけ,私(親)から自由になって生きてくれることを願っています.そうしてくれることが,私に対する一番の感謝の示し方だと思っています.