検事と弁護士の違い

 検事と弁護士の違いは何か.
 それは,「自分も被疑者・被告人になる(なった)かもしれない」という考えを有しているかどうかだと思います.
 もちろん,弁護士全員がそう考えているとは思いませんし,検事の中にもそんな考えを有する方もいるかもしれません.また,裁判官についても,検事と同様のことが当てはまるだろうと思われる方が多く存在するはずです.
 日頃の業務の中で,検事や裁判官の言動に触れるにつき,このようなことを強く感じることが多くありますが,「自分が反対の立場だったら」ということを想像し,他者に対する態度に配慮することって大事ではないでしょうか.

 新聞の報道で,岸田(元)首相襲撃事件の被疑者に対し,「引きこもり」「替えがきく」などと述べて取り調べ中に検事が侮辱したことが記事として掲載されまし.これ以前には,被疑者に対して「ガキ」「嘘つきやすい体質」「検察なめんな」と怒鳴るなどした事例も報道されました.

 子供の頃,タイトルは忘れましたが,とある刑事ドラマの中で,刑事役の方のセリフに「疑うことが刑事の仕事ではない,信じることだ」というものがありましたが,あれは実務では嘘です.ドラマだけのことです.
 実際,弁護人となり被疑者に警察署で面会した際に,「警察は味方だと思っていたのに何を言っても信じてくれない」と困り果てた様子で,アクリル板越しに訴える方を何人も見てきました.

 そもそも,警察も検察も,被疑者・被告人を犯人にして有罪とすることで自らの評価が上がる職業です.「逮捕したところ犯人ではないと判断したので釈放します」「起訴しましたが弁護人の主張を踏まえると無罪と判断し訴えを取り下げます」では,彼らはなぜ逮捕したのか起訴したのか責任を問われかねません.
 だからどうするか?
 自白させて,罪を認めさせて,被疑者・被告人に責任を負わせ,警察,検察の対応に問題はなかったという事実を築きたいということを考えるようになるはずです(弁護人として,被疑者に対してこのような説明をすると,すごく納得してもらえることがよくあります.).

 そうすると,捜査においては,公正に事実関係を調べて判断するという考え方は後退し,責任を負わせる方向,疑う方向でしか取り調べが行われないことになります.
 このことは,被疑者・被告人が犯人であり有罪であるという先入観という以上に,犯人であり有罪でなければならないという確信犯的なものであり,その時の検事の対応は,被疑者・被告人の地位を当然のように下に見ることになるはずですし,検事の描くストーリーを否定されれば,そのような態度を不当・不誠実だと感じ,彼らを侮辱することについての問題性も感じないはずです.

 また,これと同様に,刑事裁判官の中には,被告人に対して,非常に丁寧に接する方もいますが,反対に,命令口調で訴訟指揮を行い「座りなさい」「聞いていなさい」という方もいます.日本における刑事裁判の有罪率の高さが大きく影響しているからですが,これも,被告人が有罪であるとの先入観ないし確信犯的な認識に基づくものだと思います.
 法廷に入廷する際に,手錠腰縄をつけられていることや,有罪の判決が言い渡される前から,証言台の前に立たされたままで手続きを進めることも当然と考え,このことについて疑問も感じないのは,そのような認識に基づくと思われます.

 しかし,仮に,被疑者・被告人が犯人であり有罪であるとしても,それは,その限りで不利益(刑罰)を科されるということしか許容されるべきことではないはずですし,これを理由に,検事から受ける侮辱的言辞が正当化されることはありません.
 犯人だから,有罪だから人としての尊厳を侵害されても文句は言えないということにはならないはずです.法廷での公判手続きは,被告人を辱めるための手続きではないはずです.
 そしてこのことは,仮に検事や裁判官が被疑者・被告人となった時にも,同様に,人としての尊厳を脅かすような取調べや裁判手続きが行われてはならないことを意味するはずです.つまり,誰が被疑者・被告人になったとしても,人としての尊厳を有するものとして扱われることが保障されなければならないということです.

 自動車を運転する方,あるいはしたことのある方の多くは「無事故無違反」という言葉を口にする,あるいは聞いたことがあるかと思いますが,実際は,「検挙されたことがない」というだけで,法違反をしていないとは言い切れないはずです.
 そのような意味だけでなく,私自身のこれまでの人生を振り返ってみても,もしかすると逮捕されたかもしれない,あるいは,そのようなことを行なったかもしれないということは数え切れないほどあります.
 自分がこれまで逮捕されることなく,刑事裁判の被告人として証言台に立つことなく人生を生きてこれたことは「運が良かった」というのがいちばんの理由だと思っています.品方公正な生き方をしてきたからではありません.また,この先の人生ではどうなるかはわかりません.

 そしてこのことは,検事にも裁判官にも当てはまるはずです.
 そうであれば,目の前の被疑者・被告人を見て,自分もそうなるかもしれないということを少しでも想像することができれば,彼らに対し,侮辱的な言葉をかけ,あるいは有罪を前提に命令口調で訴訟指揮を行い辱めを受けさせるということのないように,相当な配慮を払うことができるはずです.

 「自分が反対の立場だったら」ということを想像し,他者に対する対応や態度に配慮することって,やっぱり大事ではないでしょうか.自分がその立場になって気づいてからでは遅いです(まして,法律上,そのような取り調べが認められているとは到底解されません.).
 特に,検察に対してはそう思います.