「みんなが正しいと言いはじめたら、一回はそれを疑ってみること。一度だけでいいから左を見てみること。(永田和宏)」
これは,本日の朝日新聞の「折々のことば」に取り上げられたものです。
自分以外の大勢の意見が一致した時,それに対して何の疑問も持たないことは,そのことを「正しい」と信じてそれに賛成したというよりも,「無関心」なんだろうと思います。
上の言葉は「反対せよ」とは言っていません。
「疑ってみること」が必要だと言っているものです。
賛成するとしても,本当にそれで良いのか,問題はないのかを自分なりに考え,そして,「正しい」と信じることができるのであれば,「賛成」で良いと思います.
しかし,そのプロセスを抜きに,みんなの「正しさ」に賛成することは,本当の意味で賛成しているのではなく,考えること,疑うことを放棄した「無関心」でしかありません.
そしてそのことは,「みんなが正しい」という意見を通すことにより痛みを押し付けられる人(不利益に扱われる人)がいる場合,その「痛み」に対して無関心であることを意味します.
ここ数日,そのようなことを考えさせられる相談が寄せられたこともあり,上記の新聞で取り上げられた言葉が,とても大事なものと思えたところです.