昔,どなたかの言葉で「都知事選はお祭りだ」と述べていたものがあったように記憶しています.以下のとおり,この言葉は,民主主義のもとで,人々が政治的表現の自由を妨げられないことの重要性を意味していたのだと,今更ながらに思い出し,理解するに至りました.
少し時間が経ちましたが,今年の東京都知事選で,候補者の掲示板に,ほぼ全裸の女性の写真が掲載されたことや,候補者の動画に誘引するポスターの掲示などが問題となりました.
このようなことを聞けば,掲示する写真の内容について規制すべきだという考えに至りそうです.こんな私も,最初は,掲示板の使用方法に疑問を感じはしましたし,規制もやむを得ないかとも考えました.偶々東京に出張があり,実物も拝見する機会もありました.
しかし,香港の警察からの弾圧を恐れ日本に亡命した方が,この掲示板を見た時に発した言葉に触れ,規制すべきではないとの考えに至りました.
その言葉とは,「日本は自由な国だ」というものです.
まず,亡命された方ではなく,これについて,内容を規制すべきではないという学者の意見から紹介します.
8月8日の朝刊に,憲法(ここでは,政治的表現の自由)と民主制の観点から掲載されました.その意見は,内容を規制するのではなく別の方法を取るべきだというものでした.
具体的には,どのようなことであっても,政治的な言論は保障されるべきであり,その内容を理由に法的な責任は問われないものとし,その代わり,候補者としての一定の資格を設ければ良い,そして,主張に対する判断は当落で決せられれば良いというものでした.
その理由は,社会にある問題を提起し,政治的な解決の必要性を訴えようとすれば,他人にとって不快とも言える表現を用いなければならない場合もあるからだということです.
例えば,戦争や紛争というものに関する主張を行おうとすれば,その悲惨さを伝えるために,被害の状況を伝えるべく写真を掲示することも許容されるべきだということです.動物虐待を問題にしようと思えば,虐待された動物の写真を持って訴えを行うことも当然です.さらに,国が行ってきた強制不妊手術やハンセン病者の隔離などは,まさに,そのような類の表現となるでしょうし,しかし,それらが許容されるべきだと言われれば納得できると思われます.
そのため,性風俗産業で働く方の社会的な保護の在り方などを訴えようとすれば,冒頭のほぼ全裸の女性の写真を掲載するようなこともあり得るかと思いますが,それが政治的意見である限りは許容されるべきです.
仮にそれが泡沫候補者と呼ばれるような方々によるものであっても,多くの国民が関心を示さない,気づくことのない社会の闇を照らし,その問題を社会に訴え政治により解決したいと思い行動することは,民主制において崇高な行為であるとともに,表現の自由として最大限保障されなければなりません.大多数の方から見れば「こんなことを」と思われるようなことほど,保障されるべきとも言えます.
そして,そのようなことが許容されることこそが,民主制における自由が保障されることの表れだと思えます.香港から亡命された方の言葉には非常に重いものを感じるとともに,それとは別に,昔聞いた「都知事選はお祭りだ」との言葉を思い出し,その言葉に愛おしさすら感じました.
今後,選挙で候補者の掲示板を見るたびに,私の住むこの国が,自由な国であることを確認できる,そんな日本であり続けることを願って止みません.