先日,自宅で,子ども(2番目の子)に対し,
「最近ね,『結婚するんじゃなかった』って思うことがよくあるんだよね」
と話したところ,その子は
「うん,うん,」「わかる,わかる」
と頷いてくれました.
このようなことを言うと,「子どもの前で」とか思われるかもしれません.
しかし,注意して欲しいのは,「結婚するんじゃなかった」と言った意味は,決して,相手(配偶者・子どもの母親)を間違ったという意味ではありません.
「結婚」という制度を利用して,今の夫婦,親子及び家族関係を築くことを安易に選ぶべきではなかったという意味です.
法律の規定する「結婚(婚姻)」という制度を使わなくとも,今の配偶者とともに暮らし,子どもを設けて(授かって),親子として監護・養育することはできるはずです.
確かに,「結婚」というシステムを用いることで,配偶者控除などの税制や社会保障において優遇される側面はあるかもしれませんが,所詮,どのような法制度を採用するかの問題でしかありません.
また,「結婚」することにより,社会的な信用のようなものを他人から受けられる場面があることは否定しませんが,そうしなければ実現できないことって,それほどないはずですし,さらに,その場合に得られる社会的な信用といっても,それほど深い意味の伴うものでもないはずです.
そのようなことを考える中で,先日の新聞に「結婚って,基本的に子どもがすること」という言葉を見つけて,思わず唸ってしまいました.
私においても,結局のところ,思慮浅はかな「子ども」として,よく考えて「結婚」という制度を利用したわけではないということです.
だから,安易に,選ぶべきではなかったという意味です.
ところで,(選択的)夫婦別姓に反対する立場から家族の「一体性」という言葉を聞くことがあります.
しかし,家族に「一体性」があると,何か良いことがあるかというと,特にそういう具体的な効果が生じるわけではなく,実際にあるのかないのかわからない,単なる観念的なものに過ぎないと思います.むしろ,反対に,悪い意味で,「家族」という観念に縛られてしまうことの方が多いのではないかと思います.
そもそも,法律上,離婚することも認められていますし,結婚しなければ子を産み育てることができないわけでもありません.
シングルファザー,シングルマザー,あるいは事実婚を選んだ方,さらには離婚するに至った方は,家族の「一体性」を得ることのできない,あるいはそれを失った社会的に劣った地位にあるということになるんでしょうか.
さらに,親子においても,血縁があるのかないのか,仮にそれがあったとしてどれだけの効果が伴うかというと,観念的なものでしかないはずです.
生物学的にDNAの型が一致するといっても,目で見てそれを確かめることはできませんし,容貌が似ているかどうかも,多くの場合,その人の感性によらなければならないはずです.
むしろ,親子や家族であることは,親子や家族として過ごした時間と,その時間をどのように過ごしたかによって,その結びつきを強く感じたり,あるいは,反対に,逃れられない呪いのように感じることにもなるのであって,決して,「結婚」という制度を用いて夫婦及び親子で「同姓」を名乗ることによって生まれるものではないはずです.
とある裁判例(2009年12月21日東京高裁判決)では,養育した子が実子ではなかったことが判明した事案において「一郎(注:子)を一人の人間として育て上げたのであり,その過程では経済的費用の負担やその他親としての様々な悩みや苦労を抱えながらも,これらのいわば対価として,一郎が誕生し乳幼児期,児童期,少年から大人への入り口へと育っていく過程に子を愛しみ監護し養育する者として関わりながら,その成長の日々に金銭には代えられない無上の喜びや感動を一郎から与えられたことは否定できるものではあるまい」と述べられています.
他にも,「佐藤」姓の人口が日本では最も多いようですが,国民のうち,佐藤さんは,同じ「佐藤」姓の方に出会うと,ルーツがどこかで一緒だとかいって,親近感や一体感を感じることがあるんでしょうか?
私もそうですが,私の子どもも,このようなことに非常に敏感です.
そのため,結婚を選ぶとしても,オプションがある中で選べるようにすべきではないでしょうか.選択的夫婦別姓制度を採用しない理由はないように思います.