給付?減税?それでいいのか・・・

私のことですが,資産を管理・運用する能力に非常に乏しいと感じています.

「それなら弁護士できていないだろう」と思われるかもしれませんが,弁護士に必要な能力とは別問題で,管理能力に乏しいという自覚があります.
 先日,とある会社の社長と話をした際にそのような話題になりました.

 その社長は,いわゆる中小企業の社長で,従業員数の規模からして,細かいところは除きますが,ちょうど,社長自身が会社の全体(資産,契約,従業員等)の管理・運用をほぼ行っているような印象で,話をすると,数十年先を見据えた話題がところどころで出てきます.
 そのような姿を見るにつれ,「ちょっと私には無理ですね」という私の発言から始まったものです.

 もちろん,私にも,弁護士をしていくだけの一応の能力はあります(あるはずです)ので,「管理能力」が全くないわけではないと思います.
 しかし,弁護士の能力は,過去の出来事の清算が基本で,事件処理をするにあたり,それ自体が将来的に変動することはありません.

 それに対し,会社の人的・物的資産の管理・運用を行うことは,流動的な将来の状況を見据えながら行うことになるため,中長期的な視野のもとでそのための計画を立て,それを実行しなければなりません.
 見据えるべき対象は過去の出来事と異なり,範囲が特定されることはありませんし,外的な要因による影響にも常に気を払う必要があります.

 つまり,私にはそれができないということです.

 そのようなことを考えていたところ,ある作家さんが,日本人の資質について次のように指摘していました.

「抽象的な企画を立てることはできても,それを具体化して推進するための計画と管理運用のためのシステム設計ができない」(2025年7月3日朝日新聞 寄稿:高村薫).

 このことは,埼玉県で県道が陥没し,トラックの運転手の救出に3か月も要したことを切り口として語られたものでした.簡単に言えば,作るだけ作って,維持・管理・運用ができなかったことの具体例として挙げられたものでした.
 そして,これと同じことが,万博やマイナカード,行政のIT化など,税金をつぎ込みながら運用に失敗したものとして挙げていました.

 さて,話は変わって,参議院選挙です.
 各党の主張は,給付と減税の一色です.

 確かに,今を生き抜かなければ将来はありませんので,将来のことを考えすぎて国民が絶滅してしまっては大変です.
 私自身,物価高と弁護士の増加等に伴う収入減に苦しんでいますし,愛車(バイク)の排気量が大きくなったため,ガソリンの燃費が飛躍的に悪くなり,今までの倍以上のガソリン代を捻出する必要にも迫られていますので,給付や減税は歓迎するところではあります.

 しかし,それで本当にいいのだろうか?

 消費税をゼロにして良いのであれば,そもそも,3%から始まったものが10%まで上がることはなかったはずでしょうし,現金を給付をしたところで,それにより消費が喚起されるというものではないことは過去に学んだはずです.

 私自身,消費税自体には反対の立場ですが,それをゼロにするのであればそれに代わる財源・痛みを提示する必要があるでしょうし,現金給付が日々の生活を補助するという目的なのであれば,一過性のものでなく継続的な給付を行うための制度設計が必要じゃないでしょうか.

 国民が今を生きられることはとても大事なことではありますが,政治家においては,中長期的に,この国の制度を維持・管理・運用するための視点を有し,それを具体的に示し,そして実行することが必要であり期待されているのだと思っています.

 しかし,国会終盤での討論を含めた各党の主張を見るにつれ,「日本人の資質からすれば,それを期待するのはやはり,無理なんだろうか」と思いながらも,「いやいや,政治家を志そうという方々は,私のような管理・運用の能力に乏しい方々ばかりではないはずだ」と思いながら,ここ数日,各党の主張を眺めています.