⚫︎バイク免許取得
大学3年生の冬に,中型自動二輪の免許を取得しました.それ以来,私の人生にとってバイクは欠かせないものとなっています.
今でこそ,ロングツーリングに行くことはほとんどありませんが,大学4年生から社会人(公務員)となって間もない頃は,北は北海道から南は鹿児島の奄美大島まで(沖縄は時間切れでたどり着けませんでした)バイクでソロツーリングをすることが楽しくて楽しくてしょうがない時期でした.
大学生の頃というのは,多くの方が自動車の運転免許を取得する時期だと思います.
東京や神奈川には自動車教習所,いわゆる自動車学校はいくつかありましたが,私の知る限りでは,地方の教習所で行われる合宿に参加して,免許を取得する方が多かったように思います.
私も,自動車の運転免許を取得することについては,学生のうちにと考えていたのですが,東京にいると自動車を所有するという将来をイメージすることもできず,どうしようかと考えていました.
その頃に,バスケ部の同期がバイクの免許を取ると言い出したことから,それもいいなと思い,教習所に通い出したというのがきっかけでした.なお,バイクの免許を取ると言い出した同期は,結局はそうせずに,いまだに,「環境に悪い」といって,自動車の運転免許もとっていないようです.人生,どうなるかわからないものです.
⚫︎教習 = 壁に突っ込む → 「ブレーキかけてね」
教習は,順調に進んだかというと,結構失敗だらけで格好悪い方に入ると思います.
教習所初日は,センタースタンドを立てたまま、クラッチの操作をするという事だけでしたが,その際,教員の言っていることが何が何だかわからないまま,「クラッチ?」「ハンクラ?」と首を傾げながらも,一応,履修の証であるハンコだけもらうことができました.
しかし,それが災いし,その次の教習の時,初めてバイクに乗ったところ,その操作がわからず,ゆっくりでしたが,バイクに乗ったまま壁に真っ直ぐに突っ込むという大事をやらかしてしまいました.
教員は,大慌てで私に怪我がないことを確認した後,バイクに故障・異常がないかを確認し,その後,当たり前のことですが,落ち込む表情を見せる私に対し,
「ブレーキをかけて」
と言いました.当然ですね.
⚫︎乗ることもできなかった「一本橋」
その後は,順調というほど順調ではありませんでしたが,壁に突っ込むようなこともないまま教習が進み,ストレートに卒業する場合に比べて,1時間だけ余計に教習を受けました.しかし,それで終わるわけがありません.卒業検定でおっこちてしまいました.
バイクの教習や検定を受けたことがある方はご存知かと思いますが,一本橋と言う課題があります.練習の時は十分な時間をかけて渡りきることができたんですが,検定当日は慎重になりすぎたあまり,一本橋に乗ろうとしたところ乗り切れずに脱輪してしまいました.その場で試験終了です.
一本橋の途中で脱輪するならともかく,たったあの数センチの傾斜を登りきれずに不合格ということが,私のキャラというか,生き様が出てしまったように思えて,複雑で惨めな気持ちで一杯でした.
ちなみに,その日卒業検定を受けた4人中,合格できなかったのは私だけで,その日のうちに,補講の申し込みをしました.
補講後は,無事に卒業検定を合格しましたが,普通の人であればストレートに合格するところを,追加教習,補講及び卒業検定の再受験という地味であるけれど,それだけに,かえって人には言いにくい苦い経験を経て,バイクライフがスタートすることとなりました.
⚫︎初めての「手付金」
大学2年生の頃に始めたアルバイトがいかに,待遇の良いお金の貯まるものであったかは別のところでお話ししましたが,お金をあまり使わなかったこともあり,運転免許取得費用とバイク購入費用として,その当時,約100万円をそれらの予算に当てることができました.
バイト先のすぐ近くに,結構コアなバイク屋があり,そこで初めてのバイクを注文しました.その時,初めて「手付金」というものの存在を知り,とりあえず,手付金として5万円を支払い,バイクを注文しました.
ここで「結構コア」と評したのは,そのお店が,売り物のバイクは一切展示していなかったからです.また,従業員が,バイクの整備もそうですが,それだけでなく,旋盤などの工作機械を使って部品を作ったりしているところだったからです.
その従業員さんから話を聞くと,「これだけのことができるバイク屋だから,仕事という意味では,他に行っても面白くない」と言って,そこを辞めた場合の転職先が見つからないと言っていたのを思い出します.
そして,納車の連絡を受け,いつもは自転車でバイク屋にいっていたところ,その日は徒歩で残金の50万円を懐に抱えてバイク屋へ向かいました.
弁護士となった今でもそうですが,10万円を超える現金を持って歩く機会はほとんどなく,その当時のひと月の生活費(家賃は別)が5万円にも満たない私にとって,たった15分ほどの距離がどれほどの緊張感を孕んでいたかはいうまでもありません.
⚫︎Suzuki推し
最初に購入したバイクは,赤い,Suzukiのバンディット250でした.教習で使用した400CCに比べれば非力な点は否めませんでしたが,初心者である私にとっては有り余るスペックだったことは疑いようはありませんでした.
また,車検が不要であること,排気量が小さい分軽量で扱いやすいこと,そして何より,デザインが,車体のフレームに存在感を持たせたデザインが,車体をスタイリッシュに見せる効果があるのだと思いますが,その全体のデザインがとても気に入りました.
「指名買い」ってことです.
また,この時から,私のSuzuki推しの人生もスタートしました.
⚫︎環八と羽田空港と「ピース」サイン
バイクを購入した最初の頃は,下宿先の近隣のガス橋や多摩川沿いでバイクに乗っていたのですが,時間があると,環八から羽田空港に向い,飛行機の離着陸を眺めながら,空港周辺を走っていました.東京都内の渋滞はバイクにとって過酷な環境が多いところでしたが,この辺りは,そのようなことに煩わされることなくバイクに乗ることができました.
大学生の頃に行ったロングツーリングは,バスケ部の合宿に行った2回だけでしたが,公務員試験の結果が出るのを待っていた時期に,ふと,「海に沈む夕日を見よう」と思い,新潟まで出発したのが,「旅」としての最初のロングツーリングとなりました.
その日,夕日を見ることができたかどうかは覚えていませんが,新潟で宿泊したのち,翌日は,山形に北上し,そこから宮城県の松島まで行き,真っ暗な太平洋を眺めながら将来のことをボーッと考えていました.
また,この時に,旅の途中でツーリング中のバイクとすれ違うと,お互いにピース等をすることが暗黙の了解となっていることを知りました.
初めてピースしてもらった時は,「?」となり「ああ,どうも」と会釈をしただけでしたが,それがなん度も続くため,私の方からも,ツーリング中のバイクとすれ違うたびにピースを送り,ソロツーリングではありますが,お互いの旅の無事を祈るという行為を楽しんでしました.
⚫︎初の野宿
労働基準監督官(公務員)としての採用が決まってからは,有明からフェリーに乗り,徳島を経由して北九州まで行き,そのことを実家に報告しに行きました.その帰りに広島,鳥取を経由して東京へ向かった途中,滋賀県の草津で人生初めての野宿を経験することになりました.
屋外で寝るには朝晩の冷え込みが厳しいのは承知の上で,コンビニでレジャーシートを購入し,カッパも含めて着込めるものを着込んで,駅の近くの広場の片隅をその日の寝床にしました.
本来,普通に宿を探せばよかったのですが,所持金に余裕がなかったということもあり,宿を探す前に日も落ちてしまったため,意を決して野宿をしようと決めたものでした.
バイクをとめ,その横の地面の上にレジャーシートを敷き,寝ようと横になっていたところ,さすがのドキドキ感ですぐには寝付けなかったところ,ようやく眠気が近づいてきたところで,何かの排気音が鳴り響き,現実に引き戻されました.
何事かと思い起き上がると,高校生?と思われるほどの男子3人が,50CCの原付と思われるバイクに乗り,近くの広場でドリフトの練習を始めました.
心の中で「やべえ」と思いながらも,「着手した以上完遂しなければならない」という意味不明な使命感から「うろたえてはいけない」と思い,何も気にならないそぶりで,再び横になりました.
どれぐらいの時間だったかは測っていませんが,その男子3人がドリフトの練習をやめる気配がないまま時間が過ぎ,それでも「こんな状況でも眠ってしまえば大丈夫だ」という意味不明な信念で我慢くらべをしていました.そうしたところ,何が始まったか,「パンッパンッ」という乾いた音が鳴ったため,「拳銃?」とは思いませんでしたが,音が鳴った方を見ると,その子たちが爆竹を鳴らしたものだと理解できました.
この時は,さすがに「モー無理」となり,レジャーシートをたたみ,バイクの荷造りを行い,行くあてもなく次の野宿の場所を探しにその場を後にしました.
その時,野宿をすること自体は良いとしても,「無計画すぎた」という反省から,国道を走り,一番近いインターから高速道路に進入し,パーキングエリアで一夜を明かしました.
コンクリートの地面は冷たかったですが,何台も並んだ自動販売機のおかげで,比較的暖かい場所で寝ることができました.また,不審者だと思われ通報されないよう,枕元にはヘルメットを置き「バイク乗りです」ということがわかるようにしておきました.
⚫︎大学の講義室は快適
男子高校生と思しき少年3人には負けてしまいましたが,無事に,野宿デビューを果たし,翌日は,高速道路も利用して,東京の下宿先に無事に辿り着きました.
それ以降,テント,寝袋,マットの3点セットを揃え(さすがにガスコンロを携帯して自炊まではしていませんが),何かにつけて,ロングツーリングに出かけました.夕食をとり,銭湯で1日の疲れをとった後,夜の道の駅に滑り込み,ベンチの上で寝泊まりし,翌日は,道の駅が稼働する前にそこを出ていくということを繰り返しながら旅を続けることが癖になってしまいました.
本当はキャンプ場に行くべきなんでしょうけれど,キャンプそれ自体に関心があったわけではなかったため,そのようなスタイルになってしまいました.
なお,寝床として最も安心して寝ることができたのは高速のパーキングエリアですが,それ以外には,道の駅だけでなく,国道沿いの閉店後のお店の軒先で寝ていたこともあります.
また,今ではどうか知りませんが,理工系の学部のある大学は,当時,24時間営業が当たり前でしたので,夜の講義室をお借りして寝床にしたこともありました.今思えば建造物侵入で検挙されてもおかしくなかったと思っていますので(誰にも迷惑かけていませんし,時効ということで許してください),お勧めすることはできませんが,当時はそんな旅を楽しんでいました.
⚫︎「勝てないなぁ」と思った強者2人
なお,私のことではありませんが,野宿をしながらのロングツーリングは,同じようなことを考えて旅をしている方々と出会い,情報交換をするようなこともよくありました.休学して北海道を目指している大学4年生や北海道でアルバイトをするにはハローワークではなく農協にいくと良いと教えてくれた旅の先輩など,なかなか興味深い方々と出会うことができました.
その中で,「勝てないなぁ」と思った方が二人いましたので紹介します.
一人は,岩手県で出会った20代前半の私よりも年下の方でした.
バイクのナンバーを見ると福岡でしたが,非常に軽装備で荷物の量は私の半分以下ほどしかなく,地図も持っている様子はありません.北海道を目指しているということでしたので,地図もなくどうやって来たのかを尋ねたところ,
「国道の標識を辿って来ました」
とのことでした.また,寝る時は,コンビニの裏で,ブルーシートにくるまって寝ているということで,軽装備である理由がよく理解できました.
もう一人は,会話をしたわけではありませんが,見かけた方です.
どこで見かけたかというと,宮城県か岩手県あたりだったと思いますが,国道4号線沿いを午前8時頃に北上しながら,信号待ちをしていたところ,交差点の先の方に,ピンクっぽい色をした塊が歩道の上に存在するのが目につきました.
信号を渡って近くまで行ったところで気づきました.寝袋にくるまって寝ている人だったんです.そのすぐ近くにバイクが停めてあり,自分と同じようなことをしている方だとは理解できましたが,その場所は,国道脇の歩道であり,その近くを高校生が自転車で通学しているような場所でしたので,それでも何の問題もなく寝ている様子を見て,野宿を始めたばかりの私は,「勝てねぇ」と心の中で思ったものでした.
⚫︎GSX-R125
公務員となり,霞が関に異動となってからは,司法試験を目指したことを含め様々な理由から宿泊の伴うロングツーリングには出かけることはできていませんし,弁護士となってからはバイクに乗る機会も減ってしまい,一度はバイク手放した時期もありました.
しかし,その時の心に空いた「穴」の存在感が大きすぎて,1年そこらのうちに,小さいですが,125CCの第2種原付バイク(Suzuki GS X -R125)を購入し今に至ります.近場の同じルートですが,主に早朝の時間帯に,毎週のように1時間ほどのツーリングを楽しんでいます.
ちなみに,最近のマイブームは,早朝の太宰府天満宮に行き,自分だけの撮影スポットを探してバイクの写真を撮ることです.バイクを押しながら,太宰府天満宮の敷地内をうろうろしているやつを見かけたら,私だと思って間違いないと思います.
⚫︎オフ車=「自転車に初めて乗れた時」
ロングツーリング以外では,2代目に乗り換えたバイクが旅バイクでありオフロード車だったこともあり,未舗装路をバイクで走る楽しみに目覚めた時期があります.
特に,その時期が,福井で労働基準監督官をしていた頃でしたので,少し走れば河原の石がゴロゴロした場所や,山の中の林道,バイクの入っていける浅い川などの場所がたくさん存在しました.
また,雪が降ると基本はバイクに乗れないのですが,雪上で走れそうな場所を見つけては,何度も転倒しながら走ったこともありました.
その頃よく見ていたバイク雑誌に,オフロードバイクに初めて乗る感覚が「自転車に初めて乗れた時」の感覚のようだと書いていることがありましたが,まさにその感覚そのものでした.病みつきです.
⚫︎「なんちゃって」オフローダーと「九死に一生の出来事」
ただ,本格的にオフロードバイクで遊ぶ方々は,本当に気合の入った方が多く,危険が伴うことやバイクで自走ができなくなることがすぐに起こるため,複数人で,それなりの装備のもとで行うことがほとんどです.
それに対して,私の場合は,バイク仲間がいたわけでもなく,旅のために購入した燃費の良いバイクがオフロードバイクだったということだけで,近場でバイクに乗っていた時に,「ここなら走れるんじゃないの」という軽い気持ちで「なんちゃって」オフローダーをやっていた程度のことでしかありませんでした.
そのため,自走できなくなるようなことや危険なことは「絶対しない」という誓いのもとで,恐る恐る,ガタガタ道を楽しんでいたものです.
ところが,アクシデントは予期せぬときに起こります.本当にその時のことだけは,私の人生の中で「九死に一生の出来事」と言っても良いことでした.
福井市内から1時間ほどの場所で,牧場などが広がるところに林道の入口を見つけ,バイクに乗って,一人で入って行きました.
入口から1〜2分走った頃です.右に曲がるカーブで,曲がりながらリアタイヤが少し大きめの岩を踏み越えたため,後輪が大きく浮き上がり,その勢いで転倒したと思ったら,地面に落ちた私の少し先を,バイクが左に傾きながら山の斜面(崖?)を走りながら落ちていき,山肌にむき出しとなった岩にぶつかり止まりました.
この時,転倒したところの地面からその様子を見ていたつもりでしたが,実は,冷静になった時,足が地面についていないことに気づきました.そんなに何秒もかかって気づいたというわけではなかったと思いますが,目の前をバイクが横切る映像が「夢であってほしい」と思いながら,斜面を下っていくバイクの様子がスローモーションのように感じ,そちらに気を取られていたため,すぐに気づかなかったというのが正しいと思います.
よく,トムとジェーリーのアニメの場面で,崖から落ちて木の枝に引っかかるシーンがあるかと思いますが,それに近いものがありました.
カカシのように両腕を肩の高さまで水平に上げた状態で,その両腕が,山の斜面から垂直方向に生えて伸びていた数本の木の枝を抱えるようにしてぶら下がり,それにより,その下の方まで落ちずに済んだという状態でした.
そこに木がなければ,おそらく,その下の岩が剥き出しになっていたところに墜落し,腰の骨などを折って,自ら助けを呼ぶこともできずに,今これを書くこともできていなかったと思います.
その時は,斜面に落ちたバイクを一人で引き上げることもできず,林道の入り口にあった県営の牧場で作業をしていた方に事情を説明したところ,一緒にバイクのところまで行き様子を見た上で,バイクを引き上げるのはその時は断念しながらも,市内の官舎まで送ってくださいました.
なお,その次の日,私が入っていたバスケットのチームで試合があったことから,試合後,そのチームメイト数名にお願いして,その場所まで行き,バイクを引き上げるのを手伝ってもらいました.
この時ばかりは,九死に一生を得た上,色々な方に助けてもらい,本当にありがたい限りでした.また,後日,私が墜落するのを止めてくれた木に対するお礼として,その木の生えている場所にお酒を撒いてきました.
今だからこそこのように話せていますが,絶対に真似しないで下さい.林道に行く時は,必ず複数人でいきましょう.
⚫︎No life ,No bike !
幸いにして,バイクでの事故は後にも先にもこれだけです.
年齢を重ねながら,野宿しながらのロングツーリングや林道ツーリングなど体力を要することは難しくなりますが,死ぬまで「No life,No bike」であることは間違いないと思います.