⚫︎「暗い」 ≒ 「みんなと一緒にいると明るい」?
中学生になると,ものの見方や考え方が,他人と違うということの認識を強く持つようになりました.
ただ,その頃は,自分の方が「普通」と思い,周囲の方が「普通でない」と思っていましたが,今になって思えば,自分の方が普通ではなく,かなり「ずれていた」のだと理解するに至っています.
それが理由だと思いますが,(今でもそうですが)この頃から「友人」とよべる関係にある人はごく僅かで,今に至ってもそのことは変わっていません.
そのため,この頃から,周囲からは「暗い」と思われていたはずです.
というのも,この年代の頃は,「明るい」「面白い」などが絶対的な正義だと考えられていたはずだからです.
そのため,道徳の授業だったと思いますが,クラスの班の中で,他の生徒の客観的に見た性格をそれぞれ紙に書き出すという,今思えば,こんな私にとっては残酷とも言える課題が出されたことがありました.
ほとんどの人は,「明るい」などの,当時としてはポジティブと評価される言葉が並んでいた中で,同じ班の女子でしたが,私について
「みんなと一緒にいると明るい」
と書いてくれました.
このことは,反対に言えば「1人でいると暗い」「みんなといれば,周りが明るく振る舞うため,あなたも一応明るく見えるよ」という意味なんだろうと理解できましたが,おそらく,相当気を遣ってくれた精一杯の評価なんだろうとその時は理解し,複雑な思いをした記憶があります.
⚫︎アドバンテージ
その反面,私の中学校生活で唯一の救いとなったのが,バスケットでした.
小学校からミニバスを始めたため,中学からバスケ部に入部してバスケを始めた同期の生徒よりも,多少は,上手くプレイできたことがその理由です.
「アドバンテージ」ってことですね.
そのおかげで,1,2年生(先輩が引退するまで)の頃は別にして,最上級生となって以降は,中学校から始めた同期よりは多く試合に出してもらうことができ,自分が活躍でき,集中して頑張れる場所が見つかったのは幸いでした(もっとも,このことが,高校に入学してからの苦悩の一つの理由となるとは思ってもいませんでした.).
⚫︎女性は苦手です(今でも)
ただ,異性に対する接し方がわからず,とても苦労しました(今でもそうです.).
その頃,バスケ部では,狭い体育館をどのように分けて使うかは結構な重要な問題で,数少ない男女それぞれの部があるバスケ部では,なにかと男女一緒に練習することが多くありました.しかし,いつも,女子に対する接し方が全くわからない私にとっては,非常に酷な時間でした.
もちろん,異性に対する恋愛感情もありましたが,それを上回って「わからない」という感覚が私の全てを支配していました.
おそらく,そのような感覚が「みんなと一緒にいると明るい」という,同級生からの精一杯の評価の原因なんだろうなと今は思います.