司法試験に合格したこととその結果については,別のところで少し触れましたが,ここでは,司法試験についてと,その後,裁判所の司法研修所で行われる司法修習(単に「修習」という場合があります)までの出来事についてお話しいたします.
なお,現在の司法試験は,ロースクールを卒業するか,予備試験に合格しなければ受験資格を得ることができないものとなっていますが,私が受験したのは旧司法試験というもので,ロースクールができるよりも前の,大卒であれば誰でも受験できたものでした.
・ 司法試験の科目等
私が受験した当時の司法試験は,いくつかの試験会場で実施される択一試験というマークシートの試験(60問,3時間30分,1日)と,その後の論文試験(6科目,各2問,各2時間,2日間)があり,論文試験に合格すると,法務省浦安総合センターで実施される口述試験(3科目,各15〜30分程度,3日間)を経て合否が決まることとなるものでした.
択一試験は,合計6回受験して,最後の2回(公務員退職後の2回)についてはいずれも合格しましたが,それまでは,法律を学んだこともなく,独学でもあったため,勉強方法や勉強量の不足などが原因だろうと思いますが,公務員在職中は,毎回「記念受験か?」と言われてもおかしくない点数しか取れませんでした.
ただ,勉強できる時間があまり取れなかったといえばその通りではありますが,公務員を続けていると,給料はそれほど高くありませんが,夏季及び年末一時金はでますし,共済組合(健康保険)の社会保障もあます.
さらに,在職20年を超えると退職金の額が跳ね上がるというシステムとともに,3階建ての共済年金という制度が長期雇用に対する誘因となり,要するに,ぬるま湯ですよね,勉強に身が入らなかったのも当然といえば当然です.
なお,勤続年数6年11か月で公務員を退職したとき,退職金は100万円にならず,これがあっという間に溶けていったことは別のところでお話ししたとおりです.
・ 司法試験は自分との戦い?
司法試験を受験する方々の中では,この択一試験は足切り試験でしかなく,これに合格できなければ「受験生」を名乗ることもおこがましい(正確には,試験を実施する側の視点からすれば,択一試験ぐらい合格できなければ受験生ではないという意味です)とされていました.
修習中にこのこと(4回不合格となったとこと)を話すと,「ニヤッ」と笑う同期もいたぐらいでした.ただ,その同期は,論文試験を10回ほど受験した方で,私が論文試験を2回目で合格したことを知ると,表情が非常に暗くなっていました.
要するに,まともに法曹を目指そうという方からすれば,択一試験は,その程度の試験としての位置付けだったということです.
そのため,公務員を辞めて初めて臨んだ択一試験に合格したことで,ようやく,受験生となったという状況にありました.
ただ,そうはいっても,多くの方が人生の進路をかけて臨む試験ですので,択一試験といえども,私だけでなく,多くの方が緊張の上に緊張して受験していたのが事実だと思います.
修習の同期も,択一試験は全勝だと言っていた方も,やはり,その直前には,択一試験のための勉強は必ず行っていたということでした.
また,とある同期は,「もし試験中に便意を感じたとしてもトイレには行かない,我慢できなければトイレに行かずに漏らしても仕方ない」と考えていたそうです.
理由は,仮に漏らしたとしても,自分さえ我慢して試験に集中できればそれで良く,臭いが気になり周囲に迷惑をかけたとしても,試験時間が削られて焦ってしまうよりは良いということのようです.
実際にそうなったことはないようですし,現実的な内容ではありませんが,それぐらい,1年に1回の人生を賭けた勝負であることは,私だけでなく皆同じだったということです.
私自身も,試験中にトイレに行くことになれば試験時間が減るため,試験の前には水分を控えるだとか,糖分(主にチョコレート)を試験開始前のいつまでにどれだけの量を摂取するか,試験場到着後,試験開始までどの曲を聴いて時間を過ごすか,何問解いたのちにマークシートを塗りつぶすかなど,かなり気を使って試験に臨んだのは事実です.
とにかく,自宅を出てから試験終了までの行動をルーティン化して,何が起きても平常心で3時間30分を乗り切れるようにすることを考えて臨んだものでした.そのような意味では,やはり,自分との戦いなんだと思います.
・ 模擬試験の功罪
公務員を辞めて臨んだ初めての択一試験に合格し,その次の初めての論文試験に臨みましたが,結果,惨敗でした.
しかし,実は,その直前に受けた予備校の模擬試験では,なんと,上位一桁の点数でした.そのため,模試の結果を見て,公務員もやめたし「今年で受かるの?!」と淡い期待を抱きながら本番を受験しましたが,やはり,そう上手くいくものではありませんよね.
模擬試験では,自分が理解していたところが問題に出ただけで,自分の理解が及んでいなかった本番の試験では,ボロボロと言って良い結果でした.
模擬試験については,予備校が選りすぐりの問題を用意したはずではありますが,これを受けた方の母数だけでいえば本番の試験には遠く及ばないはずですから,実際の受験結果を推定するほど十分とはいえなかったはずです.また,問題の内容や採点の仕方など,予備校が工夫をするとしても,やはり本番とのズレは存在するでしょうから,これらを踏まえた,状況の把握と自分の実力への認識が甘かったということです.
そのようなこともあり,公務員を辞めて臨んだ2回目の論文試験では,直前の予備校の模擬試験はあえて受けることはせず,問題だけもらって自分で答え合わせをするにとどめました.
・論文試験での自分ルール
なお,択一試験だけでなく,論文試験も時間との戦いはありますが,私の場合,論文試験の時は,択一試験と異なり,意図的に,試験中にトイレに行くことをルールにしていました.その理由は,机にかじりついていても良い考えが浮かんでこないからです.
もちろん,毎回ではなく,特に,解答方針やその結論について,落ち着いて考えるべき問題に当たった時には必ずそうしていたというものです.
論文試験は,2時間で2問解答する必要があります.
ただ,長い文章を書けば良いというものではなく,短くても,解答として必要なことを書ければよしとされているものでした(読み書きのそれほど速くない私としてはありがたいことでした.).
そのため,多くの受験生がそうしていたと思いますが,答案を書くための構成(下書き)を最初に考えるのですが,私の場合,そのために,2時間うちの最初に,2問分の答案構成を合計30分から40分かけて行っていました.
多くの受験生は,1時間1問と考え,その最初の10分程度で答案構成をするようなスタイルが多かったように聞いていますが,私の場合は,1問につき,その倍の20分をかけるだけでなく,2問合わせて行うようにしていたものです.
そうすることで,どちらかの問題が簡単であった場合,難しい方の問題の答案構成により多くの時間がかけられるますし,わからないからといって見切り発車することを防いで,あらかじめ,書くべきことを比較的細かく決めることで,文章を書き始めた後の迷う時間を減らし,結果として,文章を書く速度を上げる効果があると考えていました.
その上で,「これはどっちの結論にしようか」ということがあると,試験官に申し出てトレイに行き,用を足して机に戻ってくるまでに,歩きながら頭の中で考えて結論を出すということをルールにしていました.
このことは,公務員の頃からそうでしたが,机の前でパソコンに向かっている時よりも,ぼんやりしながら街を歩いている時や運動している時,あるいはお風呂に入っているときなどのほうが,良いアイディアが浮かんでくることが多く,その頃からの習慣のようなものでした.
弁護士となった今でもそうです.バイクに乗っている時に良い考えが浮かぶことも多くあり,その時は,バイクを止めて,スマホにメモを取ることもあります.
そのため,2回目の論文試験では,民法の試験でしたが,答案構成のときに方針と結論に迷ったため,迷わずこの自分ルールに従って,試験官に申し出てトイレに行き,帰ってくるまでに頭の中で考えて結論等を決めた上で,答案の作成に着手しました.
・ 「お前ら落ちろ」
2回目の論文試験では,その当時の旧司法試験は最後から2回目の試験ということもあり,会場の規模も縮小され,福岡では,福岡地方検察庁の庁舎内のおそらく一番広い部屋だと思いますが,そこを使って行われました.
その時,初日だったか2日目だったか,昼食時に,とても大きな声で談笑をする3人組が同じ会場にいました.
彼らは,私とは違い,おそらく3人とも受験仲間だったんだと思いますが,私としては,午後の試験までに精神を落ち着かせたいと考えていた時に,すぐそばの大きな笑い声で非常に気が散ってしまい,思わず,「お前ら落ちろ」と,心の中で呟いてしまいました.
彼らが,これまで同じ目標に向かって一緒に頑張ってきた受験仲間ということで,このような緊張する場面でも,そのような緊張感や不安感,あるいは雰囲気に押しつぶされることなく笑って過ごせていたのかどうか知りませんが,また,そのような受験仲間がいることを私が羨ましいと思ったのかどうかは覚えていませんが(多分そう思ったんだと思います),公務員試験受験の時からの,相変わらずのヒクツな自分が出てしまいました.
ちなみに,この時の3人のうち2人は,私と同じように,この年の試験で最終合格しただけでなく,司法修習のクラスと修習地(大阪)が同じになるだけでなく,大阪での班も同じとなり,かなり近い距離で修習の1年4か月を過ごしました.驚きです.
心の中で念じたのが通じたため1人落ちたのか,それともその反対なのかは正直わかりませんが,修習生となったのち,彼らに対し,「もう1人の方は?」と聞くこともできずに,一方的に気まずい思いを抱きながら,何事もないように接してしていたのはいうまでもありません.
もっとも,何かのきっかけ(おそらくお酒でしょうか)で,別の修習生にその話をしてしまったことがあり,このことがご本人達に伝わってしまたことがありました.
幸にして,合格後のことということもあり,笑い話として捉えてもらえたことに救われました.
なお,もう1人の方は,翌年合格したということでしたが,ヒクツな心の呟きが原因で,私自身が不合格とならなかったことを改めて安堵しました.
・口述試験 (漢字の読み方に不安あり)
口述試験は,試験官2人の前で,口頭で質問を受け,それに対して口頭で答えるというものです.一つの試験会場に全受験生が集められて1か所に待機し,自らの順番となって呼ばれると,それぞれの部屋に入って各自受験するというものです.受験後は,そのまま帰ることとなり,問題が他の受験生に伝わるということはありません.
なお,その試験会場は,いわゆる夢の国(千葉県の舞浜)のすぐ近くで,会場の最寄りのホテルに宿泊しようとすれば,あまりにも場違いな自分に対するヒクツ感が120%なるのは目に見えていたため,少し都心寄りのビジネス街に宿を取りました.
ところで,口述試験は,択一と論文試験に比べて,試験対策を取る機会があまりなく,情報も少ないという特徴がありますが,私にとっては,私固有の問題が存在する試験でもありました.
その固有の問題とは,「言葉(漢字)の読み方」を調べることなく法律の勉強を進めたため,読み方がわからない言葉が結構あったということです.
私の場合,大学で法律を学んだわけでもなく,受験仲間と話をするようなこともなく,独学で受験勉強をしたため,なんと読んで良いのか分からない言葉が結構ありました.受験仲間がいて,法律の会話をしたり,大学の講義で講師が話すことを聞いたりすればそんな問題が起きることはほとんどないはずですが,私には,それを言葉として発音して誰からに尋ねるような機会がなく,また,誰かがそれを発音することを聞く機会もなかったというものです.
それなら漢和時点で調べれば良いと思われるはずで,そうすべきといわれればその通りですが,時間も惜しく,調べるのも手間がかかるため,その言葉(用語)を他の用語と区別することができ,それが何を意味するか理解できれば,法律の勉強としては一応は十分だったため,そうすることなく勉強を進めたというものです.
例えば,英語の長文読解で意味の分からない単語があったとしても,文脈から推測したり,あるいは,その表記のまま捉えて読み進めることがあると思いますが,それと同じような感覚です.
具体的には,「囲繞地」という民法に出てくる言葉があり,その読みは「いにょうち」ですが,読み方がわからなくても,その意味が,周囲を囲まれその土地から外に出るための通路がないものと理解できればよく,別に読み仮名(発音)までは押さえておく必要に迫られなかったというものです.他にも「地上権」を「ちじょうけん」と読むか「ぢあげけん」と読むかはその時の私にとってはどうでも良いことでした.
勉強方法として,ある意味合理的といえばその通りかもしれませんが,口述試験で,読みのわからない言葉を尋ねられた時,あるいは読みの分からない言葉で尋ねられた時,なんと答えて(発音して)良いか分からない,あるいはなんと問われているか分からない場合があるということまで考えて勉強していなかったのはそのとおりです.
なお,幸にして,口述試験本番では,そのような私固有の問題が顕在化することはありませんでしたが,独学で勉強したことの,ある種の弊害というか不合理な面が残ってしまっていました.
・「もう一度いいですか」
初日は憲法の試験でしたが,その部屋の最初の順番でしたので,試験官も受験生の様子を見るべく,非常に優しく,答えにつまづきそうな時には誘導もしてくれて無事に終えました.
ところが2日目の民事系の試験では,最初の民法の試験でつまづいてしまい,問題を出す試験官が困り果てている様子がよくわかりました.
試験官も,私の回答だとそれ以上試験が進めないためによくないということだったからだと思いますが,ほぼ,答えのようなことを述べられてしまいました.
その後も,私の解答に対して「その理由は」と尋ねられた際「最高裁判決があるからです」と答えたところ,「だからその理由を尋ねているんです」といわれるなど,終始精彩を欠いたまま,おそらくですが,最後の問題まで辿り着くことなく,前半の試験を終えることとなりました.
その瞬間,頭の中が真っ白になったのは想像に難くないと思いますが,次の手続の問題(民事訴訟法)について別の試験官がそんな私の心理状態を察することなく出題を始め,容赦無く答えを求めてきましたが,「え,え,えっ」しか言葉が出ません.
だってそうです.
民法の出来が悪かったことが明らかで,しかも,答えを聞いた瞬間
「そっちか,ちょっと考えればわかったじゃないか」
というショックの大きさから,それに続いて出題された民事訴訟法の問題が全く頭に入ってこなかったからです.
しかし,試験官はそんなことは構わずに問題文を読み始めますし,出題した以上,当然のように答えを求めてきます.その中で頭をフル回転させてようやく捻り出した言葉が
「もう一度問題を言ってもらっていいですか」
でした.
・壊れたテープレコーダー
多くの予備校等が出す受験情報誌等では,択一試験や論文試験だけでなく,口述試験についても,過去の出題状況やその時の受験生の受け答えなどが載せられているものがありました.
私も,何度かそのようなものを目にしたことがあり,その中には,
「私が試験委員である間はおませに合格はさせない」
とか,試験直後に,次の問題が出題させる前に
「君は民法の基本を全くわかっていない」
と言われたことなど,「本当にそんなことあるの?」と思うことも過去の経験談等として載せられていました.
特に,「私が試験委員である間はおませに合格はさせない」の発言の翌年,同じ受験生が同じ試験官に当たった際「また来たか」と言われ合格させてもらえなかったそうです.その結果,その受験生は,受験の世界から消えていったという驚愕のエピソードも載っていました.
そのような体験談が掲載される中で,試験問題を聞き逃し,もう一度聞き直した時のエピソードも載っていました.その時,試験官から
「私は壊れたテープレコーダではない」
と言われたというものでしたが,まさに,私もそれと同じ状況でした.
しかし,その記事を読んだことがあったおかげといえばその通りです.これを読んでいなかったら「もう一度」という言葉が捻り出せなかったかもしれません.
私からのお願いを聞いた試験官は,「私は壊れたテープレコーダではない」とは言いませんでしたが,「民法の出来が悪かったことがショックなんですね」というような表情で,嫌そうな顔をしながらももう一度問題を読んでくれました.
この時のやりとりがなければ,間違いなく,試験に落ちていたと思います.
ある意味,「もう一度」と声を絞り出せたことは,口述試験だけでなく,この司法試験の中での,私自身,最高のファインプレーだったと思います.
・試験官の笑い声
なお,幸いにして,その問題はすぐにクリアでき,その次の問題で,私がたまたま覚えていた条文の文言をサラッと述べたことにびっくりしたのか,試験官の顔つきが変わりました.
さらに,その次の問題が出された時に,条文の番号を述べて「条文を確認して良いですか」と尋ねたところ,条文の番号を挙げたからだろうと思いますが,驚いた表情を見せながら,「条文を見ずに一旦は考えて」といわれ,そのとおりに対応しました.
これらを含め,その後のやりとりも踏まえると,一応,挽回できたのだろうと自分を慰められる程度に,2日目の試験を終えることができました.
ただ,それで終わるわけがありませんよね.首の皮一枚繋がったと思いながら試験室を出た時に何が起きたかというと,ドアを閉めた途端,ドア越しに,部屋の中から試験官2人の笑う声が聞こえてきました.
その瞬間,頭の中は「?」だらけになり,「何か面白いことしたかな?」ではなく「この笑い声は,良い,悪いのどっちの意味だ?」という疑問が頭を駆け巡りました.
しかし,短時間の中で,あれだけのアップダウンがあった試験官の反応について,良い方に考えられるほどポジティブ思考でない私は,生きた心地がしないまま試験会場からホテルまでの帰路につきました.
・口述試験最終日
2日目の試験終了後,この日は,確か,東京の知人に会うことを予定したため,その間は気が紛れましたが,それ以外の時間は,胃をゆっくりと下の方から手のひらで持ち上げられるような,痛みのような,なんとも不快な感覚と共に,当然ながら,ぐっすり眠れることもなく,浅い居眠りのままで朝を迎えました.
そして,極度の緊張感に包まれながら3日目の試験に臨みましたが,この日の刑事系の試験は,問題自体については1か所を除いて無難にクリアできました.
前日の失敗を踏まえ「何があっても問題だけは聞き取る」ということを心の中で念じながら臨みましたが,思ったよりもスラスラ進み,拍子抜けしたほどです.
口述試験では,試験官が2人いて,その一方が出題者として問題を読み上げるとともに,私の解答を確認するというやりとりが続くため,出題者でない方の試験官の表情を見ると,その解答が妥当だったかどうかが,なんとなくわかる場合があります(2日目の悲惨な状況を経験したことが大きいです.).
そのため,刑法を担当した試験官の表情からも,無難に終えたのだろうということがなんとなく伝わってきましたし,当然ながら,試験室を出た際に笑い声が聞こえてくるようなこともありませんでした.
前日と比較すると,拍子抜けしてしまうほどでした.
そのため,とりあえず,試験が終了したことに安堵を覚えながら,その日だけはゆっくりしたいと思いながら,東京(千葉)から福岡への帰路につきました.
・合格と予備校の答案添削
口述試験から戻り,その翌朝から,新聞配達に復帰し,いつもの日常が戻ってきました.合格発表まで勉強をしたかどうかは覚えていませんが,一応,合格したことを確認し,関係者(親族,元の職場の同僚等)にそのことを連絡しました.
そのため,この年の大晦日には,今まで生きてき初めてだったかもしれませんが,素直に「良い一年だった」と思えました.
合格後は,予備校から答案の添削の依頼があったため,それをこなすとともに,司法研修所からの課題も進めながら,毎日を過ごしました.
予備校の答案の添削ですが,司法修習に入ってから聞いた話によれば,私以外にも多くの方が添削をしたことがあるようで,かなりいい加減にやっていたということを初めて知りました.
中には,答案の出来が良かったものについて,余白に,「俺の彼女にしてやる」とコメントを書いたことがあるという非常にふざけた話を聞いたこともあり,受験に人生をかけていた私としては,「?」ということしか頭に浮かびませんでした(もちろん,不適切なコメント等は,予備校側が修正テープ等で消して対応していたそうです.).
そのため,公務員を辞めた年の模擬試験の結果が良かったのは,出題された内容だけでなく,添削者の影響も多くあったのだと思うに至ったものです.
他方で,私の場合どうだったかというと,予備校の添削を受けたことが1度しかなく,そのため,どの程度のことをやれば良いのかが見当がつかなかったことと,元々の生真面目な性格もあり,かなり丁寧に添削は行いました.
例えば,答案は4頁あるのですが,受講者が解けなかったんでしょうね,1頁(答案用紙の表の半分)もかけずに途中で終わっていたものがあると,私の解説が丁寧なあまり,答案の量よりも多くなること(1頁以上)は,多々ありました.
正直,ここまで丁寧にやる必要もなく,そうするだけの割に合う報酬も出ないこともわかっていましたが,自分が反対の立場だとどう思うかと考えると,簡単に手を抜くことはできませんでした.
また,受講生と直接話をできれば,どこを理解できていないかを確認することができたと思いますが,答案だけをみて,何をどこまで理解できていて,何をどこまで解説して記載すべきかにはすごく悩みました.
その結果,分量が多い時は,裏一面(2頁弱)の解説を書いたこともありましたが,弁護士になってからも,私の作成する準備書面の分量が多くなるのは,この頃から変わっていないのかもしれません.
・修習へ出発
3月末頃,司法修習生として修習を受けるために,福岡から埼玉の和光市にある司法研修所に入所しました.人生で6回目の引越しとなりましたが,修習中のことについては,別のところでお話しします.