⚫︎憧れの「明るい」「楽しい」キャンパスライフ?
大学には現役合格し,初めての一人暮らしを東京の大田区でスタートすることになりました.
中学・高校と周囲からやや(かなり)ズレており,お世辞にも「明るい」性格とはいえなかったこんな私でも,大学に進学した以上は,当然のように「明るい」「楽しい」キャンパスライフに憧れを抱きました.
しかし,それまでの人生がそんなものですから,いきなり「明るい」「楽しい」毎日を送れるはずがありません.
入学後,同じ学科(正確には1年次のクラス)にたまたま同郷の方がいて,その方が気をかけてくれて話しかけてくれたりしましたが,やはり,「『明るい』『楽しい』キャンパスライフ」を是とする同期たちには馴染めず,1人で過ごす時間がほとんどでした.
また,大学に進学したのちも,バスケ部に入りましたので(実は,1年生の最初の方に辞めて,再び,2年生の夏前に再入部しました.),部活の同期などと一緒の時は別でしたが,基本的には,大学のキャンパス内あるいはその周辺で食事をとるときも,ほとんど1人でした.
⚫︎自炊
そして,節約という目的もありますが,料理をすること自体は楽しいと感じる方でしたので,毎日自炊をすることを続けていたこともあり,大学の食堂を利用することはあまりなく,昼休みを挟んで講義がある時は,ほとんど弁当を持参していました.
その当時,普段の食事や弁当として何を作っていたかというと,基本的にはお米を炊くことを前提に,あとは,適当に料理を作っていました.
ただ,大学の期末試験の頃になると,決まって数日分のカレーを作り,毎日それを食べていました.その理由は,一度作ってしまえば,食べる時に温めるだけで良いため毎食毎食調理時間を節約することができ,また,洗い物も少なくて済むからです.それ以外は,ひとつしかない電気コンロで,味噌汁などの汁物と,炒め物などを作ったりしていました.
⚫︎くすんだ色で覆われた毎日
そのように,仲良くする友人も少ないため,試験の前には,過去問を入手できないこともあり,そのようなコネクションを作れないことも「自己責任」と思いながら,結構必死に勉強をしていました.
なお,このような状況は,これ以後にご紹介します,公務員試験や司法試験の勉強のときも同じで,要領よく勉強の材料を集める,あるいは周囲の実力や勉強の理解や到達度がどの程度かということを把握すれば,必要十分な勉強量などがわかるのでしょうが,それらがわからない中で,成果を上げなければならないという「自己責任」による恐怖感との格闘ばかりが続きました.
明るい大学生活を謳歌し,大学にほとんど来ないまま,学部内で卒業させるかどうか問題とされながらも無事に卒業できた方も存在する中で,それとは対照的に,私の大学生活は,曇りガラスのメガネをかけたような,くすんだ色で覆われた毎日ばかりでした.
⚫︎屋上のススメ
そんな私でも,大学に入ったらやりたいと思っていたことがありました.
それは,屋上で昼食を取ることでした.
「そんなこと?」と思う方もいると思いますが,友人もおらず決して明るいとはいえない毎日を過ごす中で,自分で作った弁当を持ち(時々は,ご飯だけ持参して学食で惣菜を購入することもありました)屋上に出て,青い空の下,地上よりも高い場所で食事をすることは,ちょっとした満足感を得られる時間でした.
幸にして,私の見つけた出入り自由な建物の屋上は,他の学生が訪れることもなく,「明るいキャンパスライフ」を謳歌する学生らの喧騒から離れて,1人のゆっくりとした時間を過ごせる場所でもありました.
ただ,飛び降り自殺の危険もあるため,危ないと言えば危ないかもしれません.
⚫︎「〇〇〇〇の向く方向」
そんな中,いつものように屋上で昼食を取ろうと階段を上がってみると,そこには,演習(講義の名称は忘れましたが,確か,変分問題を多く扱った講義の演習だったと思います.)で講師をされていた方が,喫煙しながら,二人(もう一人は初めてみる方でした)で話をしていました.
その講師の方は,幸いにして私のことを覚えてくださっていたため,一緒に話に加えてもらったところ,二人とも,D5(博士課程5年目)とD4(博士課程4年目)で論文を書かなければ博士号をもらえないという状況にあるということでした.
一般的には,博士課程は3年間と認識されていますが,それ以上の期間在籍する方も多く,奨学金をもらうなどして,論文が書けるまで在籍する方もいるということをその時に初めて知りました.
その講師の方は,修士を卒業して(だったと思いますが,博士課程の途中だったかもしれません)ヨーロッパに留学したということで,見た目と違い30を過ぎているということでした.
何かに興味や関心があってそうなったのかを尋ねたところ,「〇〇〇〇の向く方に進んで行ったら,こんなになりました」と言っていました.
「〇〇〇〇」についてはあえて伏せておきますが,要するに,自分の欲望という好奇心に従って人生の進路を選んだということを意味します.やや下品にも聞こえますが,私にとっては,名言だと思っています.研究者とはかくあるべきだと思われされただけでなく,生き方についても考えさせられました.
普通に過ごしていれば,週1回の演習の時間の講師と学生というだけの関係以上の話をすることもなかったところ,昼食を取るために屋上に行ったことで,素敵な言葉に出会えたと思っています.人生の選択に直面した時に,よく思い出す,私にとっての名言の一つとなりました.
⚫︎貴重な4年間(5年間?)
大学については,無事(?)に4年間で卒業することができました.「明るい」「楽しい」キャンパスライフからはほど遠いものでしたが,別のところでお話しします,部活やアルバイトといったことを含めれば,人生のうちの貴重な4年間(5年間?)となったことは間違いありません.この点について,東京の大学への進学と一人暮らしをさせてくれた両親には,とても感謝しています.
なお,この大学に進学した多くの他の学生と異なり,大学院には進学しませんでした.これについては別のところでお話ししますが,いずれにしても,自分の人生の中で,色んな意味で「頑張った」と評価しても良い時間だったのではないかと思っています.