犯罪は割に合わない

 最高裁判所のホームページに,最高裁及び下級裁判所の裁判例の速報が掲載されます.
 職業柄,毎朝,新たな裁判例が掲載されていなかチェックし,最高裁判決であれば基本的には全文,下級審判決であれば,関心の高い分野については基本的には全文を,そうでなければ概要が把握できる程度に読むようにしています.

 ただ,裁判所がどのような基準で裁判例を掲載するのか,そこにどのような意図があるのかがよくわからないというのが正直なところです.

 サイトをチェックするようにし始めた頃は,実務家ないし社会一般に対して,裁判実務における判断の大まかな方針などを示して誘導するために行っているものと思っていました.

 例えば,確か昨年だったと思いますが,酒気帯び運転で交通事故を起こし免職となった公務員が,その退職金の全額不支給とした処分を争った裁判がありましたが,最高裁は全額不支給とすることを容認しました.
 それまでは,私自身,公務員を含め,懲戒解雇・免職となった場合であっても,それを理由に退職金全額を不支給にすることはあまりないように考えていましたので,社会の価値観の変容が司法判断にも及んでいることを示すために,裁判例が掲載されたものと理解していました(もっとも,最高裁の判断ですので,当然のものとして掲載されたというのが事実だと思います).

 ただ,最近は,一概にそういうわけではないような印象を受けています.
 例えば,要旨,次のような刑事事件の判決が掲載されていました.

 この事件は,被告人(犯人)が警察官だったということが特徴的ではありますが,私の感覚からすると,それ以外に判断や量刑で特筆すべきことがあるようには思えません.

 ただ,改めて思ったことがあるとすれば,軽率な行為は慎むべきだということは当然のこととして,何よりも,

 「犯罪は割に合わない」

 ということを改めて思ったところです.

 これは,弁護修習の指導担当弁護士が言っていたことで,とても的を射ているため,私もよく使わせてもらっています.ただ,それと同時に,「はぁ」と胸の中でため息をついしまうのですが,この裁判例を読んだ時も,「執行猶予がついてよかったね」とは思いましたが,やはり,「割に合わない」と思い,「はぁ」とため息をついてしまいました.

【裁判例】
・主文
 懲役2年,執行猶予3年

・罪となるべき事実(窃盗,住居侵入)
 ① 女性用下着を窃取する目的でベランダ内に侵入し,同下着4点を窃取
 ② 同上
 ③ 正当な理由なくベランダに侵入

・量刑の理由
 財産的被害は合計約4500円と多額とまではいえないものの,特に2度にわたって自宅のベランダに侵入された被害者の住居の平穏を害した程度は大きい

 下着を盗まれた被害者らの嫌悪感,恐怖心等も軽視できない

 自身の性的要求を優先させた身勝手で軽率な経緯動機は強い非難に値する

 被告人が合計200万円を支払って被害者らとの間で示談が成立している

 被告人が本件各犯行を認めた上で被害者、家族らに謝罪の言葉を述べて反省の態度を示している

 被告人に前科前歴がない

 被告人の同居の父親が被告人の今後の支援監督を誓約している

 被告人が本件を受けて職を辞することになり,一定の社会的制裁を受けている

新聞を読もう

 少し前に,日鉄がUSスチールを買収して,完全子会社化することが決まりました.
 それに関する新聞記事を読んだ際,「新聞を読もう」と改めて思ったところです.

 その理由は何か?

 それは,私が大変お世話になった方の言葉を借りていえば,新聞を読むことで,「国に騙されないため」です.
 例えば,今のアメリカと,アメリカ大統領のドナルド・トランプ氏の言動等を見るとよくわかると思います.

 彼が大統領として選出された際,アメリカの世論は二分され,彼を支持する方々は彼が大統領になればすぐに生活が良くなると信じてやまなかったとの記事に接したことがあります.
 特に,X(旧ツイッター)に投稿して表明された意見等を鵜呑みにして,その真偽を確かめることもなく,多くのアメリカ国民が彼に期待を抱いたようです.
 その結果,ドナルド・トランプ氏は,大統領となった以上,できる限り早期に成果を上げる必要に迫られているはずで,そうすると,国民としては,彼が主張する成果がフェイクではないかどうかに関心を寄せる必要があります.

 その一つに,彼の行うこととして,高関税措置があります.
 アメリカ国民は,これにより,アメリカ国内に製造業が回帰されると期待しているはずですし,このことは,彼が掲げるMAGAの内容に含まれているはずです.

 確かに,彼の行う高関税措置は,一見すれば,外国の資本も含めて,国内に事業を回帰させる方法といえそうですが,実際には,すでに世界中に構築されたサプライチェーンを捨ててまでそうすることが現実的かどうかは考える必要があるようです.
 そのため,理論的には,アメリカ国内に工場を移すことは,可能であったとしても,そのために気の遠くなるほどの時間を要するとともに,かつ,それが実現されるかもわからないとしかいえないはずです.
 ある新聞記事では,アップルの製造するiPhoneは,上記のことが当てはまるそうで,現在,中国を中心としたアジア圏でその部品の製造及び組み立てがされているそうです.容易にアメリカ国内に回帰できる状況ではありません.
 しかも,それをアメリカで組み立てようとすれば,人件費の高さからiPhoneが1台,50万円を超えることになるとも新聞記事は報じていました.
 アップルの選択肢として現実的とは思えません.
 高関税措置が製造業をアメリカに回帰させる方法として妥当と言えるかは怪しいということです.

 また,彼が,鉄鋼に高い関税をかけたことにより,日鉄がアメリカに進出することにより事業の拡大を図る(アメリカの鉄鋼ではなく日本の鉄鋼がアメリカ市場に出回る)のではなく,USスチールの買収に至った(アメリカの鉄鋼業に外国の企業が出資して,アメリカの鉄鋼が世界に出回ることになる)と言い出せば,おそらく多くのアメリカ国民(のうちの彼を支持する人々)は,そのように信じてしまうだろうと思います.

 しかし,実際は,日鉄によるUSスチールの買収も,彼が大統領となるよりも前(バイデン前大統領の頃)から提案・交渉がなされていたのであって,彼が鉄鋼に関税をかけたからではありません.彼がそのようなことを言えば,事実に基づいて,
 「あー,また言ってる」
ぐらいの感覚をもたなければ,国に騙されてしまうということです.
 また,日鉄自身も,市場の拡大を目指した場合,アメリカでの生産を行うことが合理的であることを,前々から考えていたため,USスチールの買収に着手したということがそもそもの理由だったようです.
 騙されてはいけません.

 そこで,「新聞を読もう」ということなんです.
 新聞を読めば,そのような事実関係を踏まえた記事が掲載されている場合が多くありますし,少なくとも,権力者の発言等に騙されないだけの知識を得ることは可能となるはずです.
 以上のべた内容は,新聞からの情報をもとに記載しています.

 もちろん,ネットで流れてくる情報からも同じような知識を得ることはできると思いますが,私が見た限りでは,主要な出来事については,新聞の情報量とそれほど大差ないように思います.
 職業柄,とあるメールニュースを受信し,法律や裁判に関連する記事を閲覧できるように設定していますが,実際に,そこから得られる情報の大半は,今朝の新聞記事に含まれているものがほとんどです.

 また,情報から得られる出来事の分かりやすさとその信用性(そこに含まれる事実の真偽や正確性を基礎付ける理由等)は,トレードオフの関係にあると思われますが,ネットの情報の多くは前者(のみならず興味関心をそそる表現)に力点が置かれ,後者について,かなりの部分を犠牲にしているように思います.
 その点では,ファクトチェック自体も紙面で行うことが多くある新聞の方が,一見してすぐに理解できるということはないとしても,信用性については期待しても良いように思います.

 新聞について,オールドメディアと呼ばれるようになって久しいところですが,紙面自体のネットでの配信が行われるものもあるようです.
 「ネットとテレビで十分」と思わずに,新聞も読んだ上で,情報の取捨選択を行う習慣をつける必要があるように思います.
 少なくとも,日本人が,アメリカ国民と同じような選択(トランプ氏を大統領としたこと)をしないためには,重要ではないでしょうか.

「性」+「事業」=「不健全」?

 昨日(2025年6月16日),最高裁判決が出され,無店舗型性風俗特殊営業を営む事業者に対するコロナ禍における持続化給付金を給付しないという国の決定が肯定されました.

 結論に対して反対であることは当然として,判決の中の多数意見(裁判官と検察官出身の裁判官4名)が,国の主張した「その健全化を観念することができ」ないという考え方を肯定したことに違和感を覚えます.

 性欲は,食欲,睡眠欲と並んで人間の本能に基づく生理的な欲求で,食欲と睡眠に関してはこのようなことを言われることはないのに,性欲だけは,常に,不健全というレッテルが貼られてしまいますし,偏見の目で見られることも当然とされています.
 自分の体のことであり,誰にとっても共通のことであるにも関わらずです.

 もちろん,性的な行為が公に行われるべきではないというのは「わいせつ」という観念の存在からも否定はしませんが,性的な行為そのものを「不健全」とするだけの直接的な理由にはならないはずです.
 食事をとる場合に,飲食すべきでない場所や場面があるのと同じ程度のことであって,その行為そのものが「不健全」とされないことと同じではないでしょうか.
 つまり,性的な搾取や虐待であったり,暴力・脅迫を伴う場合,又は,生殖行為である以上,子が誕生した場合にその養育に対する責任を負わなければならないのにそれを放棄するということなどが問題であって,性そのものがストレートに「不健全」という評価に結びつくものではないはずです.

 あるいは,性的な行為が,違法薬物と同様に中毒や依存を引き起こし,さらに国民的な勤労意欲の低下を招くという考えがあると聞いたことはありませんし,そのような事実もないと思います.そのような意味での「不健全」さも肯定し得ません.

 この点で,社会的な責任を伴わない未成年者の性交渉等は問題であるとしても,それについては,教育により対処すべきことであって,「不健全」だからと蓋をしてしまって大人になるまで目につかないようにすれば良いということではありません.
 未成年者が人として成長して大人となる以上,性について教育をしないことが正当化されないはずですし,そうであれば,性そのものを不健全評価すべきことにはなりません.

 ここまで述べましたが,ひとつ注意が必要です.
 それは,判決のいう不健全というのは,おそらく,性的な行為がサービスとして提供され,それが事業化されることを指して「不健全」ということを言っていることについてです.
 では,そのことについてどう考えるか.

 判決のいう不健全という考え方が,そのことを前提とするのであれば,飲食業や食料品の提供という食欲を満たす事業も不健全とならないのでしょうか?
 例えば,食料を得るのは基本的に自己責任であり(私はそう考えています),生きるために,食べるために家畜を殺すこと,漁をすることが容認されるとしても,他人にそれを行わせることは,不健全とはならないのでしょうか?
 動物の虐待は法律でも禁止されていますよね.
 食料の調達を自己の責任で行えというのは合理的でない以上,特定の業者によりこれを行わせ,後は,加工食品として消費者が購入できるようにすることは不健全とはならないというロジックなんでしょうか?

 それと同じように,性的欲望を満足することは,基本的に自己責任(生物としての自然発生的な求愛行動)により行うべきであるとしても,一定の場合には,それを満たすためのサービスを求め,それを提供することにより対価を受けるという関係性を認めることは許容し得ないものではないと思われます.

 その場合に,判決がいうように,この事業は「事業者が,その派遣する接客従業者をして,不特定の者の性的欲望を満足させるために身体的な接触を伴う役務を提供させ,その対価を受ける点に特徴がある。」のである以上,むしろ,それを行うにあたって,性的な搾取や暴力性などの危険性を取り去るという意味での健全化が図られるべきであって,どちらかというと,その点の国の不作為が問われるべきではないかとすら思います.
 法律のもとで事業として認め,納税の義務を課す以上は,そのような制度の整備をする必要は否定されないはずです.そこで働く人にも,パワハラやカスハラを受忍すべき義務はありませんし,当然,意に反した行為を強要されて良いことにはなりません.

 判決の補足意見が述べる「本件特殊営業は、顧客の性的欲望を満足させるための上記役務の提供を行うものであることのほか、接客従業者が顧客の指定する場所に出向いて上記役務を提供するという業務態様であることから、接客従業者において、事業者から切り離された場所で顧客から不意に意に反する身体的な接触等を求められる場合もあるものと考えられ、そのような場合を始めとして接客従業者の尊厳を害する事態が生じ得ることを否定することはできないのであって、本件特殊営業が事業内容としてそのような一面を有するものであることは無視し得ない。」のであればなおさらそうではないでしょうか.

 いずれにしても「不健全」というのは理由にならず,他の事業者と同じように,給付がされるべきだと強く思います.

「カスハラ」について思うこと

 職場でカスハラ対応を義務付ける改正法が成立しました。
 事業者に対し,従業員を保護すべき義務を課すこと自体は歓迎しますが,カスハラに対して,特別な立法をしければならない社会について,ややモヤモヤしたものを感じてしまいます。

 カスハラとは,顧客等(取引先の関係者を含む)の言動で,その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通上許容される範囲を超えたものにより就業環境が害されることと定義されています。具体例としては,土下座の強要などが挙げられています。

 ところで,労働基準監督署に勤務していた時,申告処理業務というものがありました。これについて誤解を恐れず言えば,その本質はクレーム対応ともいえるもので,相談者や会社の方から怒鳴りつけられるなど,ここでいうカスハラに当たるようなことは比較的しばしば経験したものです。
 だからというわけではありませんが,「うまくやってね」「我慢してね」と担当者個人にこれを押し付けて,その責任と犠牲でこれに対処させるのではなく,会社として,組織として,従業員をカスハラから守ることを義務づけたことについては大いに賛成します。

 ところで,一般的に,ハラスメントの発生する原因は優越的関係にあると考えられています。
 職場で起こるパワハラは,力関係の不対等な場面(上司と部下など)で生じることがよく知られていますし,あるいは,スポーツの世界で生じるパワハラについても,指導者と選手という立場がこれに当てはまることは明らかです。

 そうすると,カスハラは,顧客等から従業員に対する言動として定義されていることから分かるように,顧客の方が優越的な立場にあるということが前提にされているといえます。

 私の場合,ここにとてもモヤモヤしたものを感じます。
 要するに「客は神様か?」ということです。

 弁護士になるために司法試験の勉強をしていた頃,新聞配達をしていました(私にとっては,大学時代のアルバイト以来の民間勤務でした。)。
 その販売店の従業員の中には,客(購読者)に対して,かなり謙った態度で接することが見てとれる方がいました。
 そして,その様子は,「丁寧な客対応」の延長にあるというよりも,自分たちが顧客よりも劣った立場にあるともいえそうな雰囲気すら感じさせることがありました。

 しかし,それ以外の従業員や,販売店の所長と関わる中で,彼らは,「誰も新聞を販売してくれない」「配達してくれない」ということになれば,新聞を読むことはできなくなる,そのような立場で新聞を販売しているという考え方を有していることに触れる機会があり,毎日の新聞配達を行う中で,とても共感を覚えてました。

 もちろん,他の販売店と契約する,コンビニで購入するということで新聞を読むことができるというのはそうかもしれませんが,それらも拒まれた時,どうしたら良いでしょうか。例えとして極端すぎますが,単純に,販売・配達してくれる方(売主)がいなければ,それを購読することができないというのは何も特別な結果ではないはずです。

 他にも,新聞に限らず,小売店や飲食店の店舗への出入りが禁止となることは,特定の方に限られたことではありません。カスハラに及べば,当然,そのような対応をされることはこれまでにもあったはずです。
 そこには,客も従業員も,経済活動というフィールドにおいては対等な立場であって,金銭を支払うことと,商品・サービスを提供するという双方の約束により形成される対等な関係によりこれらが成り立っているという考えがあるはずです。

 つまり,そこには優越的な関係は,本来,存在しないはずです。

 このような認識を国民(従業員と顧客等の双方)が有していれば,カスハラのようなことには至らないはずですが,もちろん,客がいなければ商売は成り立ちません。
 私だってそうです。
 現実はそんなにうまくいかないことは知っていますし,難しい依頼者の対応もしなければならないときもあります。
 しかし,つい先日,電話口で「お前バカか」といわれましたが,その方に尋ねるとそれでも「相談をお願いしたい」というため,丁重にお断りしたことがありました。
 このような対応ができるのは「弁護士だから特別だ」と誤解されてしまうと残念ですが,少なくとも,客は神様ではないはずです。

 この国(諸外国でもそうかもしれません)では,客が優越的な地位にあるという暗黙の了解が根底にあるのだろうと思います。昔の歌謡曲にそんな歌詞があったように記憶しています。
 そして,立法がされなければそのような関係が理不尽であるということについてすら考えが及ばないほど,そのことが当然とされているのではないだろうかと思うと,やはり,モヤモヤしたものを感じてなりません。

大臣の取った態度の意味

 少し前に,総理の特使として派遣された大臣が,アメリカ大統領から渡された帽子を被ったり,自らを「格下」と述べて大統領を持ち上げるようなコメントをしていました。

 このことについてどう考えるべきでしょうか?

 国内のメディアでは,それに対する国会議員等の意見として「毅然」とした対応を求めるというものがいくつも紹介されていました。その大臣の態度が,米国に対して遜った,対等でないもののように理解されたのだと思います。
 その時,確かに,私自身も,その大臣の態度について,あまりにも謙りすぎているように感じたことは事実です。

 役所にいた時,とある議題について,いくつかの関係する省庁から職員が参加して会議をすることがありました。
 その際には,格下の省庁と見られないため,その会議の責任を負わされないためという観点で,どの役職者が参加するのかを慎重に検討することがありました(課長代理で済むところを課長本人が参加する必要はないということです。)。

 そのため,上記の大臣については,総理大臣との会談でもないにも関わらず,あえて大統領が参加したことを逆手にとって,日本の立場を有利にしうるだけの機転のある対応が期待されたのではないかと思ったところです。
 そう考えると,「毅然に」という意見が出されるのも自然だと思われます。

 しかし,とある雑誌では,その大臣の対応を肯定的に評価するコメントを掲載し,「毅然に」などと注文をつける政治家に対して,状況や戦略の理解が欠けているとのコメントを寄せていました。
 どういうことかというと,大統領を持ち上げて,機嫌を良くし,その本音を喋らせて真意を探るという戦略がそこにあったということです。
 だから,大統領のサイン入りの帽子を被り,大統領を持ち上げるような発言に終始した大臣の対応は,そのような戦略に基づいてなされたものだったというのです。

 確かに,報道を見る限りでは,それ以後,上記の大臣が数回渡米して交渉を継続していますが,アメリカの強い要望に対して,何か譲歩したという状況にはなっていないと思います。
 現時点でも,アメリカの一方的な決定に対し,全面的な見直しを継続して求めているようで,確かに,帽子をかぶって陽気な表情を見せたことが,ただただご機嫌どりをしただけではなかったという解釈が当たっているようにも思えます。

 仕事柄,程度の差はあれ,交渉ごとが多い立場として,とても勉強になりました。

あまりにも無関心すぎませんか?

 お金の支払いを求める仕事の中で,依頼者の相手が自殺したことが過去に2回ありました。当然,私の弁護活動が,相手にとって負担であったのは事実だと思います。

 そうであっても,依頼者側の立場で,正当な権利行使として弁護活動を行なった以上,それについて責任を問われることはありません。
 そのため,相手方が自殺したことを聞いたとき,依頼者との関係があるため,「そうですか」「相続放棄するかどうかですね」と淡々と対応したものでした。

 しかし,内心は複雑です。

 個人的な考えではありますが,自殺は自己決定で行うものであるとの認識から,本人の決定については尊重したいと考えています。つまり,死者に対して,自殺したこと自体を非難することはしないということです。

 しかし,他方で,そのような自己決定をさせるに至らせてしまったそれ以外の者として,何らかの責任を感じるべきだし,そうなるのが自然ではないかと考えています。関係者という意味でもそうですし,同じ社会の構成員という広い意味でもそうです。

 もちろん,私の場合,依頼者の相手方ですから,直接,破産を勧めるようなことはできません。
 しかし,弁護士という社会的な立場にある身としては,自殺を回避する手段になりうるものとして,そのような方法(破産)の存在が社会的に周知されていないということについて,ある種の責任を感じざるを得ません。

 少なくとも,人が亡くなったことについて,無関心ではいられません。

 では,政治家である立花氏,斎藤氏,石丸氏はどうか?

 個人の住所をSNS上に晒す,無関係な情報をリークする(よう指示する),過激な言葉で個人を非難することで,結果としてその対象となった方々が自ら死を選ぶ事態に至っています。
 もちろん,その間に介在した事情(支持者が押し寄せる,嫌がらせの電話が鳴るなど)があり,直接的な因果関係がないといえばそうではありますし,法的な責任がないといえばそうでしょう。
 しかし,自己の行為とは全く無関係であると言わんばかりの発言や態度を見ると,そこまで割り切ってしまえることなのかと,政治家としての資質以前に,人として問題があるのではと,疑問を感じずにいられません。

 あまりにも無関心すぎませんか?
 それとも,サイコパスなんですか?

 私の個人的な経験ですが,23歳の頃,就職活動として官庁訪問を行なった際,ある役所の方から「まだ人は死んでませんから」と言われたことがあります。
 これは,その当時,ダイオキシンが各種メディアで取り上げられ,社会的な問題とされていたことに対しての発言でした。

 しかし,この発言は,人命に関わるものではないため,それよりも優先される問題(例えば,農薬など)があるということを意味するものでした。
 このことを反対に言えば,人が亡くなるというのは,行政としても,その問題の有する危険性が一線を超えることを意味するということです。

 例えば,労働行政であれば,労働災害のうち,死亡災害が発生すれば,必ず原因の調査が行われ,多くの場合,刑事罰を課すための捜査も着手されることになります。
 行政においても,それだけ人命が失われることが重大であると認識されているということです。

 私の携帯電話のメールには,いまだに「あなたの携帯電話の番号が公衆トイレに落書きされていました。心配になり連絡しました」という迷惑メールが届くことがありますが,他人の個人情報を晒しものにすることに,どのような意味があるかは分かりますよね?
 そして,そうすることで,どのようなことが起こるのか,想像できませんか?

 職務中にプライベートなことをすれば,職務上の問題にはなるとしても,それによって自己の行為(告発・公益通報の対象となった行為)に対する批判や責任が軽減され,正当化されるという関係にはありませんよね?
 それとこれとは別問題だと理解し得るだけの知性を有している方の行為であることからすれば,別の目的があってそうしたということですよね?

 大勢の前で「恥を知れ」と怒鳴るのは,職場であればパワハラです。
 公人(議員)に対する発言であることを理由にパワハラにならないとしても,あなたが指摘した事実を建設的に解決しようという目的でそのような発言に及んだわけではありませんよね。
 ただ,自己の感情を満たす,あるいは他の目的(再生数を上げる)のためにそのような手段を使ったんですよね?

 たとえ民意によるものではあるとしても,私は,彼らに公的な地位を与えることについて,疑問を禁じ得ません。

コンクラーヴェの導入は?

 今年の4月に先代のローマ教皇(法王)がなくなり,今月,あらたな教皇が選出されたのはご記憶に新しいと思います.
 その選出する過程・手続のことを「コンクラーヴェ」と呼ぶそうです.

 日本における,「天皇」についても,憲法及び皇室典範の定める世襲制ではなく,希望者のうちから適格性を有した方を「皇族資格者」として,その中から,コンクラーヴェと同じような方法で「天皇」を選出するようにしたらどうだろうかと思ったところです.

 そのように思う理由は,「天皇」を世襲とすることで,本人の意思によらずに,その人(天皇)の一生を国家の制度に組み込んでしまうことに,私が反対だからです.

 憲法1条は,「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定し,同2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と規定しています.

 要するに皇室に生まれた以上,「天皇になりたくない」「皇族はいやだ」と言えないということです.

 憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」として,天皇は,政治的な行為を行わないものとされています.
 そのため,天皇であることに特殊な能力は求められていません.世襲(血のつながり)であることにどれだけの意味があるかといわれても,歴史的な理由はあるとしても,それだけの犠牲を強いるだけの理由になるとは到底思えません.
 そして,同1条が「象徴」とするのであれば,「皇族資格試験」のようなものを作り,天皇が政治的な権能を有しないことをはじめ,過去の皇族の行為などの歴史上の出来事等について基本的な知識等を備えた方を合格者として「皇族資格者」とし,その方々により日本版コンクラーヴェを行い,「象徴」にふさわしい方を選ぶというのが良いように思いますが短絡的でしょうか?

 「天皇」となることが,一般国民に対しても門戸が広げられれば,それを利用して政治的な活動を行おうとうすることは危惧されますが,憲法3条が「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と規定し,前述の憲法4条で権能は制限されています.
 その上で,そのようなことを理解し,「象徴」を任せて良いと判断される方をその時々の「天皇」とすることでよくないでしょうか?

 天皇は男系男子に限り,それを維持すべきなどの議論がされていますが,生まれながらにして,「皇族」としての地位と責任を負わせるという制度は,現代においては,やはり無理があると言えないでしょうか.

 憲法改正を検討するに当たっては,まず,この点の改正をしてはどうかと思いますがいかがでしょうか?

交通事故をなくす方法

 どうしたら良いでしょうか?
 そんな方法があれば,警察庁がとっくに採用しているはずです.
 しかし,確実に件数がゼロとなる方法があります.

 それは,「交通事故」の定義を変えることです.

 一般的には,交通事故とは,自動車による事故と捉えられていますが,これを明日からでも「飛行機と船舶との間で生じた事故」を交通事故と定義しなおせば,日本ではほぼゼロになるでしょう.
 ふざけてはいますが,これは,私の司法修習の同期が言っていたことです.

 ところで,「凄腕女性弁護士」との記載とともに「性暴力はない」という趣旨の見出しが,新聞の下の方にある週刊誌の広告の中に記載されていました.とあるテレビ局の社員を被害者とするタレントの行為に関してのものです.

 実際,何があったのか,私は真実を知るものではありませんが,各種報道から推測して,おそらく性交渉はあったんだろうと思われます.
 しかし「同意があった」と言わないところに,弁護士的な発想が垣間見えて,あまり気分が良くないと感じたものです.

 つまり,「性暴力」の定義をどのようにするかにより,事実(真実)として何があったかは別にして「性暴力はなかった」といえる,あるいは,そのような印象を出そうとしているのだろうと想像できるということです.

 私自身,仕事では,依頼者との関係上,積極的に嘘はつかないが,相手のいう事実関係を認めることはせずに,それと異なった事実があったかのような主張をすることはよくありますし,されることもあります.
 それが功を奏して,裁判所が認定できる事実の範囲が変わってくることがあるのは実際のところですし,そうならないこともあります.

 そのタレントさんが,自身の名誉を守るために「性暴力はなかった」というのであれば,私としては何も気に留めずにスルーしたと思いますが,「弁護士」との記載とともにされると,ちょっと,考えてしまいます.

 繰り返しますが,私自身,真実は知りませんので,それ以上のことは言えません.
 しかし,彼から依頼を受けた「弁護士」がどのような思考回路を有するかということを理解できる以上,「同意があった」と言わないことから,その背景に潜む事実を想像してしまい,やはり,複雑な心境にならざるを得ません.

タイミングが良いのか悪いのか

 先日,極度のめまいと吐き気に襲われ,立つことができなくなりました.
 自宅トイレでうずくまったまま,左側の壁にもたれながら,頭の中がグルグルと周り,断続的に襲ってくる吐き気のたびに嘔吐して,いつ回復するのかわからないまま時間を過ごしました.
 当然といえば当然ですが,家族に救急車を呼んでもらいました.
 救急車デビューです.

 実のところ,軽々しく救急車を呼ぶ方が多いことが社会問題化したことがあり(今もそうかもしれません),救急車を呼ぶことに躊躇していたため,搬送される途中で,隊員さんに「私って,救急車呼んでよかったんですかね?」と尋ねたところ,「脳の関係は時間との勝負ですから呼んでもらって構いませんよ」と答えられました.

 ところで,その時,うずくまりながらグルグル回る頭の中で考えたことは,翌日の仕事をキャンセルしなければならないことと,子どもの教育費のことと合わせて

 「明日の朝,バイクに乗る予定だったのに,無理か」

ということでした.

 実は,先月,事業資金の状況を睨みながら,
 「あと何年生きるだろうか」
 「たとえ長生きしても体力は日々衰えていくだろう」
ということが気になり,大型バイクの購入を久しぶりに真面目に考え始めました.

 これまで何度も,新製品が発売されるなどのたびに,動画やメーカーのHPなどを羨望の眼差しで眺めながら「あぁ,いいなぁ」と思いつつも,経営状況がいつ悪化するかわからないという心配を前に,購入に踏み出すことができずにいました.

 しかし,この時に出した結論は,この先の事務所経営を心配するよりも,確実に衰えていく体の方を心配すべきだということでした.
 ようやく踏ん切りがつきました.

 その結果,バイク屋に電話して「〇〇ください」と告げたのち,先月中ごろに新車を購入する契約をしました.
 そして,今月5日に納車され,念願の大型バイク生活を手にしたところでした.

 そうしたところ,まさか,こんなに早く(納車から2週間)生命の危機(?)ともいうべき事態が起きるとは思ってもいませんでした.
 タイミングが良いのか悪いのか,よくわかりません.

 なお,幸にして,検査の結果,脳に異常は見当たらず,経過観察ということで一泊の入院で帰宅することができました.三半規管に問題があるだろうということでしたが,「脳」は私にとっての最も重要な仕事道具ですので,かなり肝を冷やしました.

 今もまだ,左にやや傾いている感じがします.
 昨日は,お米を研ぐ自分の手を見ていたら目が回り始め,めまいが襲ってきましたので,もしかすると,今後の人生では,このめまいと付き合いながら生きることになるかもしれません.

 このまま回復すれば,バイクに乗ることも含め,日常生活に支障はなさそうですが,人生,何があるかわかりませんね.
 いい勉強になりました.

こんな大人になりたい

 昔,轍にハマった車,縁石に乗り上げて自走できなくなった車があると,どこからともなく,複数の方々が集まってきて,みんなで「よいしょ」という感じで車を持ち上げて復旧させて去っていく様子を比較的多く見かけたような気がします(気がするだけで,客観的な統計値によるものではありません.).

 随分前のサッポロビールのCMでそんな場面があり,何人かの男性が自然と集まってきて,自動車を持ち上げて縁石から外すというものがありました.
 トラブルが解決したのち,男性たちは,運転手がお礼を言うのを待たずにそれぞれ元々の行き先に向かって歩き出すと,その時にみな,サッポロビールの6缶パックを手にしているというものだったように記憶しています.

 率直に「そんな大人になりたい」と思ったことがありました.

 ここ最近,個人からの依頼のうち,そのいくつかが上手く解決し,かなり安堵しました.
 弁護士は,元々なりたい職業であったわけではなく,生活もあってやっている面があるけれど,やはり,うまくいった時,あるいは感謝される時はそれなりの充実感や満足感を感じます.

 弁護士にとって,会社からの依頼だと,1回限りというよりも継続的に依頼が来ることもあるため,良い時も悪い時も含めてお付き合いをする感じの場合が多いですが,個人からの依頼は,基本的に1回限りが多いです(反対に,何度もトラブルが起こるような場合はむしろよくないと思っています.).

 個人の依頼者については,そんな関係だからこそ,その依頼が無事に解決した時には,そのCMの出演者の演じた役のように,冷えたビールが緩くならないように,何ごともなく急いで去っていくような感じでお別れできれば良いと思っています.

 ですから,依頼者と最後にお会いする際は,「また何かあればよろしくお願いします」ではなく,「もう何事もないようにお願いしますね」といってお別れしています.

N国党の立花氏

 今年の3月14日,彼が,路上で切り付けられたことについては,率直に,起きてはいけないことだと思う.

 他方で,立花氏が,都知事選の候補者掲示板を占拠したことや,兵庫県知事選,千葉県知事選に立候補して,自己の当選を目的としない選挙活動(?)に終始することも,良いとは思わない.

 ただ,選挙活動における表現の自由は保障されなければならないし,また,被選挙権との関係でも,自由な選挙活動が保障されるべきだと思う.

 だから,単に,立花氏及びその率いる政党は,選挙で落ちれば良いと思うし,国民の多くがそのように投票行動に出てほしいと思う.

 民主主義を守るというのはそういうことだと思う.

長く生きるということ

 小学生になって以降だと思いますが,祝日が増えればいいなと思い,天皇がたくさん変われば,それだけ天皇誕生日が祝日になると思ったことがありました.つまり,長生きした末は,たくさんの祝日の存在する将来を期待したということです.

 発想が安易で幼稚ですよね.

 でも,この年になり,当然ながら,天皇誕生日はそう簡単には増えないことを理解しただけではなく(当然です.私と同じ時間の中を同じ速さで生きているわけですから),反対に悲しい・辛い記憶が増えていくことを実感するようになりました.

 1.17 阪神淡路大震災
 3.11 東日本大震災
 3.20 オウム真理教サリン事件
 9.11 アメリカ世界同時多発テロ

 これら以外にも,パンデミックをはじめ北海道南西沖地震,新潟中越地震,熊本地震,石川能登地震など,自分の受けた印象の強さから正確な日付までは覚えていないものもありますが,私以上に多くの記憶や経験を有する方もいるかと思います.

 何事もなく,心穏やかに生きていきたいと思っていますが,たった50年近く生きただけでも,なかなか,難しいですね.