私の受ける依頼・仕事は,どのような内容であっても,責任の伴うことは間違いありません.しかし,特に「責任の重さ」を感じる時があります.
つい最近,改めてそのように思ったことがあったため,その時のことを少しだけ.
このテーマとは何も関係がないように思われるかもしれませんが,我が家には7匹の猫がいます.いずれも保護猫です.
これまで,身近に存在が確認できた野良猫を保護し,そのうち,幸にして引き取り手が見つかったものは譲渡してきましたが,懐かなかったりして,譲渡が難しいと考えたものについては,我が家で引き取ってきました.
その猫たちを見ると,「簡単に倒れられない」と思うわけです.
たとえ私が倒れることがあっても,家族については,行政による保護や,生きていく上で何らかの援助を受けられることが期待できる場合が,多くはありませんが存在します.自分で生きていくだけの選択肢もある程度はあるはずです.
しかし,避妊・去勢をされ,家の中での生活に慣れた猫たちは,新たな住まいに連れて行くことができるかどうかは分かりません.
そうできない場合,譲渡先が見つかり,新たな飼い主のもとで生きていければ良いですが,それについても人間頼みです.
もし,再び野良猫として生きていくとなれば,相当な困難が伴うことが容易に想像されます.そこには行政による保護も,誰かからの何らかの援助も期待できません.
おそらく,飢えて死を待つということになるでしょう.
ですから,簡単に倒れられないというわけです.
先日,とある依頼者のもとにいき,事件の打ち合わせをしてきました.
そこには,避妊手術を受け,そのことがわかるように耳をカットされた黒猫がいました.依頼者のお店の看板猫だそうです.
私が黒猫を撫でていると,飼い主(依頼者)からは,看板猫で
「食事と自由が保障されている」
という説明がありました.
また,打合せの際,黒猫が自由に外を出歩いていましたので,完全室内飼いではないことも分かりました.「自由」とはそういう意味だと理解しました.
つまり,その黒猫は,依頼者のもとで,地域猫として保護され,地域猫として餌をもらっている身分だろうということです.我が家の猫たちと比べれば,享受しうる自由には,雲泥の差があります.
ところで,その黒猫は,「食事と自由」は確かに保障されてはいますが,依頼者がそこでの事業を辞めてしまった時どうなるのか.今回受けた依頼(相談)内容からすれば,そのような選択肢もないわけではありませんでした.
事件の詳細については申し上げませんが,依頼者は,とある競業する大手の業者に睨まれ,まさに事業を潰されようとしている状態にあります.その事業自体,確かに歴史は長いのですが,そこまでして維持しなければならない「宿命」と言いうるようなものがあるともいえませんので,辞めることも不可能ではありません.
また,依頼者は,話の端々からすると,それなりのキャリアを有しているようで,事業を行う上での能力に申し分はなさそうです.辞めてしまえばある意味,シガラミから解放され,かえって楽になれるはずです.
何より,子供がゴミを.材料の入っている袋の中に入れようとしたのを見るや,自分の手に持っていたスマホを放り出して,そのゴミをキャッチしたのを見た時は,「素晴らしい」と感心してしまいました(なお,スマホの画面はしっかりとヒビが入っています.).
おそらく,私なんかと違って度胸もあり,新たな可能性を求めて新規に事業を立ち上げるなどすれば,自由な発想とキャリアを武器に,もっと活躍できるだろうと思ってしまいます.
そのため,依頼者についてはいつまで事業を続けるか,あるいは別の場所に移り別の事業を行うという選択は自由にできるはずですし,そうしたとしても,何も支障があるようには思えません.
その場合,おそらく看板猫も一緒に連れて行ってくれるはずではありますが,自由な黒猫が,そのことを理解して素直についてくるかは分かりません.
ついてきたとしても,少なくとも,人間の都合で,これまで生きてきた環境が大きく変わり,それまでに享受していた自由を制約されることになるはずです.
万が一,うまく連れて行くことができなかった場合,その黒猫には,「飢えるための自由」しか残されないことになるかもしれません(飼い主が連れて行ってくれないと思ってはいません.猫って,そんな生き物なんです.そこは誤解しないようにお願いします.).
そんなわけで,依頼者の事業が脅かされることなく続けられるようにすることも大事なんですが,そこには,黒猫の「食事と自由」もかかっていると考えると,改めて「責任の重さ」を感じずにはいられなかったところです.
「そんなことで?」と思われるかもしれませんが,そんなものです.
今後,今回の事件がうまく解決すれば,おそらく,依頼者の事業は無事に継続できることになるでしょうし,それと合わせて,時代錯誤のしがらみも消え,更なる発展も期待できると思っています.
その時,依頼者に生じた困難と,依頼者がそれを乗り越えたことについて,メディアが大々的に報じることはないでしょうし,SNSに投稿したところで何人かはそれを目にするとは思いますが,良い意味で炎上する(バズる)こともないでしょう.
しかし,今回の事件がうまく解決することにより,その黒猫は,いつものように店の前で我々を出迎えてくれるはずですし,そのことが,今回の事件の結末を何よりも雄弁に物語ってくれるはずです.
ですから,黒猫の「食事と自由」を守らないといけないと思うわけで,そうすると,「責任の重さ」を感じずにはいられないということです.