司法修習(前期集合修習)

 司法修習は,司法試験の合格者を対象に,法曹資格を付与するために行われるものです.要するに研修です.
 しかし,単に研修を受講すれば資格をもらえるというものではなく,2回試験と呼ばれる試験に合格しなければなりません.また,裁判官か検察官になろうとする場合は,事前に内定をもらった上でこれに合格をしなければ,裁判官,あるいは検察官として採用されることになりません.
 修習は,埼玉県和光市にある司法研修所での2か月間の前期集合修習,全国各地(私の場合は大阪)での1年間の実務修習,そして司法研修所に戻って2か月間の後期集合修習の,合計1年4か月(私の場合は2010年4月から2011年7月まで)で構成されます.
 ここでは,そのうち,前期集合修習についてご紹介します
 なお,現在では,新司法試験の合格者を対象とする関係から,司法修習の期間はトータルで1年間とされているようです.反対に,私よりも修習期の古い方の修習期間は,1年4か月よりも長かったそうです.

・人生で6回目の引越し

 司法試験の最終合格後,翌年の3月の途中まで新聞配達を続け,現行64期の司法修習生として,4月から始まる修習に参加するため,人生で6回目の引越しの準備を始めました.
 といいましても,司法研修所は,最高裁判所が所管する機関で,そこで修習を受ける修習生等のために寮が備え付けてあるため,家具や電化製品等の搬入は不要で,長期の旅行に出かける程度で足りるものでした.

 ちなみに,私の場合,(36期の)労働基準監督官として採用された年,新人監督官研修(新監研修)というものを(当時の)労働大学校で約2か月半受け,その際,全国の同期の監督官との寮住まいを経験したこともあり,生活環境自体は似たようなものだろうと,気楽に考えていました.

 そして何より,司法修習生は,裁判所職員と同じ公務員としての身分保障がされていたのが大変ありがたかったです.
 つまり,給費という名称で給与,賞与が支払われ,その期間は社会保険としての共済に加入でき,収入等が保障されるということです(なお,その当時,次の修習期を最後に給費が廃止されることが予定されていたため,司法試験に合格しながら修習を受けていなかった方が,数名,駆け込みで修習を受けにきていました.).

・司法研修所と労働大学校の違い

 司法研修所には,模擬法廷があるのは当然のこととして,座学での講義を受けるための大学の講義室のような部屋(教室)から資料室など,研修・研究機関としての設備が整っていました.
 履修すべき科目としては,民事裁判・弁護,刑事裁判・弁護,検察の3分野5科目があり,それぞれに担当となる教官(民事の裁判官,刑事の裁判官,検察官,民事の弁護士,刑事の弁護士)がいました.

 住処となる寮は個室で,台所(炊事はほとんど予定されず電子レンジがあるぐらいです)や洗濯機は共用でしたが,個室にはユニットバスが備え付けられ,新監研修のときのように,共同浴場で決められ時間に入浴しなければならないという制限はありませんでした.
 そして,新監研修と異なり,門限もなく,必ず寮で寝泊まりする必要はなく,自宅などから通うことも認められていました.
 他方で,個室には,広めの机(正確には出窓のようなところに備え付けられた板)があり,勉強をするためのスペースが広めに確保され,新監研修のように,出席すれば良いというのとは異なり,卒業試験である2回試験が控えている立場であることを強く認識させられました.
 そのようなことも含め,司法研修所での生活は,役人として組織の管理下にあった新監研修の時よりも,はるかに,個人の自律を尊重したものに思えました.

 しかし,その反面,修習生に対しては,自己責任・自己負担が基本的な考えとされ,その点で,新監研修の時との違いに戸惑うこともありました.

 例えば,共用のパソコン,プリンター,複合機はなく,修習生が使用するパソコンは各自の所持するものを持参して使わなければなりませんし,書面を印刷するには,プリンターを持ち込むなどしなければならず,さらにそれを配布するためのコピー代は当然ながら自己負担です.

 さらに,全国各地で行われる実務修習のために,修習生は,それぞれ各自で部屋を探して契約し,それぞれの地での修習に参加するための準備もしなければなりませんでした.実務修習地にも寮があるのだろうと思っていたため,そうでないことを知り,かなり焦りました.

 司法修習生は,公務員と同様の身分保障はされるものの,そのほとんどは弁護士となり,裁判所の職員等として司法制度の運営に貢献するという立場にはない以上,裁判所からすれば,やはり,裁判所外部の者が修習を受けに来ているだけで,それ以外のことまで面倒は見ないというのがそのスタンスだったのだろうと思います.
 それに対して,新監研修は,行政職員として組織で働くことが前提となっていたため,その時の生活等が行政の管理下に置かれるとしても,行政職員としての職務を執行するための環境や福利厚生が備わっているということだと理解できました.
 当然と言えば当然ですよね.
 考えが甘かったです.

・現行64期

 私の所属した現行64期は,同時に行われた新司法試験合格者による修習と区別して,「現行」64期と呼ばれましたが,これに対し,新司法試験合格者によるものは新64期とよばれました.
 現在は,新司法試験しかありませんので,「新」をつけずに単に「○期」と呼ばれているようです.

 そして,現行64期は,最後から2番目の旧司法試験合格者が大半を占めていましたので,その数も,全員で約100名,クラスは1組と2組のふたクラスしかなく,私は,2組に配属されました.
 その上で,別にご紹介します実務修習は,1組は全員が東京,2組は,20名が東京で残りの30名が大阪に割り振られました.私は,大阪に住んだことがなかったため,大阪を希望していたところ,希望したとおり,大阪修習に割り振られました.

・10歳年下の同期

 修習の同期については,当然ながら,受験仲間もいなかった私にとって,自分以外にどのような属性の方が修習生となっているのか全く知らないままでした.

 新人監督官研修の時は,私は当時24歳(1年間の就職浪人)でしたので,年下は最も若くても23歳,上は,最も年長でも30歳(?)でしたので,当時の気分としては新卒の感覚でいました.
 そのため,修習においては,当時の私とは異なり,属性としては,年長の側に含まれるだろうと予想していました.

 その予想は確かに正しく,私と同じように,一度社会人を経験して受験に合格した方,社会で仕事をしながら受験し続けて合格した方などが多く,年齢の幅については,新監研修よりも当然広く,はるかに多様な方々が集まっていました.
 そして,その中に,私と同じように,公務員として霞が関での勤務を経験した方がおり,別のところでもお話ししますが,司法試験の受験について,「人生を賭けた」と言っていたのは,非常に共感したところでした.

 その反面,修習で最も若い同期は23歳,つまり,大学在学中に司法試験に合格し,卒業と同時に修習生となったという方でした.そのため,10歳年下ということに驚くだけでなく,早期に司法試験に合格したということで,修習の過程でも,その優秀さに驚かされました.
 しかも,そのような同期は1人や2人ではなく,正確な数は把握していませんが,全体の約25%が現役での合格者だったと聞いたような記憶があります.
 また,その頃は,新司法試験(ロースクール経由で受験)のためにロースクールに入学しながら,卒業後の新司法試験を待たずして私と同じように旧司法試験に合格し,修習生となった方もいて,やはり,そのような方々を含め,早期に合格した方々の優秀さには驚かされるばかりでした.

 そして何より,社会経験がある同期等と,現役かそれに近い年齢で合格した同期とでは,やはり,その時の置かれた状況に雲泥の差があると感じたものです.
 つまり,私と同じような立場の同期は,法曹として働くことが最終的なゴールとして司法試験に挑戦してきたのに対し,現役合格等の同期は,司法試験合格から法曹としての経験は,人生のキャリア形成におけるステップアップの一つでしかなく,その後,別のフィールドで活躍するであろうことを想像しながら法曹を目指したという方が多かったということです.
 年齢が違うのはそうだとしても,人生における法曹資格の位置付けに,大きな差を感じたところでした.

 正直なところ,生活のために司法試験を受験した私としては,そのような彼らの,なんというか「キラキラした感じ」がとても羨ましく思えてなりませんでした.

 なお,両親の双方ないし一方が法曹関係者の方も少なからず存在していたため,生育環境により,選択する進路に影響が当然あるであろうことも感じたところでした.

・初めての就職活動

 修習で初めて同期と会うことになり驚かされたことがもう一つありました.
 それは,若い方々は,大手ローファーム(4大事務所とか5大事務所とかいわれる数百名規模の弁護士が所属する法律事務所)等に就職の内定を得ていたことでした(といっても,驚くほどのことではなく,単なる私の情報収集不足というだけのことでしかありません.).

 私が合格した時期というのは,司法制度改革により,司法試験合格者が増加するとともにロースクールができ,弁護士が増え,就職先を見つけるのが大変な時代となっていた時期です.
 しかし,それにもかかわらず,現役合格者等は,すでに就職先を確保して修習に臨んでいたということに衝撃を受けるともに,自分の中で大きな焦りとなりました.

 そのため,修習の同期から,関東近郊の法律事務所が集まって就職説明会を開催するということを聞きつけ,私もそれに参加することとしました.
 公務員試験やそれに伴う官庁訪問等は別にして,民間への就職については,アルバイトの面接ぐらいしか経験がなく,焦りに任せて行動してしまった自分自身に対し,「人生で初めての就職活動」と内心では自嘲しながら,同期とともに説明会の会場に向かいました.

・バッジをつけた以上プロである

 しかし,その日のうちに,私の短い就職活動は終了しました.
 なぜでしょうか?
 その日のうちに就職先が決まったからでしょうか?
 いいえ,「即独」することを決意したからです.

 その当時,司法試験合格者の増加にともない,弁護士の就職難が問題視されるようになりました.実際,司法試験に合格しながらも,弁護士になることを諦める方もいたような状況でもありました.

 また,組織内弁護士といって,企業に採用され,弁護士資格を有した会社の社員として働く方の増加も期待されましたが,当時は,それほど需要が認識されていませんでした(現在は,結構な数がいるようです.).

 そのため,自ら希望してなのかどうかはわかりませんが,修習を修了したのち,どこの事務所にも所属することなく,弁護士登録と同時に独立するという方が,少数ではありますが,確かに存在していました.
 このように独立した弁護士の開業形態をさして,「即独」と呼んでいました.
 私の場合,これを選んだということです.

 その理由は,とある弁護士の言ったことに端を発しています.
 それは,その就職説明会の中で,とある弁護士から

 「バッジをつけた以上はプロである」

 と言われたことです.
 この言葉の意味については,文字通り理解してもらっても構わないのですが,やや説明が必要です.

 まず,その前提として,いくつかの法律事務所では,1年間に限り,養成期間として弁護士を雇用することを行っていました.今でもそうです.
 そして,1年間の養成期間を終了した弁護士は,過疎地にある法テラスの事務所で働くことが予定されていました.
 つまり,ここでいう過疎地とは「弁護士過疎地」という意味で,法テラスの公設事務所で所長となって働く代わりに,1年間の雇用が約束されるという制度が存在したということです.

 就職説明会では,当然,この制度を前提に弁護士を採用する事務所があることについても説明があり,そのような事務所のブースも設けられ,ブースを訪れる修習生に対して説明も行っていました.
 しかし,修習生としては,私もそうでしたが,「1年間」という期間について,正直なところ十分だと感じることはできませんでした.
 そのため,説明会に参加していた同期の1人が,この養成期間について1年間では短いと発言したところ,その受入れをしている事務所の所長が,やや,怒りを込めて放った言葉がこれでした.

 当然ながら,誰もこれに対して反論することはできませんでした.
 それを聞いた私としても「確かにそうだ」としか思えず,そしてそのことは,私の頭の中では,1年間という期間の問題ではなく,養成というシステムが存在すること自体も否定されるべきだと考えるに至りました.

 そしてその瞬間,「即独」の2文字が頭の中に浮かびました.

 何らかの人生設計があって就職活動を開始したわけではなく,就職先から内定をもらった同期の存在を目の当たりにし,焦りに駆り立たされて,なんの疑問もないままに就職説明会に参加した私にとって,当然ともいえる決断でした.

 そもそも,官僚として役所という組織の中で働いた際に,(理不尽な)上司や形だけの決裁ラインが存在することに対する煩わしさや不条理さを120%感じていた過去の経験からすれば,その判断は,私にとって極めて自然に感じられたものでした.

 もちろん,弁護士として社会に復帰するだけでなく,経営者という立場で自分の生活に対しての責任を負わなければならないことに不安もありました.
 しかし,今までの人生で自分が手にしてきた知識や経験を,他人の意向に従って使うことを半ば強要されることから解放されることを考えれば,その程度のリスクは負うべきだろうと割り切って考えたものでした.

 その結果,その日のうちに私の短い就職活動は終了しました.

・就職活動についての余談

 即独することを決意したものの,就職説明会に参加するよりも前に,日弁連の開設する就職者情報サイト(ひまわりナビ?)に登録したことや,福岡の法律事務所に訪問の予約を入れていたことから,それをこなす限りで就職活動(らしきこと)が継続されました.

 そのため,福岡に一時的に帰省した際には,その法律事務所にお邪魔し,事務所の雰囲気を見せてもらい,事務所での仕事の様子について所属する弁護士から説明を受けました.

 また,ひまわりナビに登録したことで,私のプロフィールを見た法律事務所から,「いちど事務所に訪問しに来ませんか」という旨のお誘いも2つほどいただきました.
 1つは,私以外にも複数の修習生に案内を送っていた事務所のようでしたが,著名な最高裁判決が出された事件に関わった弁護士の事務所とのことでした.
 もう1つは,私が東工大の卒業性だという経歴を見てのことだと思いますが,愛知県で知的財産,つまり,特許などを専門的に扱う特許法律事務所からのお誘いでした.
 2つ目の事務所については,知的財産という点で魅力を感じないわけではありませんでしたが,いずれについても,既に即独を決めた後でしたので,丁寧にお断りさせていただきました.特に,後者の事務所に採用されていれば,現在,当事務所の業務の大半を占める労働と刑事については,ほぼ,関わることはない弁護士人生を歩んでいたことと思います.

・毎朝の日課

 司法研修所には,体育館があり,自由に使用して良かったため,毎朝,7時頃に管理室に行き,体育館を開けてシューティング(バスケット)をするのが日課でした.
 新聞配達をしていたため,毎朝4時に起きる習慣がついていたこともあり,朝の時間をそのように使っていました.
 そうしたところ,私がシューティングをしているのを聞きつけた同期(合計2人)が,たまに遊びに来るようになりました.
 その同期の1人は裁判官になったと聞いています.
 もう1人は,大手の事務所(4大)に就職したと聞いていますが,実務修習でも同じ大阪で同じ班だったということで,大変仲良くしてくれました.

 そして,シューティングをした後は,食堂に行き朝食(有料)をとるのですが,毎朝,ほぼ限られたメンバーでしたが,大体決まったメンバーで,食堂でいつものように顔を合わせるということも習慣でした.
 さすがに,入寮した同期の全員が来ることはなく,来ても,最大10人程度だったと思いますが,クラス及び実務修習の修習地の違う方とも一緒に食事をしていました.
 
 その中には,とある県の知事を経て,現在,国会議員として活躍している方もいました.修習生となるよりも前から政治家を志して活動をされていたようです.
 修習が終了し,事務所を開業した数年後,その方のSNSの投稿が流れてきたことがありました.思わず「何度か食堂でご一緒した中野です」とDMを送ったところ,「あのごはん,美味しかったですねといいたいところですが,・・・.」と,やや意外な返信がありましたが,無事に友達として登録してもらいました.