現行64期の司法修習は,座学を中心とした集合修習が2か月間,その後,1年間は実務修習(検察,刑事裁判,弁護,民事裁判)を各地の裁判所,検察庁及び弁護士会で行い,その後,後期集合修習が2か月予定されていました.
ここでは,前期集合修習から実務修習の地である,大阪へ引っ越しをするまでと,大阪での私生活をご紹介します.
その当時,公務員の感覚が抜けていなかった私は,和光(埼玉県和光市)に研修所があるくらいだから,実務修習の各地でも,研修所のような寮が完備され,そこに住むのだろうと勝手に考えていました.
しかしながら,実際は,各自で物件を探し,そこから毎日の修習に通うことが予定されていたため,前期修習の間に,大阪で住むための物件を探さなければなりませんでした.
● 物件探し
大学入学の頃,福岡に住んでいながら東京の下宿先を探すのに苦労した記憶があったため,埼玉県の和光市にいながら大阪の物件を探すということになるとかなりの困難があるのではないかと考えていました.
大学入学の際は,確か,入学手続きのために一度日帰りで上京し,不動産屋に仲介の依頼をして一度福岡に戻り,郵送で複数の物件の間取り図などを送ってもらったように記憶しています.その後,同級生と鈍行列車に乗って福岡から広島,大阪を経由して東京まで行った際に,そのうちの半日を使わせてもらい,物件の内覧と契約をしてきたものでした.
しかし,1996年当時と2011年を比較すれば,インターネットの環境が著しく向上し,不動産会社の運営するサイトで物件の間取りなども見ることができるようになっていました.
そのため,サイトから目ぼしい物件を見つけ,それを管理する大阪の不動産屋に電話し,一度,大阪に行くだけで契約まで終了してしまいました.
今の世の中,インターネットのサイトで物件を探すのが当たり前になっていますが,その当時は,そのような世の中の情報技術の進歩の恩恵を,非常にありがたく感じることができました.
⚫︎ 給費制について
私の記憶が正しければ,私の所属した現行64期の次の修習期である65期まで,修習中は「給費」という,いわゆる給料の支払いを受けることができました.
私の場合,最後から2番目の年でしたので,同期には,駆け込みで修習生となる方が数名いました.つまり,司法試験に合格しながら別の仕事をするなど,修習を受けていなかった方が,給費を受けられるうちに修習を受けにきたということです.
給費は,公務員の,確か,1級1号俸と同じ金額で,基本給,住宅手当,通勤手当などが含まれ,同期の間でも,家族がいるかいないか,借りている部屋の家賃の額などによって,少しずつ手当の有無が異なるものでした.
また,公務員の給料と同じように支給されていたため,賞与の時期には,同じように賞与相当額が支給されたのが大変ありがたかったものでした(ちなみに,冬の賞与の時期には,私以外の大阪修習の同期の多くが,身なりが良くなったように記憶しています.).
なお,給費は,新司法試験の導入による修習生の増加にともない,一旦は廃止されましたが,関係者(主に弁護士と現役の修習生)の粘り強い活動により,「給付」として,金額は減りましたが,事実上,復活しているようです.
そのため,給費が廃止されてから給付が開始されるまでの間の世代の方々は「谷間世代」と呼ばれ,その不利益が是正されるべきだということで,いまだに何らかの活動がされていると思われます.
● 大阪旅行(賃貸借契約)
私の場合,修習生として給費の支給を受けられるとしても,その当時家族もいたことと,しかも,即独をすると決意したのちでしたので,そのための費用も準備しなければならず,同期と比べてお金がない(正確には「使えない」)というのが辛いところでした.そのため,部屋を借りる契約のための大阪への往復は,帰りは新幹線に乗りましたが,行きは夜行バスを利用しました.
過去に,東京から福井へ夜行バスを利用したことはありましたが,その時は,大学の同期などとの飲み会で,ほぼ泥酔しながらバスに乗って福井へ帰ったため,バスの乗り心地などは全く覚えていませんでした.
今回は,シラフのままでバスに乗り大阪へ向かったため,首が痛く熟睡することもできませんでしたが,まぁ,無駄遣いはできませんから当然のことと納得していました.
大阪では,午前中のうちに3件ほど部屋の内覧をして,その中から一つに決めて,無事に契約を済ませました.
不動産屋を後にし,梅田駅近辺だったと思いますが,朝食兼昼食を取るために飲食店に入り,部屋が決まった安心感から,思わず生ビールを頼んでしまいました.その後,これから1年間過ごすであろう吹田市豊津町江坂の周辺を探索し,夕食も兼ねて,串カツでビールを飲んで埼玉へ戻りました.
ちなみに,この大阪・埼玉の往復では,部屋を見つけた安心感から,昼過ぎからビールを飲んでしまったこともあり,気が付けば,この旅程中に接種した液体は,全てアルコールだったという,ちょとだけ,調子に乗って散財してしまいました.
⚫︎ 倹約生活
ところで,私の場合,給費の支給を受けることができたとしても,家族がいるなかで,さらに即独することを決めたため,毎月受ける給費の中から,5万円を開業資金として積み立てることにしました.
そのため,当然ですが,同期と比べると,かなり倹約した生活を送らなければなりませんでした.
まず,大阪修習の同期の多くは,修習の中心地である大阪地裁のある大阪市北区周辺に部屋を借りていましたが(私を除き,約2名の例外がいました),私の場合は,市内よりも家賃が安価な吹田市豊津町に部屋をかりました.
その理由は,給費のうち,住宅手当は上限があるからです.
もっとも,吹田市豊津町(最寄駅は御堂筋線江坂駅)に部屋を借りたのは,家賃だけが理由ではなく,通勤手当として,定期代相当額が支給されるからです.
これにより,下宿先から大阪市内へは御堂筋線一本で通うことができ,休日も,定期券を使えば市内までの往復が容易にできるからです.通勤時間は,他の同期よりも少しかかってしまいますが,定期券を使うことで,休日に大阪市内を観光することも問題なく行うことができました.
● 自炊生活
また,実務修習中は,自炊が基本というだけでなく,毎日,自分で弁当を作って持参するという生活を送りました.
そのため,大阪に引っ越した際,最初に購入した電化製品は炊飯器でした.それ以外の照明,冷蔵庫及び洗濯機は1年間のレンタルにして購入費用の負担を減らし,当然ながら,テレビは購入しませんでした.
そして,自炊のため,日ごろは,下宿先付近のマルエツと関西スーパーのいずれかで食料品を購入し,月に2回ほど,米や冷凍食品などをまとめ買いするために,少し距離はありましたが,神戸物産の業務スーパーに通っていました.
業務スーパーには安価で量の多い食材が揃っているため大変お世話になりましたが,自転車もない中で,米の入ったビニール袋を持って帰るのに,ビニールが手に食い込んで痛かったことは今でも覚えています.
それ以外にも,毎月の給費の額が決まっていたため,一月の支出について予算ぐみをして余計なものを買わないようにするなど,なかなか,シビアな生活を送っていました.
ちなみに,大阪修習の頃,業務スーパーの冷凍食品(冷凍の鶏のほぐし身と,ごぼのささがき)が量が多く価格も手頃だったっため,鶏ごぼうをよく作った記憶があります.
また,弁当は,冷凍の焼き鳥を使った焼き鳥丼が簡単だったのでよく作りましたが,麻婆丼を作って持参した際,豆腐が崩れすぎて,弁当を見た同期から
「それなんですか?」
と尋ねられた時は,ちょっと恥ずかしかった記憶があります.
● 外食等
それに対して,私のように倹約生活を送る必要のない同期の多くは,実務修習の期間,昼間は修習地(裁判所や検察庁)周辺の飲食店の開拓を,その日の修習が終わったのちは「鍋部」「肉部」などと称して夜の飲み会に勤しんでいました.
そうすると,私の場合,修習中はアルコールは飲まなかったのか,外食もしなかったのかと思われるかもしれませんが,そういうわけではありません.
確かに,毎日のようにお酒を飲むことはありませんでしたが,休日にはスーパーで購入したビールを下宿先で飲むこともありました.
同期との飲み会も,上記のような「部活」には参加していませんが,模擬裁判の後の懇親会や,大阪修習終了の際の飲み会などには参加していました.
また,大阪駅前第3ビル地下1階の,確か,お店の名称が「つかさや」さん(今はありません)だったと思いますが,ハッピーアワーで,オープンから19時までは,串カツ3本と生ビール1杯が500円で提供されていましたので,その時間を狙って,たまに利用していました.
特に,大学の同期が学会で大阪に来た時など,このお店の存在にとても助けられただけでなく,弁護士になって数年経った頃に,お店の方が私のことを覚えていてくれたことに大変感激を受けました.
もちろん,店長のような方が私に対してかけた言葉は「お兄さん久しぶり」でしたので,もしかすると大阪における日常的な営業トークだったのかもしれませんが,大阪にはたった1年間しか滞在しなかっただけに,ちょっと嬉しかったですね.
● 堂島アンダーグラウンド
実務修習は,検察での3か月の修習からスタートしたのですが,大阪地検・高検の庁舎の地下には,体育館と武道場がありました.そして,関西の検察庁に所属する職員でバスケットボールのチームを作り,毎週決まった日にその体育館で練習をしていました.
検察庁では,全国の検察庁職員による大会も開催されるなど,全国各地にチームがあるようで,また,大阪地検を中心としたチームは,大阪府のクラブチームの大会にも参加するなど,よくある大学のサークルよりは真面目に活動をしていました.
そのため,実務修習の1年間は,検察修習以外の修習の期間でも,練習のある日は大阪地検に通って,練習に参加させてもらっていました.その年の冬に東京であった検察庁職員による全国大会にも同行し,初日だけ参加させてもらいました.
ちなみに,そのチームは「堂島アンダーグラウンド」(DUG)という名称が付けられていました.その由来は,大阪地検(高検)の庁舎が大阪市福島区堂島にあり,その庁舎の地下(アンダーグラウンド)にある体育館があるからだそうです.
同期が「鍋部」や「(やき)肉部」といった部活動に勤しむ中,私の場合は,週3回(土曜日含む)は堂島にある検察庁地下の体育館に行って,バスケットをしたり,筋トレをしたりして1年間を過ごしました.
検察庁で行われる検察修習では,主に検事との交流が多いのですが,私の場合は,バスケットを通じて,修習とは無関係な事務官さんたちと大変仲良くさせていただきました.
⚫︎ 休日の過ごし方
修習は,基本的にカレンダー通りですので,土日はお休みです.
土曜日は,前述のとおり,午前中は大阪地検の地下の体育館でバスケをし,午後は帰宅して洗濯したり食事を作ったりと特に何をすることなく過ごしていましたが,日曜日の午前中は,必ず勉強をしていました.
修習では,裁判官を目指す修習生は,起案(2回試験の練習のようなもの)で良い点数を取らなければならないため,勉強することが当たり前のように言われ,それ以外の弁護士を志望する多くの修習生は,特に,後期修習から2回試験にかけての時期以外は,自主的に勉強することなく過ごすのが当然のようでした(全員がそういうわけではないかもしれません.).
ただ,私の場合,即独することを決めていましたし,2回試験に合格できなかった場合には,次回の試験まで再び「無職」で過ごすこととなってしまうため,そうなってはいけないという危機感が常にありました.
そのため,日曜日の午前中は,必ず,法律関係の書籍を読んで過ごしました.
その代わり,午後になると,江坂駅から電車に乗るのではなく,御堂筋線沿いを徒歩で梅田まで行くのが日課でした.
なぜか?
それは,大阪で時間を過ごすための選択肢が他になかったからです.
定期券はありましたので,電車に乗って梅田までは出て行くことができましたが,そうしたところで,使えるお金も限られていますし,長い時間繁華街を歩いて大阪見学をするのも限界があるため,まずは,御堂筋沿いの探索も兼ねて,歩くことが習慣となっていました.
御堂筋沿いを江坂から梅田まで歩くと,最初に神崎川という川があり,それを渡ると吹田市から大阪市になります.この神崎川という川が,私の大阪に対するイメージからすると,とても大阪らしい川だなという印象を今でも持っています(偏見かもしれませんが.).お世辞にもキレイな川ではなく,工場や生活排水の影響だと思いますが,丸々と太った鯉がたくさん泳いでいたように記憶しています.
大阪市に入ってからさらに進んでいくと,御堂筋線の東三国駅,新大阪駅,西中島駅があり,さらにそこから幅の広い淀川とその河川敷を真下に見ながら橋を渡り,中津,梅田に辿り着きます.
学生の頃,自転車(のちにバイク)で羽田空港に行き,ただただ,だだっ広い飛行場を横目に見ながら時間を過ごしていた時と同じように,都会の中で,ひらけた場所(淀川)が現れて,そしてそこを通り過ごすという特に何かあるわけではありませんが,そんな時間を過ごすのが好きで,日曜日は決まって長距離を歩いていました.
ごく稀に,梅田からさらに歩いて心斎橋,グリコのある道頓堀まで行くこともありましたが,結局お店に入ることもほとんどなく,街並を見ながら,大阪の街を楽しんでいました.
● ちょっとした心残り
使えるお金もそれほどなく,他の同期のような楽しみ方はできませんでしたが,結果としてバスケットをして過ごすことが多かった大阪生活にそれほど不満はありませんでした.
ただ,ちょっとした心残りがあるとすれば,バイクを持って来れなかったことです.
バイクがあれば,おそらく,毎週のように御堂筋線沿いを歩くようなことはなく,週末や連休を使って,近畿一円をツーリングで楽しんだだろうと思いますが,下宿先にバイクを置く場所がなかったため,福岡から大阪までバイクを持ってくることはしませんでした.
また,駐車場の問題だけでなく,やはり,その時の私の置かれた立場からすれば,バイクを楽しむ前にやらないといけないことがあったため,少し,自重したというのも理由としては挙げられます.
そして,修習中は,諸般の事情から単身赴任としてほとんどの時間を過ごしましたので,子どもと離れて暮らしていたこともあり,子どもとバイクの写った写真を見ながら,「2回試験に落ちないように」と祈りながら勉強に勤しんだものでした.
