震災等があったとき,現地入りする総理大臣などをみると,いつも,「儀式だ」と思いながら,ため息しか出ません(ちなみに,過去最悪だと思ったのは,菅直人が2011年の東日本大地震の際に,津波で損壊した東京電力の福島第一原子力発電所の上空からヘリコプターに乗って視察した時です.).
さらに,今回の熊本の地震については,高市さんが視察しただけでなく,その際に撮影されSNSにアップされた動画を見た時は,さすがに,怒りにも似た感情が湧いてきました.
国民はなめられている.
そして,被災者(災害)は利用されている.
東日本大地震を目の当たりにして以来,災害が起きた時の我が国で起きる様々な出来事に,強い違和感を感じることがよくあります.
上記の政治家の行動だけではありません.
まずは,とあるテレビ番組の特集に対する違和感.
2011年の東日本大地震が起きたとき,とあるミュージシャンが,被災地に入り,歩いてその様子を見ながら「何もできねぇ」と嘆くように何度も呟く映像を見たことがあります.何かの番組の中の企画だったと思います.
そして,ひとしきり被災地を歩いた後,避難所のどこかの学校の体育館にいき,坂本九の上を向いて歩こう歌うと,避難所の子供たちが寄ってくるといった映像を見たことがあります.
その時,そのアーティストから「歌を歌うことしかできない」というコメントがされたように記憶していますが,それを聞いた時,
「歌を歌う前に,何か一つでもできることあったんじゃないの?」
という強い違和感を感じました.
確かに,あなたが歌の能力に秀でているならそれはそれで構わないし,避難所で歌を歌うことで,被災者の気持ちが和むのであれば,もっと,そのようなことをやってほしいと思う.
でも,歌を歌うこと以外に「何もできねぇ」ことはないよね.
被災者と一緒に瓦礫を片付けたり,救援物資を運搬したり,手を差し伸べられることはあったのではないのだろうか.
私自身,豪雨災害があった際に,被災地にボランティアで行ったことはたった1回しかありませんので,何も偉そうなことは言えないのですが,それでも,あの映像とコメントからは,違和感しか感じませんでした.
さらに,弁護士会に対する違和感.
災害があると,被災者に対する無料相談等に備えて研修を行い,その旨を会員にMLで周知することが今回の震災でも行われています.
前回の熊本地震についてもそうです.今回は,東京の弁護士が講師として研修をすることがM Lで流れてきましたが,それ以外に震災の関係で流れてきたメールがあったかどうかは覚えていません.
確かに,被災者が避難生活を開始したのち,避難所での生活から,どこかの段階でこれまでと同様の生活に戻るべき行動に出るタイミングがあるはずで,その時に,罹災証明書等の制度について法律相談で助言することで,弁護士が役に立てることはあるかと思います.
しかし,災害が発生した初期の段階で被災者が必要とするものは,少しでもストレスや負荷を感じずに,生命の安全を図り,生活を維持するための救援物資や支援の手であって,「法律」の無料相談ではないはずですよね.
私が商工会の青年部に所属していた時,10年前の熊本地震がありました.
商工会経由で救援物資を被災地に送る旨のアナウンスとともに,救援物資の寄付と募金のお願いが連絡事項として流れてきました(私は,その時は,必要な救援物資としてリストアップされた中から,紙おむつを買って,収集場所まで持っていったとように記憶しています.).
弁護士会のMLの状況は前述のとおりです.
被災者に対する無料相談に備えた研修のメールが流れてきたことしか確認していません.どこかの弁護士会長の談話が流れてきたかもしれませんが,震災関連の救援物資の寄付の依頼等については,目にした記憶がありません.あとは各弁護士の状況確認だけだったように記憶しています.
避難所で歌を歌うことしかしなかったアーティストのように,弁護士は法律に関するアドバイスをすることしかできないのでしょうか?
司法制度改革で,全国には,4万人をこえる弁護士が存在します.救援物資を募ったり,被災地でのボランティア活動を案内するなどしないのでしょうか?
弁護士であっても,それぞれが1人の生身の人間としてできることはあるように思います.
いつまで経っても,弁護士事務所は「敷居が高い」と言われるのは,こういうことだからではないでしょうか.
そして最後に,高市さんに対する違和感というより怒り.
あなたは何をしに被災地行ったんですか?
間違いなく,動画を撮るためですよね.
そもそも,総理大臣あるいは他の国務大臣クラスが,そういう被災地に入るものではないと私は考えています.
なぜなら,総理大臣が国内外を問わず出張する場合,分単位でスケジュールが予定され,その各場面で大臣の送り出しをする担当者,同行する担当者,受け入れをする現地の担当者が必要とされ,過剰なまでに,多くの職員(主に公務員)によりスケジュール管理が行われ,労働力がそちらに取られてしまうからです.
私が公務員をしていた頃,大臣がどこそこに出張するということで,霞が関のオフィス(5号館)にいながら,出張先の地での事細かな予定表を見た記憶があります.
その予定表には,例えば,大臣がエレベーターに乗って移動する場合,乗る階と降りる回でどちらも担当者が配置され,乗る時刻と降りる時刻が予定表に書き込まれていたように記憶しています.
大臣1人が移動するだけで,それだけ多くの労力が割かれることとなり,特に,災害による非常事態にある被災地からすれば,その受入れを求められるという過酷な対応が求められることになります.
災害対策に追われながら,大臣の受け入れ態勢のための人手を出さなければならないということです.
そのため,被災地の状況及び必要な支援内容等の把握については,大臣ではなく,むしろフットワークが軽いであろう課長以下ぐらいで対応すべきだと個人的には思っています.
そして,そのレベルの職員が,実際に,被災地で寝泊まりして,自らも感じた不便さなどに基づき報告を行い,それを受けて,災害対策本部の大臣クラスで災害対策の検討を行う方が,より,被災者の必要とする支援を行うことができるはずです.
しかも,これが震災でなく仮に戦争による被弾だったとしたら,高市さんは,弾の飛んでくる前線には行きませんよね.最も後ろの最も安全な場所で,前線からの報告を受けて,指揮を取ることしかしないはずですよね.
だから,私は,被災地に大臣が訪問すること自体,「やっている感」を出す以外の何の目的もないものだと思っています.
しかも,今回の高市さんは,動画の撮影付きです.
取れ高が高いとでも思って被災地入りしたんですか?
高市さんが中心(主役)の映像とともにBGMを流し,それを見た視聴者に何を伝えようとしたんですか?
SNSの閲覧数を得たい,あるいは自分が総理大臣を辞める時のメモリアル映像を残すために訪問したんですか?
この点,動画に対する批判に対し,政府からは,高市さんが避難施設に50数分滞在したと説明がされたりしていますし,歴代の総理大臣も動画を作成したということがあったようです.
しかし,私からすれば,動画制作のいいわけにはならないと考えます.
被災者は,避難所に24時間以上過ごすことを余儀なくされています.
その中で,被災者は衣食住の各場面で困難に直面しているのに,高市さんが,たった50分そこら避難所に滞在して話を聞いただけで,その全てを理解し,各種支援の重要性とその優先順位を判断できるはずはありません.
高市さんは,被災地で用を足すために,トイレに並ぶところから被災地の現状を経験することで,避難所の不便さなどを一つでも具体的な経験を通して理解したのでしょうか?
たった50分そこら滞在しただけでは,暑い体育館等の避難所の中で,間仕切りもなく雑魚寝することなどを経験しなければ,プライバシーの確保や暑さ対策の重要性を肌感覚で実感することはできないはずです.
そもそも,高市さんは,新聞報道等で見る限り,多くの関係者と面会をすることなく,資料を首相官邸に持ち込んで目を通して準備をするということを日常的に行なっているようですよね.
そうだとすれば,自分で被災地を訪問することなく,実務担当者から有益な情報をリアルタイムで吸い上げ,そして,対策本部で検討して指示する方がよほど効率的かつ効果的かと思います.
えっ?
何?
総理が直に被災者の話を聞くことが重要だ?
本当にそう思うなら,何度も何度も足繁く被災地入りするはずですが,そういうことは過去にはありませんよね?
なんなら,副首都構想関連法が成立したんだから,首相鑑定の機能を熊本の被災地に移してみればいいですよね.閣僚全員で熊本で行政府として執務をしたら良いじゃないですか.被災地と官邸を往復するだけで多数の人手が取られるのですから,被災地に滞在すれば.
そうすれば,今回の災害対策としては,極めて迅速な対応ができるはずですよね.
でも,そんなことしませんよね.
だって,総理が被災地入りするのは,行政としての被災地支援の効率性や実効性を高めるためではなく,儀式でしかないからですよね.
しかも,今回は,動画の撮影というおまけ付きです.過去にも同様に動画が撮影されたことはあったようですが,今回の動画は,流石に違和感以上の感覚が込み上げてきますよね.
高市さんとしては,このような姿がメディアで流れることで,国民が高市さんのことを頑張っていると評価してくれると思うんでしょうか?
そうではなく,被災地入りを利用して自分ファーストの動画撮影をしたとしても,選挙の頃には国民は忘れているはずだから批判は気にしないお考えなんでしょうか?
いずれの場合っであったとしても,国民は確実になめられています.
そして,被災者(災害)は,利用されただけでしかありません.
私にはそう感じられてなりません.