「お米券」の意味すること

 大学生として一人暮らしを始める頃に聞いた,「お米さえ炊けばなんとかなるよ」といった親の言葉は,それ以降の私の人生においてかなりの効果を発揮しました. 最近はかなり食が細くなり,白米をお腹いっぱい食べることもできなくなりましたが,それでも,米を主食とする食生活の基本的な部分に変わりはありません.

 ところで,石破さんが総理の頃に米の増産が検討され,私としては,真っ当な判断だと歓迎したところです.
 しかし,その後総理となった高市さんはこれを白紙撤回し,その代わり,お米券を配るという政策が実行されることになったようです(あれ?石破さんが参院選で公約に掲げた現金給付は辞めたのでは?).
 米価の高騰による国民の負担軽減のためには給付(お米券の配布)で対応し,価格そのものの変動は市場競争に任せておけば良いという発想が政府にはあるようです.

 しかし,この考え方については,「保守」を自称する高市さんとして,その「保守」の意味するところは,「日本の文化」を大事にするということであっても,「日本の稲作」は,その対象にならないのか?という疑問が湧きます.
 やや話が飛躍するように思われるかもしれませんが,お米券の配布の意味するところは,高市さんにとって,神,天皇(さらには家父長)といったまさに「権力」ともいうべきものだけが,保ち守られるべき日本の文化であるとの価値観に基づき採用されたものではないかということです.

 そもそも,米は,モンスーンアジアを中心に,温暖湿潤な気候のもとでなければ栽培することができないもので,日本以外にも東南アジアの多くの地域で栽培されています.これに対し,ヨーロッパを見れば,冷涼で乾燥した土地が広がり,そのため小麦やライ麦などの穀物が主食とされているのは,稲作に適していないからです。

 さらに,アジアにおいて世界の人口の多くが集中するのは,米を主食とすることにより人工を維持し得ることと無関係とはいえないはずです.
 実際,米が約5合あれば,成人男性の1日に必要な接種カロリーが賄えるといわれています(もちろん,栄養価としては問題がありますが,生命を維持するという観点からは,私の親の言った「米さえ炊けばなんとかなる」が当てはまります.).

 そのため,日本における稲作文化は,地理的にも歴史的にも重要な意味を有するだけでなく,この国の発展が,これにより支えられてきたといっても過言ではないはずです.実際,皇室の行事における稲の位置付けや,各地で行われる神事におけるそれは,まさにそのことを表しているはずです.

 そうであれば,日本において米を主食とすることは,単なる地理的な要因によるというだけのものでなく,その歴史的な意味でも,この国の成長・発展とは切り離せない「日本の文化」の中核的なものとして位置付けられるべきものといえるはずです.
 そして,そうだとすれば,国民の主食たる米の安定供給を維持し,国民が安心してその恩恵を享受できるだけの体制を守るということは,それはまさに,「保守」たる政治家が守り保つべきと考える「日本の文化」を守ることに他ならないのではないでしょうか?

 確かに,米作農家の所得が米価に影響されることからすれば,やはり米の市場販売価値が高値で維持された方が農家にとって都合が良いのはその通りです(私としては,農林水産業を営みながら,子を育てて大学まで卒業させられるだけの所得が得られるべきだと思っています.).
 しかし,米については,国民の「主食」であり,いわば,国家安全保障の基礎ともいうべきものです.市場原理に任せることで,それへのアクセス(購入)について,国民の間で偏り・格差等が生じて良いものではないはずですし,小麦等がこれに代替し,皇室行事や神事においてだけ米が用いられ続ければ良いというものではないはずです.

 高市さんの他の言動と合わせて考えても,お米券の配布は,全体主義的な国家観のもとで,「権力」からほど遠いところにいる多くの国民は政治により守られるべき対象ではなく,「国家」のために切り捨てられても構わないという価値観につながっているように思えてなりません.

 そのうち,「米がなければパンや麺を食べれば良い」といって,さらなるアメリカからの大量の小麦の輸入を約束しそうな気がするのは,私だけでしょうか.

 安易な発想かもしれませんが,稲作文化を守るために,米の増産と農家への所得補償と合わせて,医療における国民皆保険制度・診療報酬制度のような,米価を安定させる制度が求められるべきだと思います.
 国家安全保障という意味でも有意ではないでしょうか.