今年(2025年)の3月末に,第1子が,ワーキングホリデーで1年間滞在したニュージーランドから帰国しました.とても良い経験ができたようです.治安が良く,外国人向けの賃貸物件も比較的すぐに見つかり,路上で楽器を演奏していると,多くの現地の方から声をかけてもらえたりしたそうです.
親として,ニュージランドという国だけでなく,経由地の国々も含め,子どもに対して,良く接してくれたことに,大変感謝しています.
ところで,7月の参議院選挙で,国内における外国人に対する処遇が論点として挙げられているようです.具体的には,選挙公報には「日本人ファースト」,「外国人への生活保護を廃止」,「移民政策是正」などの文字が並んでいます.
しかし,これが是とされるのであれば,海外で暮らす日本人が,その国で自国民よりも劣位なポジションに置かれての生活を余儀なくされることも是とされることを意味することにならないでしょうか.
仮に海外で日本人が生活した時に,何らかのトラブルや生活苦に見舞われたとしても,海外で暮らすというリスクを選択したことによる「自己責任」として,その国からだけでなく,日本からも見放されるということが許されてしまわないでしょうか.
司法試験の受験勉強をすると,必ず,日本で暮らす外国人に対し,参政権を付与して良いかどうかという問題に遭遇します.問題としては,憲法93条2項の「住民」に外国人を含めて良いかということの考察を求められることになります.
これについては,国政については難しいとしても,地方における参政権(地方選挙での投票権)は,許容される余地があると考えられています.実際,海外では外国人「住民」にも地方選挙での選挙権を認める国があります.
外交・防衛を中心とした政策の方針が問われる国政の場面と異なり,社会保障を含めて暮らしに関することが中心となる地方自治においては,「住民」といえるだけの基礎を有する程度にその地方で生活する方にとっては,それに関与するに十分といえるだけの年月を経て,地域への関わりを有しているはずです.
そして,そのような外国人にとって,自身の居住する地域の生活環境や行政サービスがどのようになるのかは重大な関心事であり,それらの意思決定に関与するために,地方での政治参加を認めたところで,外交・防衛に関して他国を利することにはなりません.
その上で,そのような,特定の地域に関わりを有する外国人が,何らかのトラブルや生活苦に見舞われたというだけの理由で,その地方・地域での生活を捨てて母国に帰るという選択をすることが容易でないことは想像がつくはずです.
例えば,そのような外国人が,何らかの事情で職を失ったとしても,その方に子がいて地域の小中学校で教育を受けているとすれば,そこでの生活を維持するという選択を許容することも必要といえます.
そしてこのことは,日本における外国人だけの問題ではなく,海外で暮らす日本人にとっても,同様に生じうる問題だということに想像が及ぶべきです.「日本人ファースト」という考え方は,「〇〇人ファースト」を理由に,海外で暮らす日本人が何らその国で保護を受けられないことを含意することになってしまわないでしょうか.
まして,外国人への生活保護などが支給されることにより,その分のシワ寄せが日本人に及ぶという事実があるといえるかというと,容易には想定し難いはずです.
今年6月27日の最高裁判決が生活保護費の引き下げが違法だという判断を示しましたが,日本人として,国内で十分な保護を受けられるかどうかは,厚生労働大臣の権限によるものです.外国人に対する保護費の支給があることを理由に,生活保護費の引き下げを余儀なくされたというものではありません.
社会福祉に不十分な点があるのであれば,それを引き上げれば良いだけであって,あえて外国人に対する処遇やその廃止を持ち出すだけの必要性はありません.
そうであれば,選挙の公約については,単に「住みやすく,働きやすく,子育てしやすい国」ということを掲げればよく,枕詞のように,「外国人」という言葉を掲げる必要はないはずです.
以上のとおり,私の考えからすれば,「日本人ファースト」は,ナショナリズムを煽って集票するための役割しか果たさず,実際に目を向けるべき問題点から論点をずらし,さらに,在外国民が不当に扱われることを許容するかのようなメッセージを発するものでしかないと思います.