黒猫?

 事務所の最寄り駅に,「BLACK CAT CAFE」という飲食店があります。
 店舗の側壁に表示された店名とロゴは次の写真のとおりです。

 白猫?

 まあ,それは良いとして,ずいぶん以前ですが,当時国会議員であった方(女性)が「女性はいくらでも嘘をつける」と発言して非難を浴びたことがありました.

 その(元)国会議員の発言が正しいとすれば,

 「女性はいくらでも嘘をつける」
  ↓
 「その発言をした(元)国会議員は女性である」
  ↓
 「その(元)国会議員は,いくらでも嘘をつける」

 ということになります(いわゆる三段論法ですね.).

 反対に,その(元)国会議員の発言が正しくないとすれば(どこを否定するかで異なるかとは思いますのでこれに限られません),

 「女性はすべてのことについて嘘をつけるわけではない」
  ↓
 「その発言をした(元)国会議員は女性である」
  ↓
 「その(元)国会議員は,すべてのことについて嘘をつけるわけではない」

 ということになろうかと思います.

 ところで,先日,その元国会議員が,次の参議院選挙の候補者としてとある政党で公認されたとの報道に接しました.
 その(元)国会議員の当時の発言が正しければ,その方は,これからも嘘をつくのでしょうから,基本的には信用できません.
 他方で,これが正しくないとしても,その方は,自分の信念等に対して嘘を突き通すことができないはずですから,どこかで自分の本心が出てしまい,これまで行った謝罪などがすべて吹き飛ぶ可能性があるということですよね.

 本当に,このかたを公認してよかったのか疑問がつきません.

死刑について

 端的に言いますと,死刑には反対の立場です.廃止すべきだと思っています.

 内閣府が行った調査では,回答があったうちの8割以上の方が死刑制度が存在するのは仕方ないと考えているようです.

 ところで,私が中学生の頃,同級生と喧嘩になりお互いに殴ったり殴られたりしたときのことです.
 担任の教師から,何で喧嘩になったのかを尋ねられ,それを説明した際に言われたことは「正義の暴力はない」ということでした.

 しかし,その言葉の後にその教師のとった行動はどうだったかというと,私の頭を平手で叩いたというものです.
 その瞬間,私の頭の上に「?」マークがぐるぐる回っていたのは説明するまでもありません「言うこととやることが違うやん」という率直な疑問です.

 死刑制度もこれと同じで,人の命を奪ってはならないという社会的な共通認識がある以上,それについて,国家であればこれを行って良いということにはならないはずです.特に,「国」という権力者は,国民からその権限を負託された立場でしかない以上,それを超えることはできないはずです.

 私としては,違法行為(他者への加害行為)をする者については,同じ社会を形成する構成員として,社会内で生活させることはできないと考えています.
 だから,その目的のため,刑罰が科されて社会から隔離されるものだと考えています(もちろん,罰金刑があることからすれば,刑罰には懲罰的な意味もあるでしょうし,この点については異論はあるとと思います.).

 そうである以上,命を奪うという行為それ自体に刑罰としての意味を与える必要はなく,当然ながら,国家によりこれを行わせてはならないというのが私の考えです.

 ところで,大人になり,ある方から言われたことがあります.
 「中学校は,ダメな大人(教師)といかにうまく付き合うかを学ぶ場所だ」
 とのことでした.
 担任から叩かれた時に頭の上をぐるぐる回っていた「?」はこれで解消されましたが,現在の死刑制度については,国民の現在の意識からは,私の願う方向では,なかなか解消しないように思ったところです.

予算委員長に拍手を!

 タイトルについて,最初は「予算委員長に拍手をしてはいけない」にしようかと思っていましたが,やはり「予算委員長に拍手を」にすることにしました。

 これが何についてのことかというと,今年の2月5日の予算委員会の質疑において,とある委員が防衛省の制服組(自衛隊で隊務を行う自衛官)に対する答弁を求めたことに対し,委員長が文民統制を理由にこれを断ったという出来事についてです。
 最初は,当たり前のことなんだから拍手をしてはいけないという趣旨で書き始め,そのようなタイトルにしようかと考えたところでしたが,当たり前を維持することはとても難しく,特に,「空気」が支配する我が国においては,やはり,当たり前のことをするにも相当の努力が必要であり,その一つとしての予算委員長の対応には,やはり敬意を払うべきだと思うに至ったところです。

 ところで,文民統制とは,憲法66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という規定に含意される概念で,軍人ではない国民により軍が統制されなければならないことをいいます。
 要するに,政治に対して,実力部隊である軍部,わが国であれば自衛隊が権限を有することを排除し,民主的な政治の実現を手段として担保するという関係にあるともいえます。
 国内では,自衛隊が最たる実力を有するのは明らかで,その隊員がクーデターを起こそうとすれば,誰も止めることができなくなってしまいます。

 2007年のことだったと思いますが,防衛省が設置されました。
 設置と言いましたが,正しくは,それまで防衛庁として内閣府に従属する行政機関であったものが独立した省に昇格したものです。
 これは,第一次安倍内閣の頃のことで,それに伴い,最初の大臣に久間さんが任命(長官から昇格)されました。

 私の感覚からすれば,第一次安倍内閣が発足したことは,日本の政治が右に右に動いていくというものだと感じていましたので,この防衛省昇格のタイミングで初代大臣に就任した久間さんが映されるテレビの画面を見ながら,「この人が今クーデターを起こせば,日本はひっくり返るよね」とその頃所属していた厚生労働省のとある部署で同僚と話をしていたことを覚えています。

 現在は,石破総理のもと,与党が過半数を取れていない状況にありますが,世界中の国々で極右政党と位置付けられる政党が躍進しています。
 そのような流れの中で,日本においても右寄りの内閣が発足し,予算委員長にその右寄りの党派に所属する方が就任していれば,もしかすれば,あっさりと制服組による答弁を許した可能性も否定できません。
 そうなれば,内閣は,おそらく,文民統制の原則が憲法に存在しながらも,解釈によりこれを認めるという流れを作るべく議論を開始し,そして,そのことが当たり前のことにもなったかもしれません。

 我が国では,おそらく,クーデータにより一夜にして体制が変わってしまうようなことは,容易には起こらないと思いますが,しかし,少しずつの積み重ね(右傾化などが進み,憲法の解釈も変えられてしまうことなど)により,いつの間にか,これらと同じような効果をもたらすことは否定し得ないと思います。

 そのようなことを考えたとき,当たり前のことですが,予算委員長のとった対応に敬意を表したいと思ったところです。

結婚と原発回帰

 つい先日,ずいぶん前に相談を受けていた方から,相談希望の連絡がありました.
 その時のことを改めて相談したいということでしたので,その頃に送受信したメールを見返していたところ,私から,次のようなことをメールでお伝えしていました.(メールの原文そのままではなく,若干修正しました.)

・・・・以下メールの引用・・・・

 余計なことですが,「結婚」ということにこだわりがあるのであれば,そうされれば良いと思います.
 ただ,私の場合,職業柄,「結婚したいです」という方が相談に来ることはなく,「離婚したいです」という方しか相談にきません.

 つまり,結婚すると,簡単に離婚できないということです.

 離婚は,結婚の何倍もエネルギーを要します.しかし,当然と言えば当然ですが,「結婚」で頭がいっぱいな時に,離婚することなんか考えませんよね.
 でも,結婚した以上は,離婚の可能性も背負い込むことは間違いありません.
 そのようなことまで考えて,ご判断されるべきだと思っています.

 そのため,「結婚」という法律上の形式にこだわりがないのであれば,「事実婚」ということでも良いような気がします.

 本当に余計なことですが,一般市民とズレた弁護士の視点ではありますが,そのように思うところです.

・・・以上,メールの引用・・・・

 私は,知人などから結婚の連絡を受けると,上記のメールに記載したようなこと(この文面のままではありませんが)を,お伝えすることがあります.
 これを聞いてドン引きされた方いましたし,はっきりとヒンシュクを買ったこともあります.
 しかし,弁護士という職業柄なのかもしれませんし,私特有の価値観に由来するのかもしれませんが,心底そう思います.

 例えば,「結婚」に縛られてしまい,配偶者からの暴力等を受けても,「離婚」の「り」の字も頭に浮かばずに,辛い日々を過ごす方もいます.
 そうならないため,どのような状況になれば,自分が離婚を選択するかということを,結婚当初から考えておけば,離婚するかどうかの状況判断は,もう少し上手くできるはずです.

 また,離婚ではありませんが,娘婿を養子にしたところ,娘と娘婿が離婚してしまい,養子縁組の解消を求めても,遺産目当てで離縁してくれないという方もいました.ちょっと,早計な判断だったと思います.

 つまり,何か行動を起こす際には,先のことや,それが終わるときに必要となる後始末の場面まで想像して行動した方が良いということです.
 結婚以外にも,物を購入するときにはそれを処分する時のことまで考えるべきですし,法的な面で言えば,契約をするときは解約するときのことまで,入会するときは退会する時のことまで考えましょうということです.

 ところで,先日の新聞等で,原発回帰という言葉が紙面等を飾っていました.

 温暖化防止だけでなく,AIの普及に伴うエネルギーの確保など,そうすることの理由が載っていましたが,核廃棄物の処理については,ほぼ,触れられていなかったように思います.

 また,新聞の記事ではありませんが,数年前にとある著名人が,技術の進歩により,将来的に,原発が小さくなるということを得意げに述べていましたが,やはり,その時も核廃棄物の処理については触れられなかったままでした.

 この「原発回帰」という判断について,福島がどんな状態にあるのかを目の当たりにしながら,原発回帰のための積極的な理由(必要性)しか示さず,その場合における事故のリスクや廃棄物の処理について実効性のある方針等(許容性)が示されていないのは,「結婚」しか見えてない相談者の状態に似ているなと思いました.

 紙面には,電力会社の役員のコメントも載っていましたが,むしろ,そのような立場にある方であればあるほど,その先のことまで含め,十分な認識を示して欲しかったなと思います.
 原発を稼働すれば,核廃棄物を容易に処理できないということはわかっているはずなのに,原発に回帰することがどうして許容されるのか,そのことを示すことで,原発への理解を推進したいという発想はないのだろうかといつもながら思ったところでした.

 なお,個人的には,核融合の実現が急がれるべきだと思っています.

良い弁護士の見分け方②

【相談内容】
 刑事事件を依頼するにあたって,良い弁護士の見分け方を教えてください.

【回  答】
 今,ご依頼をしようとしている弁護士が,必要な能力を有しているかどうかの見分け方として,次の規則の各条文の意味と違いについて尋ね,納得・理解できる説明がされるのであれば,そうではない先生よりは,遥かに信頼して良いと思われます.

(条文)刑事訴訟規則199条の10,11,12

 以前,良い弁護士かどうかの見分ける方法として,「判例」の意味を理解しているかどうかということを挙げましたが,上記の刑事訴訟規則の条文は,刑事弁護をするにあたってとても重要です.

 「刑事弁護」などの検索ワードでネットを検索すれば,数多くの弁護士事務所のHPが上がってくると思いますが,そのほとんどは,上記条文を使う場面(法廷)よりもはるか手前の場面での依頼を狙ってのものだと思われます.
 つまり,犯罪行為に及んだこと自体は争わず,これを認めた上で,被害者との示談等を通じて,起訴猶予とすることを主たる目的とした事件を対象としたものばかりです.

 もちろん,上記のような捜査段階での刑事弁護の重要性を否定するつもりはありませんが,しかし,争いがある事件については,法廷に移ってからの弁護活動が遥かに重要となってきます.
 その場合において,上記各条文の意味やその違いを理解して使いこなせることは,十分な弁護活動を果たすために必要不可欠ともいえます.

 そのための準備を怠らず,上記各条文の意味を理解し使いこなせるようにしている弁護士であれば,それ以前の捜査弁護においても,十分な対応が期待できるものと思われます.

 刑事事件の場合,時間との戦いもありますので,最初にご相談に行った事務所でそのまま依頼をすることになり,上記のような質問をするだけの余裕はないかもしれません.
 しかし,万が一,目の前にいる弁護士に対して疑問を抱くようなことがあれば,これを試してみることは,悪い弁護士を引かないという意味でのリトマス試験紙として役に立つものと思われます.

私には分からない

 選択的夫婦別姓を反対する方の理由が私にはわからない.

 今朝の新聞で,選択的夫婦別姓に関するとある政治家の発言として「国のかたちに関わること」「社会の根幹に関わること」という表現がされていました.

 ここでいう「国」や「社会の根幹」ってなんなんでしょうね.

 おそらく「国のかたち」というのは,同じ記事内で引用されていた「家族一体の氏(姓)は残したい」という言葉に表される考えがそのことなのだと想像します.

 家族仲が良いこと自体を否定する気はありませんし,一般的にこれを否定することは難しいはずです.
 しかし,選択的夫婦別姓を制度化したところで,同じ姓を名乗ることを通じて「家族一体」という観念を大事にしたい方はそうすれば良いだけだし,そのようなパートナーを見つければ良いだけのことです.
 同姓を名乗りたくない人に対し,同姓とすることが正義だと押し付けうるだけの理由はないはずですし,夫婦別姓の選択肢を与えることを妨げる理由にはならないはずです.

 また,「社会の根幹」ということについては,「国のかたち」よりは幾分,国民の生活レベルでの問題としてこれを捉えようという意識は汲み取ることはできます.
 しかし,「婚姻関係にある=同姓」という推定が法律レベルで認められなくなくなるというだけであって,それ以上に何かが変わるわけではないはずです.
 (形式はどうであれ)戸籍制度だって残るでしょうし,相続等に関わる親族関係を辿ることができなくなるというものでもないはずです.
 そのような実務的なレベルの問題意識であれば,未だに新500円硬貨が使えない券売機が存在することの方が私にとっては支障のレベルは高いと思います.

 このことについて,別の誌面では,安楽死の議論の中で,選択的夫婦別姓の議論を取り上げて,いずれも自己決定の問題だと述べていました.
 つまり,安楽死を認めることは,誰の意思も強制することはなく,「死を選ぶ権利」を行使ししたい方にこれを可能にするだけであり,そうではない方に対して,なんらかの義務を強制するものではないということです.
 これと同じで,選択的夫婦別姓を認めることは,すべてのカップルが別姓になることを強制するものではなく,反対に,これを認めないことは,夫婦がどちらかの姓を選択することを強制すること,自己決定を認めないものだということです.

 さらにいえば,今の時代,給料についても,労働基準法は通貨払いを原則としながらも,同意があれば口座振込だけでなく,デジタル払いまで可能となりました.このことは,口座振替やデジタル払いが強制されるというものではなく,通過(現金)で受領したい方は,引き続き,そうできるというものです.

 ここまで述べても
 「いやいやいや,そうは言ってもね,給料と家族の姓とは違うからね・・」
 などと言って,選択的夫婦別姓に反対する方はいると思いますが,私は,別にあなたがパートナーに対して同姓であることを求めることを妨げるつもりはありません.
 自分の立場でいえば,これが法制化されたからといって,私自身,配偶者に対して別姓を強制するつもりもありません.配偶者が元の姓に戻したいと言えば,そうすれば良いと思いますし,同姓のままでいたいというのであればそれを妨げることもありません.

 だから,「国のかたち」「家族一体」などといった抽象的な理由を持ち出して,他人の自己決定を妨げ,この問題だけに関わらず,自身の理想とする国家観や家族観を押し付けないでほしい.

いずれにしても,これを反対する理由が,私にはわからない.

血液は作り出せない

 5年ぶりに献血に行きました。

 献血に限らず,注射や点滴をするときは,必ず,その刺すところを見ていないと気が済まないという性分ですが,決して,針を刺すことが好きなんわけではありません.そのため,目の前で,他人の腕に針が刺さるところからは,そのことに耐えきれず,必ず目を背けてしまいます.

 初めて献血をしたのが22歳(大学生)の頃で,献血のバスを見かけてフラッと入ったのが最初です.
 その当時,当たり前といえばそうですが,献血をしたことで「血液は人工で作り出せない」ということをはっきりと認識するに至りました.
 それ以降,献血をすると,血液の検査結果を教えてもらえることもあり,機会があれば献血を行うようになり,気が付けば,その日で41回目ということでした.

 ところで,医療現場における輸血と献血との関係は,日赤の存在は当然ですが,特定の誰かの好意(行為)によって成り立つというのではなく,不特定の少しずつの多数の好意により成り立つ関係にあるものとイメージしています.
 決して,国民の誰もが献血を義務付けられてこれを強いられているというわけではなく,また,特定の誰かが犠牲になっている(血液を搾取されるために生かされている)というものでもありません.
 そのような関係性が,私にとっては,なんとなく心地よく感じられることもあり,自然と献血を続けてきたのだと思います.

 その反対に,特定の個人の犠牲により,特定の組織や団体の存在が成り立ち,あるいは利益となるという関係性については,とても嫌悪感を感じてしまいます.

 そのため,最近のメディアで取り上げられ問題となっている,とあるテレビ局における女性社員による接待への同席と被害(搾取)についての報道に接すると,不快感を超えて,怒りを感じることさえ禁じ得ません.

 この件は,多数の好意による献血により,失われたかもしれないどこかの誰かの命が助かるというのではなく,被害者が犠牲を強いられたことにより,組織の中で,誰かが得をして,誰かの評価が上がったという関係性があるのだろうと思います.被害者の存在がとても痛ましく感じられてなりません.

 事態の解明と,関係者の処分,それに伴い,被害を受けた方の心身及び名誉の回復がなされることを切に祈念いたします.

教育無償化も大事だが・・・

 今国会は,少数与党ということで,野党からの要求が多様で,その中に,高校の教育費無償化というものがあります.

 個人的な意見としては,大学まで無償とすべきだと思いますが,先日の新聞で,子ども(小中高校生)の自殺者が527人と過去最多となったと報じられていたことの方が,問題性が大きいように感じます.

 高校の教育無償化を実現しようとする国の動きがある中で,高校に進学するよりも前に自らの命を絶つ子どもがいることに,複雑な心境にならざるを得ません.

 親としても大人としても出来の悪い私は,このことについて,自分の子どもが自ら死を選ばないようにどうすべきかということに置き換えて考えることしかできないのが現状で,自分からは見えない,社会の光の当たらない部分に対して,どうすべきかと考えながらも,なんの解決策も見出せません.

 子どもの自殺と直接の関係があるかどうかはわかりませんが,学校の給食に頼らざるを得ない家庭や子どもが存在することを聞くと,高校の教育費無償化もそうですが,小中学校の完全給食及び無償化の方が,急がれるような気がしてなりません.

 寒さの厳しい冬にお腹が空くと,余計に寒さが厳しいですよね.

 大人の勝手な発想ないし想像でしかないかもしれませんが,お腹が満たされれれば,死を選ばないだけのゆとりを少しは持てたりしないでしょうか.
 上記数字を前にすると,高校無償化の国会での議論に虚しさを覚えてしまいます.

「泣き言はいわない」

 今更ですが,今年の抱負は,これにしたいと思います.

 なんでこの言葉かというと,とあるアーティストが,昨年使った際に,とても重みのある言葉だと感じたからです.

 そのアーティストとは,とある4人組のバンドで,みな20代前半か25歳ぐらいです.
 そうしたところ,昨年の5月だったかと思いますが,リーダーが亡くなりました.享年25歳です.

 残された3人のメンバーは,事前に予定されていた野外音楽堂でのライブを中止することなく,3人だけでやり遂げました.その際に,ファンに向けて

 「泣きごとを言わない」

と伝え,ライブの実施を告知したものでした.

 とある著名な作家の作品に同名の小説(?)があるようで,そのことを知ってなのかどうかは知りませんが,彼らの置かれた状況であれば,彼らとしてのバンド活動を終わりにすることも可能だったと思いますし,そのための言い訳はいくらでもできたんだと思います.

 そうせずに,ファンに向けてこのように述べ,リーダーと一緒に,生前に製作した新曲も発表し,今でも活動を続けているはずです.

 元々は,彼らの存在は知っていましたが,全く関心はなく,曲を聴いたこともありませんでしたが,それ以来,彼らの曲を毎日のように聴くようになりました

 私が同じくらいの歳だった頃に比べて,今の社会は,今後どのようになるのか非常に不透明だと感じる中,その中で,これからの時代を生きていく彼らの決意に,敬意を評したいと思います.

 そして,この歳になり,彼らの倍近くの時間を生きてきた中で,いろんな場面で言い訳ばかりしてきましたが,彼らのことを見習って,少しでも良い1年を過ごせるようにしようと,今更ながら決意したところです.

「うちにはサンタさんが来ない」

 とある方(大人)が言っていました.
 「サンタに手柄はやらない」
 「プレゼントは私が仕事をして稼いだお金で買うんだ」
 「感謝されるべきは私だ」

 それはそれでいいと思います.
 あなたの家にサンタさんは来なくても,あなたが子供のために仕事をしてプレゼントを買って,その子の成長のために親としての責任を果たしているのであれば.
 それに対して,これが子どもの口から出たものであれば,胸が痛くなります.

 先日の朝刊に,とある小説の中で,教師が声をかけた生徒の発した台詞としてこれが紹介されていました.
 クリスマスを祝うか祝わないか,祝わないとしても,サンタが本当にいるのかいないのかを子どもなりに考えたり,サンタが来るまで寝ないで頑張ったり,友達から「お前まだサンタ信じているのかよ」と少しだけ馬鹿にされたり,全ての子供がそんな経験をできる家庭であり,社会であってほしいと願わずにいられません.

 特定の政党の話はあまり好んでする方ではありませんが,自民党そのものは嫌いではありません.ただ,谷垣さんが総裁になった時,彼を総理大臣にしなかったことで自民党(あるいは政治全体)には嫌気がさしました.
 そして,谷垣さんをさしおいて総理大臣となった(故)安倍さんについては,その価値観が合わないため,私は彼が嫌いでしたし,今でも嫌いです.

 ただ,彼が総理大臣になった時の,いつかの年末.確かに,世の中が少しだけその将来を期待して,誰もが,その時はこれまでの年末よりも暖かくして過ごせそうな雰囲気になったことがあったように記憶しています(私がそう感じただけかもしれません.).

 公務員の頃と違い,弁護士になってから毎年この時期になると,無事に年が越せることのありがたさを身をもって感じるようになるとともに,全ての人が,空腹を耐え寒さに震えることなく,温かい年の瀬を過ごせることを願ってやみません.

右側に(も)立ちましょう

 ここ最近,電車に乗る機会が多く,それにともなって,駅のエスカレーターを利用する機会がありました.

 大学に進学して東京で一人暮らしを始めた頃のこと(約30年前)ですが,エスカレーターの片側(東京では右側,大阪では左側)を開けて乗ることが常識となっているという現実を目の当たりにしました.
 そのため,高校の同級生が東京に遊びに来た際,エスカレーターに乗ることがあり,右側を開けるように伝えたところ「お前らしくないな」「東京に染まったか」ということを言われたことがありました.

 その当時は,そうすることが当たり前だと思ったというか,「刷り込まれた」「洗脳された」というのが正しいのだと思いますが,今になると,ずいぶん不合理で効率性に欠け,何よりも,そこを歩いて通ることが危険だなと思うようになりました.

 少し前に,法律の制定により,エスカレーターを歩いて,それで他人に怪我を負わせた時には,罰則が課されるようになったと記憶しておりますが,そのこと自体がエスカレーターの片側を開けることを解消することにはなっていないようです.
 そのため,全国的に,二列に並んでエスカレーターに乗ることを推奨する条例等ができていることを最近知りましたが,やはりそれでも即座に状況が変わるには至っていないようです.

 そこで,みな揃って,左側一列になってエスカレーターに乗る中で,ただ1人,右側に立ち,ここ最近はエスカレーターを利用しています.
 始点で右側に乗り,終端に到達するまで歩かないという,ほんの20秒程度のことですが,後ろから鋭く刺さる視線を感じながら,1人「右側に立ちましょう」運動を推進しております.

 ご賛同いただける方はぜひ,ご一緒にいかがでしょうか.

春日署の留置管理係

 とある12月の夜,事務所近辺を歩いていたところ,60ないし70代の男性と思われる方が道路の端のところに倒れていました.その状況は,酔っ払ってロープに引っかかって転倒して,そのままその場に寝込んでしまったものでした.

 そのため,その方に声をかけ,立ち上がれるかどうか,帰路に着けるかどうか,家族に来てもらうかタクシーを呼ぶかなど,30分ほどその場でやりとりしましたが,最終的に,警察に通報して保護してもらい,私はその場を後にしました.

 その方は,これまでも何度か警察にお世話(保護されたという意味です)になったことがあるようで,警察に対する愚痴のようなことも述べていました.
 そして,私が通報したことを不快に思ったのだと思います.警官に保護されながら,私に向かって「名前は」と尋ねてきましたが,私はそれに応えることなく,心の中で,

 「春日署の留置管理係は親切な方が多いから大丈夫ですよ」

と言いながらその場を後にしました.

 ここで,警察署の留置管理(課・係)というのは,刑事課の警察官のように捜査を行う部署ではなく,逮捕・勾留された方が警察署内で過ごすにあたって,その管理を行う部署です.
 勾留されている方に対する親族等からの差し入れを受け付けたり,警察署内での所持品や所持金の管理などをすることを業務としています.上記の酔っ払いの方のように,一時的に保護された方の対応もこの係が行うはずです.
 また,私が弁護人として被疑者(勾留されている方)などに面会に行くと,その受付対応をするのも留置管理係の方々です.
 私の場合,事務所の所在地が大野城市ということもあり,春日署に行くことが多くあるのですが,春日署の留置管理係(正確には,春日署は県警本部の分室という扱いのようです)の方々は,かなり,親切に対応してくれるという印象を私は持っています.

 春日署に勾留中の被疑者(まだ20歳になったばかりの女性)で,2か月後に出産を控えている方がいました.
 私が,とある事情からその方の弁護人となりながら,選任後1週間ほどの時点で裁判所から解任されることが濃厚となったタイミングで,被疑者に,春日神社で購入した安産のお守りを差し入れようとしました.

 ご存知の方もいるかと思いますが,警察署への差入れ可能なものには事細かに制限があり,当初は,留置管理係から「お守りは差し入れできません」という対応を受けましたが,問い合わせに対応してくれた方は,後ろにいる上司に相談してくれたんだと思います,「(弁護人の)業務として必要であれば可能です」と答えてくれました.

 そのため,警察署に赴き,受付で「被疑者との信頼関係の維持のために必要です」と説明したところ,受付の係の方も「わかりました」と答え,私がお守りだけを差し入れようとしたところ,その受付の方は,「袋は?」と尋ね,「ここに『袋 1枚』と記載してもらえればこれも大丈夫です」と,私が手にしていた,「春日神社」と印字のある袋も一緒に差し入れるよう勧めてくれました.

 ノートやペン,あるいは裁判の証拠を差し入れるならまだしも,弁護活動に必要かと言われれば,お守りなんて必要ないはずです.留置管理係の方々も,そのことをわかっていたはずですが,そのような対応をしてくれたものです.

 また,別の機会のことですが,私が警察署に行き問い合わせを行った際,無回答で門前払いをされたことがありました.そうしたところ,春日署の当時の課長だったと思いますが,対応した係員について,対応が不十分であったと謝罪の電話を事務所にかけてきたことがありました.

 そのほか,私がとある事件の弁護人となった際,43日間連続で,毎朝接見に春日署に行ったことがあったのですが,受付を対応する方がほぼ毎日同じ方だったため,「おやすみはとれてます?」と尋ねると「ははは」と笑いながら,「先生もね」という顔をされたこともあり,そんなこんなで,半ば顔見知りという関係にもあるからかもしれませんが,春日署の留置管理係には,悪い印象はありません.

 酔っ払って道に倒れていた方に,心の中で「春日署の留置管理係は親切な方が多いから大丈夫ですよ」と呟いたのは,以上のような理由からです.

 春日署の留置管理の担当の方,今年はあまりそちらにお伺いする機会はありませんでしたが,今後とも,どうぞよろしくお願いします.

 なお,誤解のないように念の為申し上げれば,私が警察に保護を求めたことについて,「良いことをした」という感覚は全くありません.
 もし,私が何もしなかった場合,路上で寝てしまって凍死されても,自動車に撥ねられてしまっても後味が良くないというのがその動機です.「あの時110番通報していれば」という後悔を抱えて今後の人生を生きることが嫌だと考えた利己的な動機でしかありません.

 私も,酔っ払って自宅の玄関前のみならず,夜の屋外で寝てしまった経験は何度かあるため,その心境として,警察に保護されず,自力で帰宅したいという気持ちは痛いほどわかりますが,上記のような利己的な動機を理由に,通報した次第です.