私は,「昔は良かった」「あの頃は良かった」などと,昔を懐かしむことはあまりしない方で,また,そのような思考をしないように極力心がけています.
「あの頃よりは」今の方が進歩しているべきだというのが基本的な考え方です.
その裏返しではありませんが,ハラスメントの相談などがあると,「昭和だね」「昭和ですね」という比喩的な表現がされることがあります.
確かにその通りだなと,その表現に妙に納得してしまいます.
例えば,自分も大人になり,これまで出会ってきた「大人」の方々について,ある程度は許すことができるようになっても,やっぱり,「こいつは許せないな」という「大人」の存在をおもいだすことがあります.その理由を考えると,「昭和だね」という表現がなんとなくしっくりきます(いや,でもあの中学校の先生に限っては,「昭和だね」では片付けられない,人の皮を被った「悪意」かもしれません.).
ただ,最近,「昭和」の頃の記憶を懐かしく感じることがあります.
それは,夏の暑さをまだ楽しむだけの余裕があったよな,ということです(厳密には,高校生(平成8年頃まで)はそうだったように思います.).
私が小学生だった頃,暑いと言いながらも扇風機の風を家族で共有することで日常生活にそれほどの支障はなく,冷たい飲料や,冷房の効いた商業施設等に出かけることがささやかな楽しみでした.
冷房は,一応,自宅にもありましたが,来客があるような場合以外は,ほとんど使うことはなく,冷房自体が生活に必須のものではありませんでした.
日中でも,プールや公園で遊ぶことは当たり前で,また,川遊びなどで自然の涼を求める楽しさもあったように思います.
また,中学,高校(大学もほぼそうですね)の部活を行う体育館の暑さは地獄に感じていましたが,空調のない中で,熱中症で倒れることもなく,なんとか過ごせていたのが実際のところです.
ところが,ここ数年の暑さは,「暑さ」を楽しむような余裕はなく,暑さを避けるために窓を閉め切り,熱された外気が部屋に入ってこないようにすらしなければならない生活は,ストレス以外の何ものでもありません.
たった数十年の人生を生きただけで,これだけの気候の変化を感じてしまうということは,とある外国の大統領は否定しているようですが,やっぱり,温暖化は進んでいるんでしょうね.
そのため,快適な生活を手放すことには抵抗がありますが,それでも,将来のことを考えると,世界規模で温暖化対策に取り組むことは避け難いと思いますし,私よりも将来を長く生きる若い世代の方々は,もっと,大人(特に,昭和を生きた人間)に対して,温暖化対策についての要求をすべきように思います.
とある著名人は,環境活動家のことを揶揄しながら,人間らしく技術革新で解決すべきだと言っていましたが,政治家がよく使う,その場しのぎで国民を納得させようとする時と同じような無責任さを感じてしまいます.
実際に技術革新が起こる保障はありませんし,その著名人自身は,地球が壊滅的になる前には人生を先に終えているであろうことを容易に想像してしまいます.
「昭和」的な社会や人間関係が再び訪れるようなことはあってはならないと思いますが,異常なほどの暑さのおかげで,昔のことを少しだけ懐かしく思い出すとともに,次回の選挙では,温暖化対策を公約に掲げる政党に比例票は入れようかと思っています.