他人の痛みは100年我慢できる?

 我が家の保護猫のうち,最も古株のメス猫が,おそらく,ここ数日中に死んでしまうだろうと思っています.
 餌を食べない,水も飲まない,水を飲ませても吐いてしまう,トイレもできず横たわったまま漏らしてしまう.
 かろうじて,姿勢を変えたり寝返りをうったりはまだできますが,顔だけ見れば,すでに意識があるのかないのか分からないような表情で,腹がわずかに上下に動く様子を見て,生きていることを確認できている,そんな状況です.

 この子は,約10年前にやってきた猫で,この子がいなければ,それ以降の保護猫も我が家にはやってこなかったはずです.
 反対に,不動産屋(管理会社)に猫が見つかり,そのおかけで,アパートからは追い出され,今のペット可の住居に引っ越さなければならなくなりました.自業自得ではありますが,そのおかげで,今の住居に引っ越したおかげで,家族の生活環境が良くなったのは間違いありません.

 なのに,異変を察知してあげることができず,昨日の仕事を後回しにしてでも午前中のうちに病院に連れて行かなかったことが悔やまれて仕方ありません.

 仕事も家事も,何も手につきませんね.

 猫が横たわっている側で,この子が家に来た時からのことを思い出してはいちいち涙ぐんで,通じることも覚えていることもないのに猫に話かけるという,まあ,不毛というか建設的でない時間を過ごしております.
 ようやく予約が取れ,検査のために病院に預けては来たものの,迎えに行く時は,息をしていない可能性も覚悟しなければならないと言われています.

 他方で,朝刊の記事には,イスラエルがパレスチナに地上戦による侵攻を開始することが載っており,さらなる死者の増加が予想されるとのことでした.そうでないとしても,これまでの数多くの犠牲者のことを考えれば,人類の過ち(と言っていいと思います)により多くの人の命・人生が失われたことが容易に想像でき,その事実の意味を理解することができるはずです.

 けれど,私はプラカード持って,国会前でデモをすることもしてませんし,救援物資を持って,ガザ地区へ行こうともしていません.
 何より,そのような惨状を想像しても,涙は出てこないですよね.

 政治家に対して批判的な意見をここでは書いたりもしますが,結局自分も,想像力のなさと,想像したことが自分の心理と行動に及ぼす影響は,「自分が死ぬことはない」と思って戦争を行う政治家とあまり変わらないのかもしれません.

 もうゴロゴロと喉を鳴らしてくれることもありませんが,横たわる猫を撫でながら,「他人の痛みは100年我慢できる」という昔聞いた言葉を思い出し,これから続くであろう猫に対する喪失感とどう付き合って生きていこうかと思い悩ませています.