この国(世界)はリアルAV?

 冒頭のタイトルからは「?」となるかもしれないが,少子化についてです。

 結論としては,政治家の半分を女性(生物学的な意味です)にしないと,社会保障等についてどのような制度設計をしたとしても,少子化対策は功をそうしないと思います。

 中学生の頃,社会科の先生がこんな問題を出しました。
「ボートに男女のカップルが乗っていたところ,ボートが沈んで2人と死んでしまいました。その時に池で見つかった二人の亡骸は,どちらが男性でどちらが女性だったでしょうか?」
 正解は「死体(シタイ=したい!)」が男性で,「遺体(イタイ=痛い!)」が女性とのことです。
 男性は性交渉を「したい」けれど,女性は性交渉は「痛い」と感じるということにかけた問題だったようです。

 なお,話はそれますが,私は,性の問題を「下ネタ」とすることに強い違和感を有しています。
 下ネタと言っていいのは,ウンチやおしっこに関するものに限るべき表現ではないかと思います。
 例えば,故鳥山明さんの作品で「ドクタースランプアラレちゃん」という漫画がありましたが,主人公は,「うんち」が先端に刺さった棒を手に持って走ったり,棒の先でウンチをツンツンとするシーンが描かれていました。
 ウンチやおしっこについて下ネタというのは別に構いません。だって,あとは処分して綺麗にするだけだからです。ウンチそれ自体に意思や品格はありません。
 ですから,それを棒の先につけて遊ぶ場面というのはまさに下ネタをコミカルにして描いているだけだと理解できます。
 しかし,人間の「性」は,人間の体の一部のことであり,人としての機能を指す以上,人格そのものです。
 人間として生まれた以上,絶対に性との関わりを切り離すことはできないものです。それを棒でツンツンするようなことがあれば,それはまさに人格・人権への侵害ですし,犯罪にもなります。
 決して「下ネタ」という部類に含めて良いものではないはずです。

 前置きが長くなりましたが,少子化についてです。
 政治家はこぞって子供を産み育てやすいようにすることで,出生率が上がると期待をし,そのための政策を立案して制度を整えようとします。
 しかし,育児の経験もない,まして,自分で子供を出産することのない男性の政治家が「子供を産み育てやすいようにする」ということを具体的に想像することはできないはずです。そんな政治家がいくら政策を作ったところで,出産についての当事者たる女性からすれば,男性の発想に基づく押し付けにしかならないと感じるはずですし,実際にそれが良い制度かどうかの判断は当事者である女性にしかできないはずです。
 そして,そのように考えた時,これって,「AVと一緒ではないか?」と考えるに至ったものです。

 つまり,AV男優は,その作品の中のことではありますが,女性に対し
 「気持ちいいだろ」
といったことを言うことがありますが,実際にそのような行為により快楽が得られるかどうかは女性でなければわからなものです。
 「気持ちいいですか?」
 と尋ね,痛みを感じていないか,苦しくないかを女性本人に確かめながら行為に及んでいるのであればまだしも,女性にとって気持ちいい「はずだ」と断定することには,その男優がどれだけの経験を積んだとしても,越えられない(軽々しく断定してはいけない)一線があるはずです。
 どれだけ経験があっても,男(優)は,女性になったことはありませんし,なることもありません。自分の行為がどのように受け止められているのかをどれだけ真剣に考えたとしても,想像を超えることはありません。

 今の日本(あるいは世界)の少子化対策は,これと,同様の事態になっているのではないでしょうか。
 「これで産めるだろ」
 ではなく
 「これで産めますか?」
 でもなく,
 「これなら産めそうだ!」
 という政策に行き着くには,やはり,当事者たる女性が政治家となりリーダーシップをとらなければならないと思います。

 このことは,「女性ならではの感性」を頼るという意味ではありません。女性として,当事者としての実際の経験を踏まえて立案すべきだという意味です。
 実際に存在するのかどうかもわからない男性の都合で作り上げた「女性ならではの感性」ではなく,実社会において,不合理・理不尽な制度のもとで実際に経験した事実(男性では感じることのできないこと)に基づいて,そのような経験を政策に反映しなければ,
 「これなら産んでもいいかも」
とはならないのではないでしょうか。

 最後に,AVはまだいいです。なぜなら,演じている俳優さんたちは実際に自分の体を使っているのだとは思いますが,つまるところはフィクションだからです。
 しかし,この社会はリアルです。演技ではありません。

 今回は,少子化という観点ではありましたが,同様のことはたくさんあるはずです。
 政治家の皆さん,国民の皆さん,今一度,考えてみませんか?

整形・タトゥー・性器の切除

 新聞記事に女性器の切除を問題視する記事が載っていましたが,ここでは,自己決定権について触れたいと思います。
 自己決定権とは,自己の人格に関することは自分で決める権利です。当然ながら,他人がこれを勝手に決めてはなりません。
 そのため,外形的に同じ行為が行われる場合であっても,本人の体について,その本人の意思が欠けていれば自己決定権の侵害です。また,本人の意思があるように見えても,そのことを熟慮しえるだけの能力がない場合には,やはり,そのような状況に追いやった人たち(あるいは,教育をしなかった人たち)による自己決定権の侵害です。

 女性器の切除についてですが,これは,アフリカのいくいつかの国(ないし地方)で,子供(少女)が一定の年齢(その記事では9歳の少女の話が載っていました)になると,カミソリ等でその女性器の一部を切除するというものです。

 少女は,その後,1人の女性とみなされ,両親の介在する結婚を強要されます。
 両親としては,自分の娘を嫁がせる代わりに婚姻の品々をもらえることを当てにしてのことのようです。特に,そうするかどうかの決定権は父親が有し,母親も,自分が経験したことでもあり,そのことに疑問を持たないようです。

 アフリカのその地方の方々からすれば,そのような女性器の切除は当たり前のこととされていて,人権侵害などのいわれを受ける筋合いのことではないという考えるようです。そして,その理由として,欧米(?)で女性器の美容整形が行われることを挙げるそうです。
 しかし,それが理由になるのでしょうか?
 ならないはずです。そこには,少女本人の自己決定がないからです。

 整形や刺青(タトゥー)もそうですが,自分の体は自分のものです。他人がそれをどうするか決定する権利はありません。
 女性器の切除について,その少女本人が,自分の人生に関する決定を十分に行えるだけの成熟した大人として自分でそれを選択(自己決定)するのであればそれを止めることはできません。
 しかし,そのことを,当事者ではない両親が決めるという点で,美容整形の場合とは大きく異なります。その少女の体について,本人の意思ではなく,他人の意思により切除(処分)されることは,事件や事故等で生命の危機に瀕しているような場合以外に正当化されることはありません。
 いずれにしても,自己決定権の侵害です。

 これと同じように,整形を行うことやタトゥーを入れることは,その体を傷害ないし侵襲することです。一定の思考能力有する成熟した大人がそのように判断するのであれば(一定の民族等においてはそのような行為が文化的だと主張されることも含め)それを止めることはできないとしても,やはり,熟慮ができない未成年者において容易くそれを行うことを認めることはできません。

 これまで私が少年事件で接したことのある何人かの少年は,自分の意思で刺青を入れることを決めたものですが,その時に,その行為がどのような意味を有しそしてそれが不可逆的であることを十分に理解して行なったかというとそうではないはずです。

 例えば,2本ある足のうち,一本を切除すれば,障害年金を受給できるでしょう。
 しかし,その受給権の発生という利益のみを理由に,実際に自ら片足を切除する方はいないはずです。その際の苦痛であったり,片足を失った後の生活がどのようなものとなるかが目に見えてわかるからです。そして,不可逆な行為であり,当然ながらそれまでのような両足のあった人生を送れる状態に戻ることはできません。

 それと同様に,女性器を切除することも,整形することも,刺青を入れることも,それが何を意味するのか。一度行って仕舞えば,後戻りすることはできません。そうでありながら,自分の身体を傷害し侵襲してまで行うべきことなのか。
 そのことを熟慮しえるだけの能力等がないままでそれを判断させることは,自己決定権を侵害することと同じです。

 いずれにしても,美容整形(女性器を切除するという外形的には同じことが行われていること)を理由に,両親が少女の体についての決定をしていいことには,絶対になりません。