別のところでも書いたかもしれませんが,司法修習の時に同期が述べた話です.
「交通事故をゼロにする方法について答えなさい」という問題について,何と答えるかということです.
その同期は,同期の中でも非常に賢かった方ですが,「定義を変えれば良い」と答えました.
どういうことかというと「交通事故」というと,「車と車」あるいは「車と歩行者」との間で生じたの事故をイメージしますが,これを「飛行機と船舶との間で生じた衝突事故」と定義すれば,先ほどイメージした「車と車」あるいは「車と歩行者」との間の事故は「交通事故」には含まれないことになってしまいます.
その結果,交通事故はゼロになるということです.
ところで,高市さんは,総理大臣となって以降,初めての大相撲の優勝者に対し,自ら土俵に上がることなく,代理人により,総理大臣杯を渡したようです.
大相撲の世界では,土俵に女性を挙げることを禁止するという伝統があるようで,私としては,「古くさい」としか思いませんが,まぁ,国ではなく,一民間団体である,財団法人日本相撲協会のやることなのでそれ以上のことは申し上げる立場にないともいえそうです.
しかし,同協会は,その定款の中で,相撲を「国技」として定めているようで,勝手にそのように名乗るだけなら良いのかもしれませんが,これに対し,内閣は,歴代の優勝力士に対し,総理大臣が土俵に上がり総理大臣杯を手渡してきたという事実があります.
このことからすれば,国も,相撲について,同協会が行った「国技」という位置付けを,追認したも同然だといえます.
そうだとすれば,「国民」の定義から「女性」を除くか,相撲を「国技」ではなく単なる一競技にするかしなければ,同じ「国」という文字の意味とその用いられ方に矛盾が生じてしまいます.
そのため,現在において,土俵に上がることのできない「女性」は「国民」の定義から外れてしまうのでしょうか?
それとも,相撲が「国技」との肩書きを返上する予定があるのでしょうか?
おそらく,同協会もそのようなことは考えておらず,国民には,生物学的な意味での男性も女性も含まれるが,その歴史的経緯というだけの理由から,「国技」を行う土俵には,男性しかあげてはならないというだけの考えしかないと思いますし,国(主に現政権)も,「伝統」などという以上に考えていないのだと思います.(ちなみに,女人禁制の理由は,女性に生理があることから,古来から存在した,血に対する「穢れ」との意識がそうさせているのだと思います.).
しかし,そのような考えは,私の思う「古くさい考え」が同協会の価値観の全部を占めていることに由来するとしか考えられませんし,それ自体を変えることに何も障害はないように思います.
そのため,高市さんは,堂々と土俵に上がり,総理大臣杯を渡せば良かったのにと思われ,正直,残念です.
今の時代,時間とお金さえあれば誰もが地球の裏側に行くことができ,「人類」全体で見れば,月にだって到達しています.男性に限らず女性であっても宇宙飛行士として宇宙に行く時代です.
さらには,一民間人も,宇宙旅行行くようになりましたし,無人探査機ですはありますが,人類の技術は火星にも辿り着き,「人類」としての可能性を広げ続けてきたはずです.
しかしながら,いまだに,単に「女性」という理由で立ち入ってはならない場所が「日本」の国内に存在することを,そして,「日本」という「国」がそれを認めてしまったということの意味を考える必要があると思います.
当然,性差があることを理由に区別される場合があることは理解していますが,それが許容されるだけの理由が,「土俵」の上にあるとは到底思えません.
人が生まれてくるときに,あらかじめ,社会の現実についてレクチャーを受けた上で,どの時代のどの国のどの地方のどの両親のもとに,そして性別,身体的特徴,知的能力,性格等を自ら選んで生まれてくることができるのであれば,私もこのことで,ここまでいうことはありません.
自ら女性に生まれることを選び,それによる社会での困難に直面したとしても,その責任を女性に課すだけの理由があるとも言えますが,実際はそうではないですよね.
自分がそうあること(男性であるか女性であるか,どの国に生まれたかなど)について責任がない以上,それを理由に差別的な扱いがされることについては,私が女性でなくとも,その問題性を感じざるを得ません.