「国」に騙されないために

 高市さんの終戦記念日の首相式辞で,「反省」という言葉が使われなかったことが,各メディアでも取り上げられていましたが,高市さんは,それとともに,次のようにも発言しています。

 「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」

 過去の首相式辞では「繰り返さない」と述べられていたものが,
 「繰り返えさ『せ』ない」
 という表現に変わったということです。
 これについて,ネット,その他テレビ番組のコメンテーターの発言や各メディアの報道を見れば,主体や責任が曖昧になると批判する記事等が多かったように思われます。

 しかし,一方で,とあるネットの動画では,

「繰り返さない」は日本だけだが,「させない」は他の国も含めてのことだから範囲が広くむしろ,より一層世界の平和を強く誓う意味になる

 と言って,コメンテーターの発言や各種メディアの報道内容を偏向的だと批判していました。
 このような高市さんを肯定的に捉える意見の出所ははっきりと把握していませんが,実際のところ,どのように評価すべきでしょうか?

 確かに,日本が戦争をしないことは当然として,他国に対しても,外交を通じて武力による侵略等をさせないことは非常に重要です。
 そのため,常に世界の平和を強く誓うのであれば,それはそれで良いと思います。
 しかし,この発言は,日本の終戦記念日における式辞です。
 単に,一般的抽象的に世界平和を希求しましょうという文脈で述べられたものではなく,日本が開始した太平洋戦争の終戦における「首相」の式辞です。
 そうであれば,日本自身が「繰り返さない」という誓いを述べたうえで世界平和を強く誓うという意味のことを続けて述べるのが自然ではないでしょうか。

 先日,とある会社で危機管理研修を行いましたが,自らの痛いところ(過失や誤り等)を認めた上で,次に何を行うのかが常に求めらるということを説明しましたし,その会社の社長も同じような認識を持っている方でした。
 それと同じで,「戦争の惨禍を繰り返す」ことについて,自国の行為としてフォーカスしなければ,その次の外交での努力というものに説得力がなくなります。

 このように言えば,印象的・情緒的しか聞こえないかもしれませんが,仮に,この首相式辞を海外の方,英語圏の方が翻訳した場合を考えるとよくわかると思います。
 試しにGoogleで翻訳してみるとこうなりました。

「我が国は,戦争の惨禍を繰り返させない」
→「Our country will never again allow the horrors of war to be repeated.」

「我が国は,戦争の惨禍を繰り返さない」
→「Our country will never repeat the horrors of war.」

 「繰り返させない」は,動詞(述語)ではなく,to以下で修飾されるallowの目的語である「(繰り返される)戦争の惨禍」=「the horrors of war to be repeated」と位置付けられています。
 そして,「我が国」は何をするかというと「will never again allow」です。これだと,「決して許さない」というニュアンスとはなりますが,当事者ではない第三者という立場で「戦争の惨禍」について語っている意味合いが強い印象です。

 もちろん,そのように英訳したからだと言われればそうかもしれませんが,一般的に考えて,高市さんの「繰り返させない」という発言は,上記のネットでの解釈のような,自国のみならず他国を含め「繰り返させない」というニュアンスでは理解されないということです。
 やはりこれだと,単なる傍観者として,賛成か反対かと問われれば反対だと述べるのと同じです。

 それに対して,「繰り返さない」では,述語は「will never repeat」で,自らが繰り返さないというストレートな意味に英訳されています。
 その違いは一目瞭然です。

 高市さんシンパの方々が,その式辞をより一層世界の平和を強く誓うことになると解釈したいというのであればそうすれば良いですが,少なくとも,世界においてそのように評価されることはないはずです。

 そして,もし,このような解釈が正しく,高市さんもそれを意図したと考えるのであれば,要するに,国民はそれは,高市さんに騙されているということです。
 高市さんの本音はそこ(世界の平和を希求)にはありません。
 自国の戦争責任を希薄にしたいというのが主たる目的のはずです。

 高市さんは1人の個人ではあるとしても,1人の国会議員ではあるとしても,総理大臣です。
 日本という国の総理大臣というだけでなく,過去から未来へ続く地続きの歴史の中の日本の総理大臣です。過去の一時店の戦争責任を自らの立場で否定するかのような発言が,世界に対して日本という国に対してどのような印象を与えるのかを,誰よりもシビアに考えて行動すべき立場にある方といっても過言ではないはずです。
 それなのに,国民に対して,このような誤魔化しをするのであれば,高市さんの行う外交については期待できないと考えざるを得ません。
 国民は騙せても世界を騙すことは容易ではないはずです。

 そして,この種の高市擁護を聞いた時に真っ先に思い出したのが「国に騙されないために新聞を読め」といった,私がお世話になった新聞販売店の所長の言葉でした。

 新聞を読むということは,その記事や主張を全て鵜呑みにすることのように考える方がいますがそうではなく,むしろ,批判的(批判的というのは否定することではなく,客観的に良し悪しを判断することです)に検討する思考能力を養うためのものです。
 タイパ,コスパなどと言われネットニュースで切り抜かれた記事を見てその通りと信じるべきではなく,新聞記事などの,一定の分量のある客観的な情報のもとで,それを批判的に検討することで,国という最大の権力者に騙されないために,国民の一人一人が知性を養うべきです。
 もちろん,新聞がフェイクを載せるようになれば,あるいは,政権与党を擁護するようになれば新聞すら読む価値は無くなりますが,まだ,ネットニュースやSNSよりも信頼性,客観性は高いはずです。

 繰り返します,国に騙されないために新聞を読もう!

ダブルスタンダード

 司馬遼太郎の「この国のかたち」という本の中で,人は歴史の中に生まれる,という言葉(考え方)があったように記憶しています.
 人間は人間社会に生まれ,動物(例えば猫)もその動物(猫)の社会に生まれるが,人間だけは歴史の中に生まれるという言い方だったと記憶しています.

 ところで,戦争に対する考え方について,

「少なくとも私自身は,(戦争の)当事者とは言えない世代だ.反省なんかしていないし,反省を求められるいわれもないと思っている」

 と発言した政治家がいます.
 新聞記事によれば,高市さんの1995年の時の発言だそうです.

 今年(2026年)8月15日の全国戦没者追悼式の首相式辞では,高市さんは,前回の石破さんの時と異なり「反省」「不戦の誓い」という言葉を使わなかったそうです.

 確か,安倍さんの時に,いつまでも反省や謝罪をするのはおかしいという考えから,8月15日の式辞において,「反省」が使われなくなったと記憶しています.
 戦争を起こしたのは我々ではない昔の世代だからということを言われれば,なんとなく,そんな気にもなってしまいます.

 しかし,昨今の政治情勢を見ると,この考え方にしっくり来ないんですよね.

 国旗損壊罪の審議では「法案成立を契機に愛国心も醸成されていく」とも述べた日本維新の会の議員もいました.
 高市さんの発言ではありませんが,連立与党として推進したはずですよね.

 さらに,皇室典範の改正の際,2600年続く皇統を持ち出し,とある議員は「皇統の伝統と歴史を前に謙虚でありたい」と発言し,高市さんも,かねてから「日本の歴史を貫く支柱が天皇だ」とも述べています.

 そうすると,「日本」という国の歴史において,戦争に及んだことは事実で,朝鮮半島に侵略したりしたことは否定し得ないはずですが,それも含めて「日本」という国の国民として,世界の中で生きていく必要があるんではないでしょうか?
 平和主義を原則とする憲法が存在する以上,いつの世代に生まれたとしても,戦争に対する「反省」や「不戦の誓い」を政策,特に外交の基礎に置くことは必須なのではないでしょうか?

 そして,まさに,力による他国に対する支配・侵略の機運が世界中で高まる中,それを食い止めるために,「日本」という国として,過去の「反省」や「不戦の誓い」も含め,反戦・平和を訴えなければ説得力がないはずです.
 それなのに,「反省」「不戦の誓い」を使わなかったは首相としての高市さんの式辞や,「少なくとも私自身は,〜」との発言の根底にある考え方ってなんなんでしょうか?

 高市さん自身が,「国」の歴史に国民が縛られる必要がないとお考えであるのであれば,天皇制を維持する必要もないんじゃないですか?
 戦時中に使われた日章旗を日本の国旗とし,その損壊を刑罰を持って禁止するほどに保護しながら,戦争自体に対する認識だけを変えるのも不自然ではないでしょうか?

 高市さんら政治家の考え方は,私からすれば,ダブルスタンダードに思えて,なんともしっくり来ません.彼らの精神的な基礎には何があるんでしょうか?
 そう遠くない将来,軽はずみな判断で戦争に突入しそうに思えてなりません.

災害と違和感

 震災等があったとき,現地入りする総理大臣などをみると,いつも,「儀式だ」と思いながら,ため息しか出ません(ちなみに,過去最悪だと思ったのは,菅直人が2011年の東日本大地震の際に,津波で損壊した東京電力の福島第一原子力発電所の上空からヘリコプターに乗って視察した時です.).
 さらに,今回の熊本の地震については,高市さんが視察しただけでなく,その際に撮影されSNSにアップされた動画を見た時は,さすがに,怒りにも似た感情が湧いてきました.

 国民はなめられている.
 そして,被災者(災害)は利用されている.

 東日本大地震を目の当たりにして以来,災害が起きた時の我が国で起きる様々な出来事に,強い違和感を感じることがよくあります.
 上記の政治家の行動だけではありません.

 まずは,とあるテレビ番組の特集に対する違和感.

 2011年の東日本大地震が起きたとき,とあるミュージシャンが,被災地に入り,歩いてその様子を見ながら「何もできねぇ」と嘆くように何度も呟く映像を見たことがあります.何かの番組の中の企画だったと思います.
 そして,ひとしきり被災地を歩いた後,避難所のどこかの学校の体育館にいき,坂本九の上を向いて歩こう歌うと,避難所の子供たちが寄ってくるといった映像を見たことがあります.

 その時,そのアーティストから「歌を歌うことしかできない」というコメントがされたように記憶していますが,それを聞いた時,

 「歌を歌う前に,何か一つでもできることあったんじゃないの?」

 という強い違和感を感じました.
 確かに,あなたが歌の能力に秀でているならそれはそれで構わないし,避難所で歌を歌うことで,被災者の気持ちが和むのであれば,もっと,そのようなことをやってほしいと思う.
 でも,歌を歌うこと以外に「何もできねぇ」ことはないよね.
 被災者と一緒に瓦礫を片付けたり,救援物資を運搬したり,手を差し伸べられることはあったのではないのだろうか.
 私自身,豪雨災害があった際に,被災地にボランティアで行ったことはたった1回しかありませんので,何も偉そうなことは言えないのですが,それでも,あの映像とコメントからは,違和感しか感じませんでした.

 さらに,弁護士会に対する違和感.

 災害があると,被災者に対する無料相談等に備えて研修を行い,その旨を会員にMLで周知することが今回の震災でも行われています.
 前回の熊本地震についてもそうです.今回は,東京の弁護士が講師として研修をすることがM Lで流れてきましたが,それ以外に震災の関係で流れてきたメールがあったかどうかは覚えていません.

 確かに,被災者が避難生活を開始したのち,避難所での生活から,どこかの段階でこれまでと同様の生活に戻るべき行動に出るタイミングがあるはずで,その時に,罹災証明書等の制度について法律相談で助言することで,弁護士が役に立てることはあるかと思います.
 しかし,災害が発生した初期の段階で被災者が必要とするものは,少しでもストレスや負荷を感じずに,生命の安全を図り,生活を維持するための救援物資や支援の手であって,「法律」の無料相談ではないはずですよね.

 私が商工会の青年部に所属していた時,10年前の熊本地震がありました.
 商工会経由で救援物資を被災地に送る旨のアナウンスとともに,救援物資の寄付と募金のお願いが連絡事項として流れてきました(私は,その時は,必要な救援物資としてリストアップされた中から,紙おむつを買って,収集場所まで持っていったとように記憶しています.).

 弁護士会のMLの状況は前述のとおりです.
 被災者に対する無料相談に備えた研修のメールが流れてきたことしか確認していません.どこかの弁護士会長の談話が流れてきたかもしれませんが,震災関連の救援物資の寄付の依頼等については,目にした記憶がありません.あとは各弁護士の状況確認だけだったように記憶しています.

 避難所で歌を歌うことしかしなかったアーティストのように,弁護士は法律に関するアドバイスをすることしかできないのでしょうか?
 司法制度改革で,全国には,4万人をこえる弁護士が存在します.救援物資を募ったり,被災地でのボランティア活動を案内するなどしないのでしょうか?
 弁護士であっても,それぞれが1人の生身の人間としてできることはあるように思います.

 いつまで経っても,弁護士事務所は「敷居が高い」と言われるのは,こういうことだからではないでしょうか.

 そして最後に,高市さんに対する違和感というより怒り.
 あなたは何をしに被災地行ったんですか?
 間違いなく,動画を撮るためですよね.

 そもそも,総理大臣あるいは他の国務大臣クラスが,そういう被災地に入るものではないと私は考えています.
 なぜなら,総理大臣が国内外を問わず出張する場合,分単位でスケジュールが予定され,その各場面で大臣の送り出しをする担当者,同行する担当者,受け入れをする現地の担当者が必要とされ,過剰なまでに,多くの職員(主に公務員)によりスケジュール管理が行われ,労働力がそちらに取られてしまうからです.

 私が公務員をしていた頃,大臣がどこそこに出張するということで,霞が関のオフィス(5号館)にいながら,出張先の地での事細かな予定表を見た記憶があります.
 その予定表には,例えば,大臣がエレベーターに乗って移動する場合,乗る階と降りる回でどちらも担当者が配置され,乗る時刻と降りる時刻が予定表に書き込まれていたように記憶しています.

 大臣1人が移動するだけで,それだけ多くの労力が割かれることとなり,特に,災害による非常事態にある被災地からすれば,その受入れを求められるという過酷な対応が求められることになります.
 災害対策に追われながら,大臣の受け入れ態勢のための人手を出さなければならないということです.

 そのため,被災地の状況及び必要な支援内容等の把握については,大臣ではなく,むしろフットワークが軽いであろう課長以下ぐらいで対応すべきだと個人的には思っています.
 そして,そのレベルの職員が,実際に,被災地で寝泊まりして,自らも感じた不便さなどに基づき報告を行い,それを受けて,災害対策本部の大臣クラスで災害対策の検討を行う方が,より,被災者の必要とする支援を行うことができるはずです.
 しかも,これが震災でなく仮に戦争による被弾だったとしたら,高市さんは,弾の飛んでくる前線には行きませんよね.最も後ろの最も安全な場所で,前線からの報告を受けて,指揮を取ることしかしないはずですよね.

 だから,私は,被災地に大臣が訪問すること自体,「やっている感」を出す以外の何の目的もないものだと思っています.

 しかも,今回の高市さんは,動画の撮影付きです.
 取れ高が高いとでも思って被災地入りしたんですか?
 高市さんが中心(主役)の映像とともにBGMを流し,それを見た視聴者に何を伝えようとしたんですか?
 SNSの閲覧数を得たい,あるいは自分が総理大臣を辞める時のメモリアル映像を残すために訪問したんですか?

 この点,動画に対する批判に対し,政府からは,高市さんが避難施設に50数分滞在したと説明がされたりしていますし,歴代の総理大臣も動画を作成したということがあったようです.
 しかし,私からすれば,動画制作のいいわけにはならないと考えます.

 被災者は,避難所に24時間以上過ごすことを余儀なくされています.
 その中で,被災者は衣食住の各場面で困難に直面しているのに,高市さんが,たった50分そこら避難所に滞在して話を聞いただけで,その全てを理解し,各種支援の重要性とその優先順位を判断できるはずはありません.

 高市さんは,被災地で用を足すために,トイレに並ぶところから被災地の現状を経験することで,避難所の不便さなどを一つでも具体的な経験を通して理解したのでしょうか?
 たった50分そこら滞在しただけでは,暑い体育館等の避難所の中で,間仕切りもなく雑魚寝することなどを経験しなければ,プライバシーの確保や暑さ対策の重要性を肌感覚で実感することはできないはずです.

 そもそも,高市さんは,新聞報道等で見る限り,多くの関係者と面会をすることなく,資料を首相官邸に持ち込んで目を通して準備をするということを日常的に行なっているようですよね.
 そうだとすれば,自分で被災地を訪問することなく,実務担当者から有益な情報をリアルタイムで吸い上げ,そして,対策本部で検討して指示する方がよほど効率的かつ効果的かと思います.

 えっ?
 何?
 総理が直に被災者の話を聞くことが重要だ?

 本当にそう思うなら,何度も何度も足繁く被災地入りするはずですが,そういうことは過去にはありませんよね?
 なんなら,副首都構想関連法が成立したんだから,首相鑑定の機能を熊本の被災地に移してみればいいですよね.閣僚全員で熊本で行政府として執務をしたら良いじゃないですか.被災地と官邸を往復するだけで多数の人手が取られるのですから,被災地に滞在すれば.
 そうすれば,今回の災害対策としては,極めて迅速な対応ができるはずですよね.

 でも,そんなことしませんよね.
 だって,総理が被災地入りするのは,行政としての被災地支援の効率性や実効性を高めるためではなく,儀式でしかないからですよね.
 しかも,今回は,動画の撮影というおまけ付きです.過去にも同様に動画が撮影されたことはあったようですが,今回の動画は,流石に違和感以上の感覚が込み上げてきますよね.

 高市さんとしては,このような姿がメディアで流れることで,国民が高市さんのことを頑張っていると評価してくれると思うんでしょうか?
 そうではなく,被災地入りを利用して自分ファーストの動画撮影をしたとしても,選挙の頃には国民は忘れているはずだから批判は気にしないお考えなんでしょうか?

 いずれの場合っであったとしても,国民は確実になめられています.
 そして,被災者(災害)は,利用されただけでしかありません.

 私にはそう感じられてなりません.

「責任」ある政治とは

 アメリカから攻撃を受けたイランは,主にアメリカ軍基地に向けてだったとは思いますが,周辺諸国を攻撃しました.
 しかし,それを受けた各国は,ミサイルを迎撃するなど,自衛の範囲で防衛を行うことを超えて,アメリカとともに戦争に参加することには至っていません.
 もし同じことが,沖縄をはじめとする日本国内のアメリカ軍基地に対して行われた時,政府は,どのような判断をするんでしょうか.

 この国の政府・政治家に,責任ある判断・決断ができるんでしょうか?

 高市さんは,食料品に対する消費税を1%とすることを表明しました.これについても,「責任ある積極財政」の一部なのかセットなのか,そんな位置付けにはなるんだと思います.
 しかし,それに代わる財源が見つかっていないことからすれば,消費税を1%にすることは政府・政治家として「責任」ある判断なのでしょうか?

 高市さんは,消費税減税が自民党の「公約」であったということを述べていますが,そもそも,消費税減税は,先の衆議院選挙で野党が公約として掲げたところ,争点を潰すために自民党もこれを公約に掲げたものだったと記憶しています.
 そうだとすると,この公約実現を求めて,有権者が自民党に投票したものと理解することはできません.なぜなら,政党を選ぶ際の基準という意味での「争点」ではなかったからです.
 しかも,先の衆議院選挙では,高市さんの人柄に人気が集中するとともに,SNS対策が功を奏して自民党が大勝しただけであって,この公約を理由に,自民党が多数の議席を獲得したものではありません.

 そのため,政府・自民党は,財源が見つからない以上,このまま公約を実施することのほうが無責任であることを国民に説明をして,公約違反について釈明をするとともに,低所得者への給付などの代替手段をとることの方が,自らを「国民政党」と名乗る政党としての責任ある判断ではないかと思います.

 上述した戦争に参加しなかった湾岸諸国の各国で,経済対策等を含め,どのような政治情勢にあるのかよくは知りません.
 しかし,自国の領土にミサイルを撃ち込まれながらも,戦争に加担しないという判断に至った根底には,政治家が,一時的な国民感情に対するポピュリズム的な判断をすることなく,客観的かつ長期的な視点で,決断をしたものだと理解できます.

 財源がないことをわかっていながらも消費税減税に突き進む今の政府には,客観的・長期的な視点は全くなく,全てにおいて「責任」ある政治判断が期待できないように思えます.
 今の政府では,将来,この湾岸諸国と同じような事態に直面した場合,威勢の良い言葉だけを言い放ち,議論もなく,あっさりと戦争への参加や核の保有を決めてしまいそうに思えてなりません.