有事に至らないための議論を

 地震や自然災害が起きた場合に備えて,各自で必要なグッズを準備し,避難計画をたて,避難所を確認し,避難所には食料等を備蓄するなどのことは,とても重要だと思います.

 いわゆる,有事に備えるってこういうことを指しますよね.

 でも,地震を防ぐことはできませんし,火災や土石流も,それらが発生しないような工夫はできても,自然は我々の想定の上をいき発生します.
 東電の建屋を押し流した東日本大地震の津波の高さを見れば,人類の余地なんて,楽観的な観測プラスα程度のものでしかないように思います.

 選挙をすることはまぁ良いとして(もう解散してしまいましたし.),「有事」という言葉が多く語られていますが,そうならないためにどのようにすべきかということはあまり語られていないように思います.
 弾薬工場の国有化も民間からの反発が大きく実現しそうにないように思いますが,天災と違って,人災については未然に防ぐことが可能なのですから,そのことを議論すべきではないでしょうか?

 アメリカによるベネズエラ大統領の「拉致」や,グリーンランドの領有を要求するなど,「へ?」となるようなことばかりが世界で起きていますが,それに対する日本の姿勢は,極めてアメリカ寄りというか,アメリカを非難せずに,「自由」「民主主義」「法の支配」といった価値観を共有する国々を増やしていくということを述べるにとどまっています.

 これって,アメリカから攻撃を受けるという「有事」を避けるための外交姿勢なのでしょうか?
 仮にそうだとすると,どれだけ有事に備えても,勝てないですよ.

 世界情勢が目まぐるしく変わる中で(といってもほんの数人の権力者に振り回されているだけのような気もしますが),国家安全保障についてもこれまで通りに行かないであろうという事は,素人である私にもなんとなく理解できます.
 そのために,抑止力として核を保有するという議論をしても良いと思いますし(その場合,私は反対します.),当然ながら,世界で唯一の被爆国という立場(この事実は重いはずです.)での対話による外交ということも,そのための手段として議論されるはずです.

 そこを飛び越えて,「有事」「有事」とばかり叫ぶことで防衛産業をうるわせて,政治家が政治献金で見返りを受ける.そんなことを国民は望んでいるのでしょうか.

 都合の良い目先の減税論ばかりに目を向けずに(ちなみに,消費税廃止等の公約については,間違いなく反故にされると私は思っています.),もう少し,将来のことを建設的に議論しようとする公約に目を向けて,投票先を選ぼうと思います.

国民は選挙をしたいのか?

 当たり前かもしれませんが,これまで,自ら「投票したい,選挙したい」と思ったことはありません.

 選挙が告示され,投票日になれば,投票券を持って投票所に足を運び,自分の意思を示すために投票はするけれど,国の決めた日に,決められたとおりに投票したことしかないということです(もちろん,それを棄権する自由があるのはその通りです.).
 自分の好きな日に,思い立ったように自分が投票したい政党に,あるいは政治家に投票するという行為に及んだことはありませんし,当然ながら,私が選挙の日程を決めたこともありません.

 政治に不満を持ったとしても,現在の任期中の政治家に対して,国民の声を聞いてほしい,考えを改めてほしいと思い願ったことしかなく,「あの政治家を変えたい」そのために「選挙したい」と思ったことはありません(そういう意味で,政治的な表現の自由への保障は重要です.).

 要するに,何が言いたいかというと,選挙をやるやらないは,政治家の都合です.

 今年の通常国会の冒頭で衆議院が解散される予定のようですが,政治家の都合以外に理由がないということです.
 世間は物価高に苦しんでいる中で,予算は成立していないし,お米券も(私には)届いていない.高市さんは,春にアメリカを訪問する約束をされたようですが,外交日程も絡んできますよね.
 自民党総裁に選出された時,「働いて働いて働いてまいります」といったのは,選挙管理委員会や選挙でしわ寄せを受ける事務方のことを指していたのでしょうか.

 世論調査の結果も,その回答した方々は,その時に選挙したいということで回答しているのではないはずです.
 無党派層という言葉がかなり一般的なものとして使われているように,次回の選挙までに,どの政治家に,どの政党に投票すべきか,政治活動や公約をじっくりと観察して評価すべき機会が国民には与えられて然るべきはずなのに,やっぱり,高市さんも,党利党略でそんなことするんですね.

 とある政治家が核の保有についての議論を行うべきだと述べたりしています.議論自体を否定することはありませんが,今回の選挙では,そのような世論を割るような議題を掲げるつもりがあるんでしょうか?
 それ以外に,選挙で決めてもらわなければならないような議題があるようには思えません.むしろ,選挙がすんでから,「信を得た」と強弁して後出しの議題を議論ないまま数で押し切ってきたのがこれまでの政治だったように思いますし,それを企んでいるんでしょうか?

 しかも,新聞で拝見した限りでは,公明との連立を解消し,維新との連立を組んだことについて国民の信を問うというのはどういう理由でしょうか?
 連立の相手である公明党が悪かったから,参議院も衆議院も過半数を割ったと言いたいのでしょうか?

 基本的には,自民党の政治と金の問題が原因ですよね.

 私は「自民党」ということで自民党を嫌うことや「共産党」ということで共産党を嫌うことはしないつもりでいますが,こういう政治家の都合で政治家が行動することを目の当たりにすると,政治そのものに嫌気がさしてしまいます.

 少なくとも,国民の間に,現時点において,選挙により政党を選ぼうと言う機運は乏しいと思います.
 今年の通常国会の冒頭で衆議院を解散してしまえば,どのような結果になっても歴史的に禍根を残すようにしか思えませんし,将来の国民による総括において,ひどい評価を受けざるを得ないと思います.

大阪府知事に対する違和感

 大阪府知事である,吉村さんの行動に違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
 大阪府知事である吉村さんが,総理のところに行って,国政について色々と打ち合わせをするなどしていることは自然なことなんでしょうか?
 大阪府民の後押しもあり,そうなっているのでしょうか?

 大阪万博で,主催者として当時の環境大臣である小泉さんをアテンドするのは良いとしても,大阪府知事として,国政の場に出ていくのは何でなのでしょうか.

 「大阪府のためにまず働くべき立場では?」と思えてなりません.

 確かに,吉村さんは日本維新の会の代表かもしれません.
 けれども,共同代表で国会議員の藤田さんがいますよね.国政に日本維新の会の意見を反映させるのであれば,藤田さんが行動すれば良いのではないでしょうか.
 衆議院議員の定数削減だとか,副首都構想だとか,そこに吉村さんが出ていく必要はあるんでしょうか?
 このことが,仮に大阪府を代表して国に陳情に行っているというのであれば,大阪府民が衆議院議員の削減を望んでいるということですか?

 もちろん,政治家であってもなくても,政治に対して意見持つのはかまわないと思いますので,府知事として国政に何らかの意見を持つのは良いとしても,今の立場は大阪府知事である以上は,府知事としての仕事が優先されるべきではないのでしょうか.

 「府知事としての仕事は全部こなしていますから」ということかもしれませんが,仮にそうだとしても,地方税を収めている大阪府民の目にどのように映っているんでしょうか.
 おそらくですが,公務員の頃の経験から推測すれば,府知事が東京に行って不在とする間,大阪府庁では,府知事の決裁が必要な文書を待って,府知事の帰りを待っている事務方の職員が大勢いるんだろうと想像します.
 そう考えると,私が大阪府民だったら,よく思わないと思います.

 現在は大阪府民ではありませんから,有権者として文句を言う立場ではありませんが,やはり,違和感を感じます.

自分の身に置き換えて考えること

 昨日は,成人の日でした.
 第一子が,昨年20歳となり,参加資格があったようですが,仕事のため,成人式には参加していないとのことでした.
 私も,自分の参加資格のあった成人式の日は,東京の焼き鳥屋でバイトをしていたため成人式には参加していませんが,18歳を成人(民法等)としながら,20歳で成人式というのは,いまだによくわかりません.

 それは良いとして,スーツ姿の方も多かったように思いますが,普段身につけることのない,日本の伝統ある羽織袴や着物姿の青年たちも同様に多かったと思いますが,これを見て

「全国的な民族衣装のコスプレ大会」

 と言う方はまずないと思います.
 仮に,海外の方がそのように言ったとすれば,この国の伝統や文化というものにさして深い思い入れのない私であっても,あまり良い気にはならないと思います.

 10年ほど前に,とある政治家が,ジュネーブで開かれた国連女性差別撤廃委員会の会合に参加し,同じように参加していたアイヌ民族の衣装を着た方,韓国のチマチョゴリを着た方をさして,SNS「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」とに投稿したことがありました.
 のちに,その政治家は,法務省(法務局)から人権侵犯と認定されたようですが,その認定の意味について,私自身,当事者ではありませんが,肌感覚で理解することができたように思います.

 成人式の様子を見ながら,ぼんやりとそんなことを考えたところです.
 自分の身に置き換えて考えるって大事ですね.

「微妙なズレ」

 プロフィール(オモテ)に「影響を受けた人」として松岡充氏を挙げています.
 何か狙ったわけではありませんが,意外に,男性の方(業者さんなど)から,このことを(好意的な)話題にされたことが数回あります.

 彼がボーカルを務めるバンド(SOPHIA)の歌に出会ったのはまもなく22歳になろうかという時で,福岡から東京に向かう飛行機の中でした.
 親族に不幸ごとがあり,東京から福岡に帰省し,お見舞い,通夜,葬儀への参加をこなし,それらを終えたのちに,頭にモヤがかかったような不安定な精神状態のまま飛行機に乗って,大学及び下宿先のある東京に戻るところでした.
 その時に,プラスチック製の聴診器のようなイヤホンを耳につけ,やることもなく機内で放送される音楽を聴いていた時に,ふっと耳に入ってきたのが彼らの曲でした.その時からその絶妙な世界観にハマってしまいました.

 その絶妙な世界観というのは,一言でいえば,絶妙な「ズレ」です.
 そのように感じるのは私だけでなく,とある新書(アーティストを研究して論評していたものだったと思います)でも触れていたのが,やはり,彼の「ズレ」が良いということでした.その本では,世の中に対して斜に構えたようなものとも評していたと記憶しています.

 実際,彼らの歌詞を見れば,例えば,「両耳にピアスだらけ でもベロには開けない 痛いから」(黒いブーツ)だったり,「危ない薬もケンカもしたことない」(ビューティフル)というような,ロックミュージシャンのイメージからはちょっと想像しえない,むしろ対極にあるような,でも「実際そうだよね」と思えるような言葉をよく見かけます.
 そのような歌詞を,ポップなメロディーに乗せて,サラッと歌うところにすごく惹かれたものでした(もちろん,それだけではありませんが.).

 ところで,私の感覚・感性も,多くの方からすれば,ちょっとズレたところがあり,とある飲み会の席で,車中泊に適した乗用車の話題になった際,私が,

「去年購入したエブリイは荷台がフラットになって寝心地がいいですよ.
 今年(2025年)の4月,私,救急搬送されたんですが,脳に異常がなかったため,1日の入院で自宅に返されて,その時も,めまいはひどかったんですが,エブリイの荷台で仰向けに大の字になって病院から自宅まで帰ることができました.
 救急車よりも快適でしたね」

と言って,Suzukiのエブリイの寝心地の良さを力説したところ,同席した同業者の先生は目を丸くして「先生,救急搬送されたんですか?」と驚かれ,それ以降,車中泊の話題は吹っ飛んでしまいました.

 私としては,脳に異常がなく,すでに耳鼻科でめまいの治療を受け,問題なく日常生活を送っていたため,救急車で搬送されたことの重要性はそれほど高くなかったのですが,確かに,考えてみれば,客観的には「いやいやそんなことより,先生,大丈夫なんですか?体大事にしてください」となるのが当然といえば当然ですね.

 私の場合,多分,こういうところ(話の中で力点を置く部分や視点を当てるべきところい)がちょっとズレていることがあるんだと思います.

 私の感覚・感性では,松岡充氏のような絶妙な世界観を築くまでには至ることはないと思いますし,また,そのことについて好意的な見方をしてもらえる場合ばかりではないと思いますが,職業的な立場・役割もありますし,今更,この歳になって感覚・感性に矯正が効くものでもありませんので,「絶妙」には至らなくとも「微妙」にズレた感覚・感性を研ぎ澄まして,少し斜め上を目指して歩いていければと思っています.

 最後までご覧くださりありがとうございました.
 今年も,どうぞよろしくお願いします.