経験

 弁護士として登録した当初,何よりも「経験」が欲しいと思いながらも,経験が浅いことを理由に仕事をいただけない,あるいは引き受けないことが許されないことは自明のことでした.
 そのため,経験も大事だが,手に入らないものを渇望するよりも,技術や能力を高めるべきだとの考えを第一のものとして,今に至っています.

 今週の火曜日4時50分に,我が家の一番古株のメス猫が息を引き取りました.
 その前の週の水曜日に動物病院の予約が取れ,検査を経て入院となり,今週の月曜日に退院し,それから12時間ほどが経過した後のことです.

 入院の際,動物病院の先生から,猫の状態についてはかなり危険で,検査で預かっている最中にも息を引き取るかもしれない(自宅で看取れないかもしれない)と説明を受けました.
 そして,検査の結果,基準値をはるかに超える検査結果を示されながら,糖尿病(による合併症を引き起こした状態)であると説明を受けました.

 そうは言っても,自宅に戻った所で軽快するとはとても思えず,迷わず入院しての治療を選択しました.そして,治療の邪魔にならない範囲で,入院中の猫に何度か面会にも行きました.
 月曜日には,入院の延長をお願いしようと考え,動物病院から要求された訳ではありませんが,前金を準備して面会に行ったところ,基準値からは外れているものの,最初の検査結果からすれば数値が下がりつつあるということでした.
 そして,猫のストレス軽減の必要もあるため,一旦は退院することになり,その際,金曜日に再度検査のために来院するように,あわせて説明がされました.

 しかし,おそらく先生はわかっていたんだと思います.

 このまま入院を継続したとしても,ほんのわずかな延命が期待できるかどうかでしかなく,入院したまま息を引き取るよりも,自宅に戻った方が良いということを.
 そして,金曜日に検査のために来院することもないであろうことを.

 さらには,そもそも,先週の水曜日に病院で最初に診てもらった時に,おそらくそう長くない(数日中)ということも.
 そして,費用を投じて入院・治療を選択したとしても回復することはなく,費用に見合った医療効果が得られないことも.

 けれど,それだけではなく,飼い主が,入院や治療という選択肢の提示を受け,それを選ぶことにより,動物が息を引き取った後に,「もっと早く気づいてあげれば」という後悔は残るとしても,「何もしてあげられなかった」という罪悪感がわずかであっても軽減されうることも.
 さらには,飼い主が入院を延長するという選択肢を選ぶ可能性があることも,そして,そうしない方が良いと理解(誤解)して退院するという提案を受け入れた方が,結果として自宅で看取ることができるであろうことも.

 おそらく先生はわかっていたんだと思います.

 先生は,初めてお会いした際,猫の状態を告げるにあたり,最初に「25年の経験からすれば」という前置きをして,私に対し,危険な状態にあると説明しました.
 その時,私の中で「経験」という言葉が用いられたことについて必要以上に頭の中に引っかかっていたのですが,猫の火葬も終え,通常の生活に戻らなければならない今になって,猫に対する治療も含めた我が家への対応の全てが,先生の「経験」によりもたらされたものであろうことを理解するに至っています.

 救えずに失われた命をいくつも経験し,飼い主からの心無い罵声などを浴びせられたことも多数あるんだろうと思います.
 我が家の猫を退院させる際に見せた数値の下がった検査結果については,さすがに嘘ではないと思いますが,感謝の気持ちもさることながら,同じ専門職の技術者として,大変勉強になりました.

他人の痛みは100年我慢できる?

 我が家の保護猫のうち,最も古株のメス猫が,おそらく,ここ数日中に死んでしまうだろうと思っています.
 餌を食べない,水も飲まない,水を飲ませても吐いてしまう,トイレもできず横たわったまま漏らしてしまう.
 かろうじて,姿勢を変えたり寝返りをうったりはまだできますが,顔だけ見れば,すでに意識があるのかないのか分からないような表情で,腹がわずかに上下に動く様子を見て,生きていることを確認できている,そんな状況です.

 この子は,約10年前にやってきた猫で,この子がいなければ,それ以降の保護猫も我が家にはやってこなかったはずです.
 反対に,不動産屋(管理会社)に猫が見つかり,そのおかけで,アパートからは追い出され,今のペット可の住居に引っ越さなければならなくなりました.自業自得ではありますが,そのおかげで,今の住居に引っ越したおかげで,家族の生活環境が良くなったのは間違いありません.

 なのに,異変を察知してあげることができず,昨日の仕事を後回しにしてでも午前中のうちに病院に連れて行かなかったことが悔やまれて仕方ありません.

 仕事も家事も,何も手につきませんね.

 猫が横たわっている側で,この子が家に来た時からのことを思い出してはいちいち涙ぐんで,通じることも覚えていることもないのに猫に話かけるという,まあ,不毛というか建設的でない時間を過ごしております.
 ようやく予約が取れ,検査のために病院に預けては来たものの,迎えに行く時は,息をしていない可能性も覚悟しなければならないと言われています.

 他方で,朝刊の記事には,イスラエルがパレスチナに地上戦による侵攻を開始することが載っており,さらなる死者の増加が予想されるとのことでした.そうでないとしても,これまでの数多くの犠牲者のことを考えれば,人類の過ち(と言っていいと思います)により多くの人の命・人生が失われたことが容易に想像でき,その事実の意味を理解することができるはずです.

 けれど,私はプラカード持って,国会前でデモをすることもしてませんし,救援物資を持って,ガザ地区へ行こうともしていません.
 何より,そのような惨状を想像しても,涙は出てこないですよね.

 政治家に対して批判的な意見をここでは書いたりもしますが,結局自分も,想像力のなさと,想像したことが自分の心理と行動に及ぼす影響は,「自分が死ぬことはない」と思って戦争を行う政治家とあまり変わらないのかもしれません.

 もうゴロゴロと喉を鳴らしてくれることもありませんが,横たわる猫を撫でながら,「他人の痛みは100年我慢できる」という昔聞いた言葉を思い出し,これから続くであろう猫に対する喪失感とどう付き合って生きていこうかと思い悩ませています.

石破さんの退陣について

 率直に言って,残念に思います.

 少数与党で,野党と部分的に協力しながら法案や予算を通したことは評価されないのでしょうか?
 自民一強による国会運営を20代の頃から何年も見てきた私としては,国会のあり方として,画期的とも言える変化をもたらしたように感じ,新たな政治に期待したところでした.

 これまでの「石破おろし」は,あくまでも,自民党内部の権力争いでしかなく,参議院選挙で負けたとしても,世論調査で「辞任する必要ない」の割合が高いことは,国民が退陣を求ていないことを意味しませんか?
 参議院選挙の結果について「勝てないとの民意」が示されたといったとある首相経験者もいましたが,石破さんは,それについても耳を貸さずに,信念を貫いて欲しかったですね.

 今回の参議院選挙の結果を踏まえ,自民党(それ以外の野党も含めた多く)の政治家がむしろ争うべきは,ポピュリズム的な政治勢力の台頭に対してであって,決して,党内の権力闘争ではなかったといえませんでしょうか.

 石破さんの述べた退陣の理由として「党内に決定的な分断を生みかねないと考えたから」というのは,石破さんであっても,党内の力関係には抗えなかったという意味であるとともに,そこを優先しなければならないという日本の政治の現状を表すものとして,特に,残念に思えてなりません.

2025年大野城市長選挙について

 今月の7日(日曜日)に,大野城市長選挙の投開票日を控えています.

 大野城市で開業して約15年間,この街を見てきました.
 商工会に入り,青年部で活動しているときには,今回の選挙に出馬しない意向を表明した,現在の井本市長と何度もお話しする機会を得てきました.
 そういった経験を踏まえて,今回の市長選挙については,女性の候補者が当選してくれるといいなと思っています.

 その理由は,あくまでも私の個人的な印象に過ぎないのですが,大野城市という街というか,組織というものが,どちらかというと家父長的な雰囲気が根強く残っているように感じられるからです.
 そのため,市長というトップに女性が就任することで,少しでも,そのような傾向が変わってくれないかと期待しています.

 そのように感じる理由の大きな理由は,商工会の女性部の存在と,商工会の要職に,男性しか就任していないことです.
 特に,女性部というのは,青年部が女性の加入も認められているのに対して,女性だけで組織する部であるとともに,その設置理由は,組合員の配偶者(妻)の活躍する場を設けるというのがきっかけだったようです.
 そして,そのことは,時代が変わった今でも,優秀な女性会員は,女性部長をやればよく,それより上の,会長副会長になろうという考えを持ちにくくすることに役立っているように思えてなりません.

 また,大野城市役所の幹部によるパワハラ問題も,そのような家父長的な雰囲気が優越的な関係に繋がり,そのような職場環境のもとで生じたものではないかと疑わずにいられません.

 もちろん,私の付き合いのある方々に男性が多いというのがそのような印象を私に抱かせているのかもしれませんが,そのほかに,女性候補者を推す理由を挙げるとすれば,選挙のビラの内容も理由の一つです.

 とある男性候補者のビラには「1」(日本一,オンリーワン,このまちが一番)という数字がいくつも掲げられていますが,「1」に当たるかどうか,定量的に計れない事柄にそのような数字を掲げるのは,正直なところ違和感があります.

 また「『思いをひとつに』がんばります!」と書いてあることも,このかたを支持しなかった市民は,その「ひとつ」の輪の中に入らなかったことで何か不利益に扱われないかと不安になってしまいます.
 少し話はずれますが,「ひとつ」の輪が形成されたときに,その中に入れない人を,特別に扱う(ケアする)ことは,もし,その「ひとつ」の中にいる人が,何らかの理由で特別な扱いが必要になったとしても,ちゃんとケアしてもらえるという安心感に繋がり,そのコミュニティーに安心して所属できる理由になると聞いたことがあります.学校のクラスを思い浮かべればわかりやすいと思います.

 ビラの内容については,そのほかにもありますが,この辺にしておきます.

 非常に感覚的・印象的な理由ではありますが,今回の選挙については,そのように考えています.