「ダサい」?

 高市さんが,国会の場で,自分で任命した簗農林水産大臣について「ダサい」といい,最終的に更迭するに至りました.

 世論調査では,この件を理由に内閣支持率がそれほど下がってはいないようですが,結論としては,高市さんは総理大臣は辞めるべきだと思います.
 その理由は,そのような発言をすること自体,仕事を行う人間として,能力がないといわざるを得ないからです.

 この「ダサい」という発言は,簗大臣が,自分の選挙区での支援者に対する演説で,自分のことを選挙で応援しなかった自治体の「予算をカットした」と公言したことが問題となり,その発言に対して高市さんからなされたものです.
 高市さんも,当初は,「仕事でかえせ」と言うなどして庇っていたようですが,国会で任命責任を問われた際に,簗大臣の発言について「ダサい」と述べるに至ったものです.
 そして,その翌日だったと思いますが,簗大臣が辞任するに至りました.

 私が,この「ダサい」発言で高市さんの能力がないと考えるのは,「ダサい」(反対に「イケてる」)という発言が感性によるもので,理性に基づくものではないからです.
 そうすると,そのことがなぜダサいといえるのか,本来的には,その理由を具体的に示すことが必要であるのに,それをしないまま「ダサい」と述べるだけで,何が問題であるのかを示すことにはなりません.
 なぜあなたがそのことを「ダサい」と受け止め,そして更迭まで至るのか,そのことを説明せずに済ましてしまうのであれば,総理大臣として内閣の首長を務めることはできないと思います.

 話は少し変わりますが,最近,裁判所等に提出する書類を作成すると,それをAIに読み込ませて,誤字脱字だけでなく,論理性や表現に問題がある箇所を指摘するように指示を出すことがよくあります.
 そうすると,AIは,誤字脱字のみならず,率直にズバズバと「ここは論理が弱い」「論理が飛躍しています」「表現として裁判所から嫌われます」など指摘してくれますが,その際に,そう指摘する理由を必ず示してくれます.

 私はこれまで,行政の役人として文書を作成・起案し,こと細かに上司に修正されるという経験をしたことがあります.
 弁護士となってからも,一緒に仕事をした他の弁護士から表現を直されたこと,あるいは,ダメ出しをされたことは幾度となくあります.
 しかし,そう修正するだけの理由が明確でなく,「それはあなたの趣味か?」としか思えない場合が結構ありました.
 でも,AIは,論理の弱さや表現の誤り等を指摘する時に,必ず,理由をつけてくれるんです.そして,それを繰り返して修正を重ねることで,確実に文書の質が向上することを実感できています.

 もちろん,AIは嘘をついたり誤った内容を提示することはありますので,100%信頼して良いものではありませんが,ここではそれは別にして,少なくとも,
 「この表現はダサい」
という理由で修正を求めることはありません.

 でも,仕事って,そういうものですよね.

 高市さんは,どこまでのことを考えて,簗大臣について「ダサい」といったのかわかりませんが,少なくとも国会の場は,感性だけで物事を決めて良い場所ではありません.
 ファッション評論家が,街角ファッションチェックなどといって「ダサい」とか「イケてる」とか自分の感性を押し付けてもそれが許される場面とは全く異なるものです.

 国民が理解できる言葉で説明しましょうよ.
 できないんですか?

 憲法43条1項は,国会議員について,「全国民を代表する」と規定しています.その議員が当選するにあたって,票を投じてくれた人もそうでない人も区別することなく,全国民の代表として活動することが求められています.
 さらに,国会議員としてだけでなく,大臣として行政庁のトップとなるのであれば,与党や野党の区別なく,全ての国民に対して公正,公平に法を施行すべき立場となるものです.

 そうすると,政党間の対立がある国会議員としてはまだ許容されうるとしても,行政のトップ(大臣)としての資質があるのかというと否定されるはずです.
 だから,簗大臣にはそのような資質がなく,それを任命したことは責任問題といえるんです.

 私の感性からしても,簗大臣の発言であったり,そのような発言に至までの考え方については,率直に「ダサい」と思いますが,そこまでのことを説明しなければ伝わらないはずです.
 高市さんが,同じような理由で簗大臣の発言を「ダサい」と考えたのかどうかはわかりませんが,国会の場面で,総理大臣という立場で感性に訴えるような発言しか行わなかった以上,総理大臣としての能力を疑わざるを得ません.

家族の一体感 = ドグマ?

 選択的夫婦別姓について,賛成派と反対派がいますが,反対派がいまだに

「家族の一体性が損なわれる」

ということを理由に挙げることが理解できません.

 とある時の総理大臣が「女性ならではの感性」

と述べて,実際にそんなものがあるのかないのかという批判を浴びたように,「家族の一体感」というものも,実際に存在するといえるのでしょうか?

 確かに,私にも家族がいます.
 しかし,カミさんであっても,子どもに対しても,「中野〇〇」という呼び方はしません.当然ですよね.
 名で呼ぶことがほとんどで,改めて家族みんなが同一の「姓」であることを自覚するように,「中野〇〇」なんて呼び方はしません.諸外国と同じようにファーストネームで呼ぶだけですよね.

 また,我が家にも,一応の家訓
  ・親より先に死ぬな
  ・保証人にはなるな
  ・乗り物は自分で買え
はありますが,我が家独自のものでは決してないはずです.
 「親より先に死ぬな」はほぼ人類共通の命題だと思いますし,さらにいえば「ほ保証人〜」と「乗り物は〜」は,実は,母方の祖母からの訓示でして,「中野」の家訓ではありません.

 そうすると,結局のところ,家族以外の人間(近隣住民),地方自治体,国が国民(我が家の家族)を把握するにあたり,一つの戸籍に一つの「姓」があって,それでまとめて取り扱うという便宜的なものでしかないというのが実際の理由でしかないように思います.
 つまり,精神ないし文化的な意味での「家族の一体感」ということを理由に「姓」が用いられているのではなく,国民を把握する技術的な方法という意味しかないということです.

 その反面,各国民にひとつずつマイナンバーが付与され,家庭裁判所で氏名の変更の許可を受けることはできても,変更することのできない番号で管理されるようになったことからすれば,「家族の一体感」という,得体の知れないもののために,夫婦同姓を強制する必要があるというのは,国民を把握する技術的な方法という意味でも理由がないように思います.

 そのため,結局のところ,「家族の一体感」という理由は抽象論であり,「日本」という名の宗教におけるドグマでしかありませんよね.
 なんとかならないものですかね.

15年

 本日(2026年10月4日)が終われば,弁護士登録してから,満15年となります.

 実際のところ,生まれてから中学校を卒業するまでと同じ期間(実際はそれよりも長く)弁護士を続けてきたという感覚はなく,この15年間何があったかと思い返しても,ぼんやりとしか思い出せません.

 1つ思い出せることがあるとすれば,弁護士1年目の頃,福岡のとある有名な弁護士から,

「15年ぐらいやると,尋問で何をすればいいかわかるようになる」

 と言われたことです.

 弁護士として15年経ってみても,まだまだ分からないことや知らないことばかりで,その有名な弁護士が述べたほどの領域にはまだまだ達してはいないはずですが,確かに,あの頃よりも,各事件においてやるべきことが明確にイメージできている感じはあります.
 証人尋問に限らず,事件の見通しとそれを実現するために必要ことについて,15年前よりは,少しは使える(お役に立てる)ようになったような気がします.

 ただ,このことを裏から見れば,15年間,弁護士として使えなかった(お役に立てなかった)ことが多々あったはずで,その時の最善を尽くしたかもしれないが,まだまだ,やれること,やるべきことがあったのではないかと思えてなりません.

 明日(2026年10月5日)は,弁護士となってから,15年と1日目です.

 明日は,今日よりも少しは使えるようになるため,能力を高め,技術を磨き続けられるよう精進できればと思います.