「うちにはサンタさんが来ない」

 とある方(大人)が言っていました.
 「サンタに手柄はやらない」
 「プレゼントは私が仕事をして稼いだお金で買うんだ」
 「感謝されるべきは私だ」

 それはそれでいいと思います.
 あなたの家にサンタさんは来なくても,あなたが子供のために仕事をしてプレゼントを買って,その子の成長のために親としての責任を果たしているのであれば.
 それに対して,これが子どもの口から出たものであれば,胸が痛くなります.

 先日の朝刊に,とある小説の中で,教師が声をかけた生徒の発した台詞としてこれが紹介されていました.
 クリスマスを祝うか祝わないか,祝わないとしても,サンタが本当にいるのかいないのかを子どもなりに考えたり,サンタが来るまで寝ないで頑張ったり,友達から「お前まだサンタ信じているのかよ」と少しだけ馬鹿にされたり,全ての子供がそんな経験をできる家庭であり,社会であってほしいと願わずにいられません.

 特定の政党の話はあまり好んでする方ではありませんが,自民党そのものは嫌いではありません.ただ,谷垣さんが総裁になった時,彼を総理大臣にしなかったことで自民党(あるいは政治全体)には嫌気がさしました.
 そして,谷垣さんをさしおいて総理大臣となった(故)安倍さんについては,その価値観が合わないため,私は彼が嫌いでしたし,今でも嫌いです.

 ただ,彼が総理大臣になった時の,いつかの年末.確かに,世の中が少しだけその将来を期待して,誰もが,その時はこれまでの年末よりも暖かくして過ごせそうな雰囲気になったことがあったように記憶しています(私がそう感じただけかもしれません.).

 公務員の頃と違い,弁護士になってから毎年この時期になると,無事に年が越せることのありがたさを身をもって感じるようになるとともに,全ての人が,空腹を耐え寒さに震えることなく,温かい年の瀬を過ごせることを願ってやみません.

右側に(も)立ちましょう

 ここ最近,電車に乗る機会が多く,それにともなって,駅のエスカレーターを利用する機会がありました.

 大学に進学して東京で一人暮らしを始めた頃のこと(約30年前)ですが,エスカレーターの片側(東京では右側,大阪では左側)を開けて乗ることが常識となっているという現実を目の当たりにしました.
 そのため,高校の同級生が東京に遊びに来た際,エスカレーターに乗ることがあり,右側を開けるように伝えたところ「お前らしくないな」「東京に染まったか」ということを言われたことがありました.

 その当時は,そうすることが当たり前だと思ったというか,「刷り込まれた」「洗脳された」というのが正しいのだと思いますが,今になると,ずいぶん不合理で効率性に欠け,何よりも,そこを歩いて通ることが危険だなと思うようになりました.

 少し前に,法律の制定により,エスカレーターを歩いて,それで他人に怪我を負わせた時には,罰則が課されるようになったと記憶しておりますが,そのこと自体がエスカレーターの片側を開けることを解消することにはなっていないようです.
 そのため,全国的に,二列に並んでエスカレーターに乗ることを推奨する条例等ができていることを最近知りましたが,やはりそれでも即座に状況が変わるには至っていないようです.

 そこで,みな揃って,左側一列になってエスカレーターに乗る中で,ただ1人,右側に立ち,ここ最近はエスカレーターを利用しています.
 始点で右側に乗り,終端に到達するまで歩かないという,ほんの20秒程度のことですが,後ろから鋭く刺さる視線を感じながら,1人「右側に立ちましょう」運動を推進しております.

 ご賛同いただける方はぜひ,ご一緒にいかがでしょうか.

春日署の留置管理係

 とある12月の夜,事務所近辺を歩いていたところ,60ないし70代の男性と思われる方が道路の端のところに倒れていました.その状況は,酔っ払ってロープに引っかかって転倒して,そのままその場に寝込んでしまったものでした.

 そのため,その方に声をかけ,立ち上がれるかどうか,帰路に着けるかどうか,家族に来てもらうかタクシーを呼ぶかなど,30分ほどその場でやりとりしましたが,最終的に,警察に通報して保護してもらい,私はその場を後にしました.

 その方は,これまでも何度か警察にお世話(保護されたという意味です)になったことがあるようで,警察に対する愚痴のようなことも述べていました.
 そして,私が通報したことを不快に思ったのだと思います.警官に保護されながら,私に向かって「名前は」と尋ねてきましたが,私はそれに応えることなく,心の中で,

 「春日署の留置管理係は親切な方が多いから大丈夫ですよ」

と言いながらその場を後にしました.

 ここで,警察署の留置管理(課・係)というのは,刑事課の警察官のように捜査を行う部署ではなく,逮捕・勾留された方が警察署内で過ごすにあたって,その管理を行う部署です.
 勾留されている方に対する親族等からの差し入れを受け付けたり,警察署内での所持品や所持金の管理などをすることを業務としています.上記の酔っ払いの方のように,一時的に保護された方の対応もこの係が行うはずです.
 また,私が弁護人として被疑者(勾留されている方)などに面会に行くと,その受付対応をするのも留置管理係の方々です.
 私の場合,事務所の所在地が大野城市ということもあり,春日署に行くことが多くあるのですが,春日署の留置管理係(正確には,春日署は県警本部の分室という扱いのようです)の方々は,かなり,親切に対応してくれるという印象を私は持っています.

 春日署に勾留中の被疑者(まだ20歳になったばかりの女性)で,2か月後に出産を控えている方がいました.
 私が,とある事情からその方の弁護人となりながら,選任後1週間ほどの時点で裁判所から解任されることが濃厚となったタイミングで,被疑者に,春日神社で購入した安産のお守りを差し入れようとしました.

 ご存知の方もいるかと思いますが,警察署への差入れ可能なものには事細かに制限があり,当初は,留置管理係から「お守りは差し入れできません」という対応を受けましたが,問い合わせに対応してくれた方は,後ろにいる上司に相談してくれたんだと思います,「(弁護人の)業務として必要であれば可能です」と答えてくれました.

 そのため,警察署に赴き,受付で「被疑者との信頼関係の維持のために必要です」と説明したところ,受付の係の方も「わかりました」と答え,私がお守りだけを差し入れようとしたところ,その受付の方は,「袋は?」と尋ね,「ここに『袋 1枚』と記載してもらえればこれも大丈夫です」と,私が手にしていた,「春日神社」と印字のある袋も一緒に差し入れるよう勧めてくれました.

 ノートやペン,あるいは裁判の証拠を差し入れるならまだしも,弁護活動に必要かと言われれば,お守りなんて必要ないはずです.留置管理係の方々も,そのことをわかっていたはずですが,そのような対応をしてくれたものです.

 また,別の機会のことですが,私が警察署に行き問い合わせを行った際,無回答で門前払いをされたことがありました.そうしたところ,春日署の当時の課長だったと思いますが,対応した係員について,対応が不十分であったと謝罪の電話を事務所にかけてきたことがありました.

 そのほか,私がとある事件の弁護人となった際,43日間連続で,毎朝接見に春日署に行ったことがあったのですが,受付を対応する方がほぼ毎日同じ方だったため,「おやすみはとれてます?」と尋ねると「ははは」と笑いながら,「先生もね」という顔をされたこともあり,そんなこんなで,半ば顔見知りという関係にもあるからかもしれませんが,春日署の留置管理係には,悪い印象はありません.

 酔っ払って道に倒れていた方に,心の中で「春日署の留置管理係は親切な方が多いから大丈夫ですよ」と呟いたのは,以上のような理由からです.

 春日署の留置管理の担当の方,今年はあまりそちらにお伺いする機会はありませんでしたが,今後とも,どうぞよろしくお願いします.

 なお,誤解のないように念の為申し上げれば,私が警察に保護を求めたことについて,「良いことをした」という感覚は全くありません.
 もし,私が何もしなかった場合,路上で寝てしまって凍死されても,自動車に撥ねられてしまっても後味が良くないというのがその動機です.「あの時110番通報していれば」という後悔を抱えて今後の人生を生きることが嫌だと考えた利己的な動機でしかありません.

 私も,酔っ払って自宅の玄関前のみならず,夜の屋外で寝てしまった経験は何度かあるため,その心境として,警察に保護されず,自力で帰宅したいという気持ちは痛いほどわかりますが,上記のような利己的な動機を理由に,通報した次第です.

「またお越しください」

 先日,コンビニエンスストアと書店で買い物をした際,いずれの店舗でも,レジの対応をされた店員さんから「またお越しください」と言われました.

 以前までは,レジを済ませた際,「ありがとうございました」といわれるのが多かったと思っていたため,やや違和感を感じましたが,カスハラを防止するための従業員としてのマインドセットという意味があるのだろうと勝手に納得しました.

 いいことだと思います.

 以前,新聞配達をしていたとき,その雇用主であった所長は,経済人であること,それにより雇用を産んでいることなどを誇りとしていました.
 そのため,新聞の購読者に対しても,サービス品目当てに契約をして,購読料を支払わない客に対しては,他の客に対する公平感が損なわれるなどの理由で厳しい対応をしていました(私に対して裁判の申立てを依頼し,執行官とともに,自宅に差押に行くこともありました.).
 また,対等の立場で契約したということを重んじ,一方的に期間途中で購読中止の申し入れをしてくる購読者に対しても同様でした.

 その反面,新聞の営業等を行う従業員の中には,その職業をかなり低く考えている方もおり,要するに「新聞をとってもらっている」という感覚で働いていたことが,言動の端々からよく伝わってくることがありました.

 私としては,とある某パン工場のアルバイトを断られたことがあるという経験から,(ここでは「採用されて」)当たり前と思うことが当たり前でなかった場合の不利益の大きさを知っていました.そのため,所長の経営姿勢や考えに触れ,「新聞を購読したいと思いながらも,どの販売店も契約してくれなかったら新聞を読むことができなくなる」ということを切に感じたものでした.

 このことは,新聞だけでなく,「何かを購入したいと思っても,それを拒否されてしまえば購入できないことになる」ということで,例えば,コンビニエンスストアで,おにぎりを手に取りレジに運んだとしても,そこで販売を拒否されるということもあり得るという考えにつながります.
 もちろんそのようなことは容易には起こり得ないとしても,カスハラを理由にそれが現実化したとき,それ自体を否定ないし非難することはできないと思います.
 飲食店等では,飲酒等に伴う素行の悪さを理由に「出入禁止」とされることが昔からありましたが,今後は,どのような商業施設においても,同様のことが容易に起こりうるかもしれません.

 コンビニエンスストアのレジで,「ありがとうございました」どころか「またお越しください」でもなく,「今後のご来店はお断り致します」と言われるようなことがないよう,普段の素行には気をつけたいと改めて感じたところでした.

「は」だったか「も」だったか?

どっちだったっけ?
「これでお前『は』俺の女だ」?
「これでお前『も』俺の女だ」?

 半年ほど前から,Webブラウザのトップページをヤフーにしておくことをやめました.理由は,意味なく各種サイトを閲覧して,時間を無駄に使うことに気づいたからです.
 それに伴って,Yahooだけでなく,意味なくネットサーフィンをすることがなくなり,仕事などの調べ物をする以外に,ネット検索をすることもなくなりました.自分なりに,良いことだと思っています.

 そんな折,久しぶりに,「検事正」という,自身の業務に関係しないワードを検索するに至りました(絶対に関係ないわけではありませんが,直接的な関係はありません.これに関する情報を知っておく必要があるかというとそうではないものです.).
 目的は,部下に対する不同意性交罪で起訴された元検事正の行った発言が,冒頭の通り「は」だったか「も」だったかを確認するためです.

 検索結果から,起訴された事件以外にも同様のことをやったことがあったんだろうと思うに至り,自認から否認に転じた理由について,なんとなく,自分なりに納得ができたように思いました.また,同じ法曹関係者として残念としかいいようがありません.

 この事件について,報道では,第1回公判で,元検事正は起訴事実を認めたところ,一転して,否認したということのようです.
 そして,これまでの弁護人が解任され,新たな弁護人のもとで否認「同意があると認識していた」と主張するに至ったというものです.

 法的に見れば,この元検事正(被告人)の主張(弁解)は,故意がなかったというもので,罪を犯す意思がなかったことを理由に犯罪が成立しないと主張するものです.
 しかし,この事件で,このような主張が認められるでしょうか?

 報道で見聞きした情報(証拠により認められた事実ではありません)に基づく推察ではありますが,私自身難しいと考えます.
 そのように考える理由は,次の通りです.

 まず,刑事事件としては故意ではないとしても,よった部下を官舎に連れ込んで性交渉に及んだ行為自体に,過失はあったことにはなるはずです.
 元検事正のいうとおり誤解があったとしても,部下からの申出により,(少なくとも事後的に)実際は同意がなかったこと理解するに至ったといえます.なぜなら,食事をご馳走すると申し出ていた事実や,口止めをしたからです.

 次に,同意がなかったと認識した以上,被害者とされる部下に対して,自らの過失で重大な人権侵害行為に及んだということも同時に認識したはずで,そうすると「食事をご馳走する」ということが,その被害弁償として十分かということを考えると,不十分にすぎるのも程があります.

 そして,組織を背景として口止めをしたとの報道もされていますが,過失であれば,そうすることにはならないのではないでしょうか.仮に口止めするとしても,食事をご馳走してという発想にはいたらないはずです.

 以上の元検事正の態度からは,被害者に対する謝罪(間違いがあったら謝りますよね)があったとは考えがたく,そうであれば,事後的にも,自己に過失があったことを認めていたとは認められ難いはずです(要するに,同意なくやったとの認識に基づく態度だということです.).

 そうすると,彼の行為は,同意があったと誤認して性交渉に及んだ場合にとるであろうものとはかけ離れているため,当時,「同意があった」と認識していたとは認め難いことになると思います.

 それにもかかわらず,そのような主張をするに至った理由はなぜなのか?

 単に,刑務所に行くのが嫌で,なんとか争ってあわよくば無罪にしたい(執行猶予でも構わない)という考えがあるのはその通りだと思います.
 しかし,当時から現在に至るまでの事実関係に照らせば,これが難しいことは彼自身が一番よく理解しているはずです.
 そもそも,彼自身,そのような弁解をする被疑者・被告人を取り調べ,訴追し,求刑し,有罪として刑務所に送ったことが数多くあったはずです.もちろん,無罪になった方もいるかもしれませんが,ケースとしてはまれなはずで,そのことも分かっているはずです.

 そうすると,彼が否認に転じた理由は,余罪が出てくること(複数存在するであろう他の被害者が,これをきっかけに被害を申告すること)を懸念してというのが一番の理由ではないかと思い至り,上記のとおり検索したというものでした.

 余罪が出てきて,これについて起訴されることはあまり考えられないとしても,そのような報道がされてしまえば,余罪についての報道と相まって,社会的には抹殺されたに等しいものとなるでしょう.彼自身もそれはよく理解していはずです.

 そして,検索結果からは,やはり,「これでお前『も』俺の女だ」でした.

 なお,「も」の意味が,単にこれまで性的な関係を持ったことがある女性が複数存在するから,ということしか意味しないといえばその通りです.
 その場合には,「余罪」という表現は不適切ですし,私の推測も「邪推」の域を出ないものです.

 しかし,その場合,真摯に交際して性的関係を有するに至った女性もいたものと思われますが,そのような関係にあった女性に対しても「俺の女」と考えていたのであれば,そんな方が検事をやっていたことは残念としか言いようがありません.

ミルクソフトが作れない理由

「搾りたての牛乳とソフトクリームが商品にあって,ソフトクリームを作る機械もあるのに,なんでミルクソフトができないんだ?」

「それは、私がこの店のオーナーではないから。」

 これは,とある雑誌に載っていた,旅先での芸能人とソフトクリーム屋の店員とのやりとりです.確かに納得せざるを得ません.

 ところで,私のことですが,20年ほど前の一時期,知人らに対し,

「ロシアの大統領になって核兵器を全て放棄・廃棄して,アメリカにも核の放棄を求め,それによってノーベル平和賞を受賞する」

 と言っていたことがあります.
 これは,私が大学院に進まずに公務員となり,研究者を志すのやめた後のことです.
 ノーベル賞にこだわりがあったわけではありませんが,核兵器を放棄・廃棄すればノーベル賞がもらえるかもしれない,それができるのは誰だろうか,どういう立場なんだろうかという,安易な発想に基づく,冗談の域をでないものにすぎません.

 しかし,ロシアの大統領をはじめとする政府高官の方々,イスラエルおよびその紛争相手の軍事組織のそれぞれのトップの方々には,間違いなく,そうするだけの権限があるはずです.

 とりあえず,戦争辞めませんか?
 この地球上に,別にオーナーがいるというわけではないはずですよね.