こんな大人になりたい

 昔,轍にハマった車,縁石に乗り上げて自走できなくなった車があると,どこからともなく,複数の方々が集まってきて,みんなで「よいしょ」という感じで車を持ち上げて復旧させて去っていく様子を比較的多く見かけたような気がします(気がするだけで,客観的な統計値によるものではありません.).

 随分前のサッポロビールのCMでそんな場面があり,何人かの男性が自然と集まってきて,自動車を持ち上げて縁石から外すというものがありました.
 トラブルが解決したのち,男性たちは,運転手がお礼を言うのを待たずにそれぞれ元々の行き先に向かって歩き出すと,その時にみな,サッポロビールの6缶パックを手にしているというものだったように記憶しています.

 率直に「そんな大人になりたい」と思ったことがありました.

 ここ最近,個人からの依頼のうち,そのいくつかが上手く解決し,かなり安堵しました.
 弁護士は,元々なりたい職業であったわけではなく,生活もあってやっている面があるけれど,やはり,うまくいった時,あるいは感謝される時はそれなりの充実感や満足感を感じます.

 弁護士にとって,会社からの依頼だと,1回限りというよりも継続的に依頼が来ることもあるため,良い時も悪い時も含めてお付き合いをする感じの場合が多いですが,個人からの依頼は,基本的に1回限りが多いです(反対に,何度もトラブルが起こるような場合はむしろよくないと思っています.).

 個人の依頼者については,そんな関係だからこそ,その依頼が無事に解決した時には,そのCMの出演者の演じた役のように,冷えたビールが緩くならないように,何ごともなく急いで去っていくような感じでお別れできれば良いと思っています.

 ですから,依頼者と最後にお会いする際は,「また何かあればよろしくお願いします」ではなく,「もう何事もないようにお願いしますね」といってお別れしています.

N国党の立花氏

 今年の3月14日,彼が,路上で切り付けられたことについては,率直に,起きてはいけないことだと思う.

 他方で,立花氏が,都知事選の候補者掲示板を占拠したことや,兵庫県知事選,千葉県知事選に立候補して,自己の当選を目的としない選挙活動(?)に終始することも,良いとは思わない.

 ただ,選挙活動における表現の自由は保障されなければならないし,また,被選挙権との関係でも,自由な選挙活動が保障されるべきだと思う.

 だから,単に,立花氏及びその率いる政党は,選挙で落ちれば良いと思うし,国民の多くがそのように投票行動に出てほしいと思う.

 民主主義を守るというのはそういうことだと思う.

長く生きるということ

 小学生になって以降だと思いますが,祝日が増えればいいなと思い,天皇がたくさん変われば,それだけ天皇誕生日が祝日になると思ったことがありました.つまり,長生きした末は,たくさんの祝日の存在する将来を期待したということです.

 発想が安易で幼稚ですよね.

 でも,この年になり,当然ながら,天皇誕生日はそう簡単には増えないことを理解しただけではなく(当然です.私と同じ時間の中を同じ速さで生きているわけですから),反対に悲しい・辛い記憶が増えていくことを実感するようになりました.

 1.17 阪神淡路大震災
 3.11 東日本大震災
 3.20 オウム真理教サリン事件
 9.11 アメリカ世界同時多発テロ

 これら以外にも,パンデミックをはじめ北海道南西沖地震,新潟中越地震,熊本地震,石川能登地震など,自分の受けた印象の強さから正確な日付までは覚えていないものもありますが,私以上に多くの記憶や経験を有する方もいるかと思います.

 何事もなく,心穏やかに生きていきたいと思っていますが,たった50年近く生きただけでも,なかなか,難しいですね.

黒猫?

 事務所の最寄り駅に,「BLACK CAT CAFE」という飲食店があります。
 店舗の側壁に表示された店名とロゴは次の写真のとおりです。

 白猫?

 まあ,それは良いとして,ずいぶん以前ですが,当時国会議員であった方(女性)が「女性はいくらでも嘘をつける」と発言して非難を浴びたことがありました.

 その(元)国会議員の発言が正しいとすれば,

 「女性はいくらでも嘘をつける」
  ↓
 「その発言をした(元)国会議員は女性である」
  ↓
 「その(元)国会議員は,いくらでも嘘をつける」

 ということになります(いわゆる三段論法ですね.).

 反対に,その(元)国会議員の発言が正しくないとすれば(どこを否定するかで異なるかとは思いますのでこれに限られません),

 「女性はすべてのことについて嘘をつけるわけではない」
  ↓
 「その発言をした(元)国会議員は女性である」
  ↓
 「その(元)国会議員は,すべてのことについて嘘をつけるわけではない」

 ということになろうかと思います.

 ところで,先日,その元国会議員が,次の参議院選挙の候補者としてとある政党で公認されたとの報道に接しました.
 その(元)国会議員の当時の発言が正しければ,その方は,これからも嘘をつくのでしょうから,基本的には信用できません.
 他方で,これが正しくないとしても,その方は,自分の信念等に対して嘘を突き通すことができないはずですから,どこかで自分の本心が出てしまい,これまで行った謝罪などがすべて吹き飛ぶ可能性があるということですよね.

 本当に,このかたを公認してよかったのか疑問がつきません.

死刑について

 端的に言いますと,死刑には反対の立場です.廃止すべきだと思っています.

 内閣府が行った調査では,回答があったうちの8割以上の方が死刑制度が存在するのは仕方ないと考えているようです.

 ところで,私が中学生の頃,同級生と喧嘩になりお互いに殴ったり殴られたりしたときのことです.
 担任の教師から,何で喧嘩になったのかを尋ねられ,それを説明した際に言われたことは「正義の暴力はない」ということでした.

 しかし,その言葉の後にその教師のとった行動はどうだったかというと,私の頭を平手で叩いたというものです.
 その瞬間,私の頭の上に「?」マークがぐるぐる回っていたのは説明するまでもありません「言うこととやることが違うやん」という率直な疑問です.

 死刑制度もこれと同じで,人の命を奪ってはならないという社会的な共通認識がある以上,それについて,国家であればこれを行って良いということにはならないはずです.特に,「国」という権力者は,国民からその権限を負託された立場でしかない以上,それを超えることはできないはずです.

 私としては,違法行為(他者への加害行為)をする者については,同じ社会を形成する構成員として,社会内で生活させることはできないと考えています.
 だから,その目的のため,刑罰が科されて社会から隔離されるものだと考えています(もちろん,罰金刑があることからすれば,刑罰には懲罰的な意味もあるでしょうし,この点については異論はあるとと思います.).

 そうである以上,命を奪うという行為それ自体に刑罰としての意味を与える必要はなく,当然ながら,国家によりこれを行わせてはならないというのが私の考えです.

 ところで,大人になり,ある方から言われたことがあります.
 「中学校は,ダメな大人(教師)といかにうまく付き合うかを学ぶ場所だ」
 とのことでした.
 担任から叩かれた時に頭の上をぐるぐる回っていた「?」はこれで解消されましたが,現在の死刑制度については,国民の現在の意識からは,私の願う方向では,なかなか解消しないように思ったところです.

予算委員長に拍手を!

 タイトルについて,最初は「予算委員長に拍手をしてはいけない」にしようかと思っていましたが,やはり「予算委員長に拍手を」にすることにしました。

 これが何についてのことかというと,今年の2月5日の予算委員会の質疑において,とある委員が防衛省の制服組(自衛隊で隊務を行う自衛官)に対する答弁を求めたことに対し,委員長が文民統制を理由にこれを断ったという出来事についてです。
 最初は,当たり前のことなんだから拍手をしてはいけないという趣旨で書き始め,そのようなタイトルにしようかと考えたところでしたが,当たり前を維持することはとても難しく,特に,「空気」が支配する我が国においては,やはり,当たり前のことをするにも相当の努力が必要であり,その一つとしての予算委員長の対応には,やはり敬意を払うべきだと思うに至ったところです。

 ところで,文民統制とは,憲法66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という規定に含意される概念で,軍人ではない国民により軍が統制されなければならないことをいいます。
 要するに,政治に対して,実力部隊である軍部,わが国であれば自衛隊が権限を有することを排除し,民主的な政治の実現を手段として担保するという関係にあるともいえます。
 国内では,自衛隊が最たる実力を有するのは明らかで,その隊員がクーデターを起こそうとすれば,誰も止めることができなくなってしまいます。

 2007年のことだったと思いますが,防衛省が設置されました。
 設置と言いましたが,正しくは,それまで防衛庁として内閣府に従属する行政機関であったものが独立した省に昇格したものです。
 これは,第一次安倍内閣の頃のことで,それに伴い,最初の大臣に久間さんが任命(長官から昇格)されました。

 私の感覚からすれば,第一次安倍内閣が発足したことは,日本の政治が右に右に動いていくというものだと感じていましたので,この防衛省昇格のタイミングで初代大臣に就任した久間さんが映されるテレビの画面を見ながら,「この人が今クーデターを起こせば,日本はひっくり返るよね」とその頃所属していた厚生労働省のとある部署で同僚と話をしていたことを覚えています。

 現在は,石破総理のもと,与党が過半数を取れていない状況にありますが,世界中の国々で極右政党と位置付けられる政党が躍進しています。
 そのような流れの中で,日本においても右寄りの内閣が発足し,予算委員長にその右寄りの党派に所属する方が就任していれば,もしかすれば,あっさりと制服組による答弁を許した可能性も否定できません。
 そうなれば,内閣は,おそらく,文民統制の原則が憲法に存在しながらも,解釈によりこれを認めるという流れを作るべく議論を開始し,そして,そのことが当たり前のことにもなったかもしれません。

 我が国では,おそらく,クーデータにより一夜にして体制が変わってしまうようなことは,容易には起こらないと思いますが,しかし,少しずつの積み重ね(右傾化などが進み,憲法の解釈も変えられてしまうことなど)により,いつの間にか,これらと同じような効果をもたらすことは否定し得ないと思います。

 そのようなことを考えたとき,当たり前のことですが,予算委員長のとった対応に敬意を表したいと思ったところです。