慰謝料もらえますか?

 もらえないと思った方が良いと思います(絶対ではありませんが).

 以前からそうだったのかもしれませんが,広告を出してから「お金になるなら相談に行きたいんですけど」という電話での問合せが多くなったような気がします.
 しかし,ご相談のほとんど(全部と言ってもいいです)は,「無理です」とお答えして電話だけで終わっています.

 困ったことがあってご相談をくださるとき,その解決として慰謝料の支払いを求めるという手段が選択肢として出てくるのであれば良いのですが,先に「慰謝料」という言葉が出てくるのは,かなり違和感があります.

 他人のせいで手間がかかったとか,不快に感じたりすることは,社会生活を送る上で避けることはできません.そのため,多くの場合,お互い様ということで許容しなければならない場合が多くあります.
 特に,経済的な取引(私人間でもそうです)において,思惑通りに進まないことはよくありますが,元本を回収した以上に,手間がかかった,不快だったという理由にそれ以上の損害の賠償を求めうることはほぼないと思って良いと思います.
 もしそうでないとすれば,あらゆることを手間に感じ,あるいは不快に感じやすい方にとっては,社会生活というのは内出の小槌になってしまいますし,破産をして人生の再出発をしようという方は,慰謝料を抱えてのリスタートになってしまい,破産という制度趣旨に反することにもなります.

 お困りごとのある方は,相談の予約のためにご連絡ください.
 そうでなく,「慰謝料だけ」をお考えの方,別の先生をお探しください.

 なお,今朝,電話をくださったに方は,相手から,すでに元本の他に30万円の迷惑料をもらったということですが,さらに迷惑を被っているという理由で「お金になれば相談に行きます」とご相談されましたが,その際も,上記と同様に「無理です」とお答えしました.
 しかし,後々考えてみれば,更なる慰謝料がとれるかどうかよりも,すでに受領した迷惑料を理由に,恐喝罪で立件(逮捕・起訴)されないことを心配された方が良いかもしれないと思い至りました.
 電話では,このことをお伝えすることができませんでしたので,この場を借りて,お伝えいたします.

「○○に強い弁護士」?

 あまり本意ではないのですが,今年から,ネット上に広告を出し,顔写真も掲載するようになりました.広告会社と一緒にページを作成するのですが,その際に出されるリクエストなどに応えた結果があのようなページになっています.

 ところで,弁護士を探そうとして検索すると,「〇〇に強い弁護士」というサムネイルがこれでもかと言わんばかりに並びますが,これって,信用して良いのでしょうか?

 これまで,国選弁護人として被疑者に接見するため,警察署に行った際,被疑者から,「〇〇に強い弁護士に依頼するから結構です.」と言われたことが数回あります.しかし,どれも,直接の知り合いの弁護士ということではなく,ネットで検索したら出てきたため,そのように言っているようでした.

 しかし,「強い」という表記を文字通りのに捉えるのはどうかと思います.

 なぜなら,自分で自分のことを「強い」とアピールする時に,本当にそうなのかは基本的には疑ってかかるべきで,弁護士であっても同様だからです.
 例えば「年利120%確実」など投資詐欺の宣伝を見て「確実なのか!よし,1000万円預けよう」とはならないはずです.これと同じです.

 もっとも,弁護士の場合は,「強い」などという広告は評価でしかなく,本当に強いかどうかは程度問題でしかない場合が多くあります.
 そのため,このような「〇〇に強い」という広告も,虚をついて集客し,騙して費用を支払わせようとしているわけではなく,「〇〇の分野のご依頼でしたら,世間一般の弁護士並にはできます」という程度で理解するのが良いと思われます.

 あるいは,善意に解釈しようとすれば,「〇〇に強い」との広告は,その弁護士自身が力を入れている分野であるため,そうではない方よりも良い仕事をするだけの自信の表れの一つとも解釈することができるかもしれません.

 それでは,私の広告はどうでしょうか?

 サイトには,限られた分野についてですが,「注力分野」「強み」などとかかれておりますので,「他の弁護士の広告と一緒じゃないか」と言われればそのとおりです.申し開きはできません.冒頭の「本意ではない」というのは,顔写真を出したくないという以外に,そのような意味もあります.
 そのため,私のことを直接にはご存知でない方は,上と同じように,この分野については「良い仕事をするだけの自信の表れ」だろうとご理いただければ幸いです.

 ただ,事例については,上手くいった事例だけでなく,失敗したり苦労したものもあえて掲載しております.この点は,他の弁護士の広告とは違うはずです.
 自分のことを良く見せようとすれば普通はしないはずですが,そのようにした理由はなんでしょうか?
 大した理由ではありませんが,関心がある方は,直接お会いした際にでもお尋ねください.

子どもを映した動画を見る理由

 最近,身近な人が,動画サイトのどこの誰とも知らない子どもが食事をする様子を撮影した動画を見ながら,「可愛い」などといいながら,楽しそうに視聴していました.

 ところで,ずいぶん以前のことになるかと思いますが,他人の子どもや孫のホームビデオを見せられるのは迷惑だという考え方があったように思います.
 その子の親や祖父母であれば子供の成長やその過程を見て幸せを感じることはあるとしても,やはり,子どもといっても,他人のことですから,「大人」として「子ども」の健やかな成長を嬉しく思うことはあっても,それを超えてその様子を楽しむという感覚にはなれません.

 しかし,最近はその辺の感覚が以前とは変わったのか,それとも,全くの他人の子どもだから素直に可愛さを楽しめるのか,その辺の心境がよく理解できません.
 もちろん,自宅にお邪魔した際に,ホームビデオを一方的に見せられるという場合とは違い,数多くある動画の中から,自分で選ぶという過程が含まれるため,異なってくるのか.

 こんなことを書くと「感動のない人だ」とか「心が荒んでいる」とかいわれるかもしれませんが,いずれにしても,どのような心理的な力学が働いてのことか,ご存知の方は教えて欲しいなと思ったところです.