コストの安い仕組み

 新聞で,皇室典範改正とともに天皇制についての記事(社説)がありました.
 その筆者は,通常の法律は,それを制定する目的があり,そのための手段として立法されるものであるはずなのに,天皇制を維持することの目的というのが語られることなく,その制度維持を前提とした皇室典範の改正がされたという趣旨のことを書いていました.
 その中で,その筆者は,かつて役所の方々に天皇制の目的について尋ねたところ,とある方から

「コストの安い仕組み」

 という回答が返ってきたことがあったということです.
 どのような意味かというと,天皇をはじめとする皇族が,被災地の訪問などをすることで,一応,国民を落ち着かせることに役立ち,それにより,国を治めやすくなるということのようです.

 例えば,大地震が生じ,その甚大な被害はともかくとして,国や自治体による救助等が遅れ,救援物資等も不十分なままで,長引く被災生活に対し国民が不満を抱き,国の対応に苛立ちや怒りを覚えたような場合です.
 仮にそのような事態が生じ,国民の不満が高まり暴動等が生じてもおかしくない状況に至ったとしても,天皇・皇族が被災地を見舞うことで,被災者らの不満が和らぎ,暴動等が生じるリスクが低減されるということです.
 天皇・皇族に,その生活費等を国の予算から与えることで,そのような統治に資する効果が得られるのであれば,コスパに優れるという考え方のようです.

 このように考えると,天皇及び皇室という制度は,動物園又はサーカスであり,天皇及び皇族は,そこで飼育され,あるいは曲芸をする動物と同じような立場ないし位置付けになってしまいませんか?

 例えば,年始や天皇誕生日に行われる一般参賀という行事が行われます.天皇をはじめとする皇族が,ガラス越しに,集まった国民に対して手を振って応えるアレです.
 集まった国民が天皇に対して敬意を示すかのように手に持った国旗をパタパタと振り,天皇等が,それに応えるかのように,国民に対して手を振ります.
 この時,皇族の方々は,集まった国民よりもかなり高い位置から手を振りますので,(あまり良い表現が思いつかないのですが)一見すれば「殿上人」と「下々の民」という関係性をイメージしてしまいがちです.

 しかし,実際は,逆ですよね.

 男性の皇族と結婚された女性については,一応,自らの意思(と覚悟)で皇族となりますが,その他の多くの皇族は,自らの意思によらず,生まれながらにして皇族として生きることを余儀なくされます(女性の皇族については,結婚で皇族を離脱することができるようですが,「結婚」というミッションをクリアしないと離脱が認められないことには変わりありません.自分の意思一つで可能とはならないことに変わりありません.).

 そして,一般参賀などで集まった国民に対し,「なんで皇族に生まれたという理由だけでこんなことを」という思考を停止して,笑顔で手を振ってこれに応えなければなりません.
 さらには,男性の皇族と結婚されて皇族となった女性は,「男性」の子を出産するという大役を果たさなければなりません(今回の皇室典範の改正がそのことを顕著に示しています.).
 そうすると,失礼な言い方ではありますが,皇族というものは,動物園の動物が繁殖させられ,サーカスの動物が「曲芸」をさせられているのと同じ枠組み・位置付けが可能であると思えてなりません.
 つまり,生活費は与えられるが,「人」としての自由(人権)を制約され,国というシステムから与えられた役割を果たさなければならないということです.

 おそらく,政治家はそこまで考えていないと思います.
 右寄りの団体やそれに親和性のある国民層からの票を集めたいということしか頭にないのだろうと思います.
 さらに,これが役人であれば,上記のような,一応の理屈をつけて,問題を先送りする(自らの世代でこれを解決するようなことはしない.だって責任問題になるから)という発想にしか至らず,それ以上のことまでは考えないのだと思います.
 そして,多くの国民もそうだろうと思います.

 そのため,私がこのようなことを書けば,多くの方は,天皇や皇族に対する侮辱だとか,失敬だとか,これがSNSであれば炎上するだけでなく,場合によっては脅迫されたとしてもおかしくないかもしれません(「動物園」「サーカス」だけが切り取られてしまうかもしれません.).
 確かに,生まれながらにして自由を奪われながらも,その役割を果たそうという天皇や皇族の姿に対して敬意を払うべきだという考え方は成り立つとは思います.
 しかし,私は天皇や皇族自身を蔑もうという気は,一切ありません.
 批判されるべきは,天皇制というシステムと,それを政治的(あるいは私的な目的:今回の皇室典範の改正がそうです)に利用しようとする政治家だと述べているものです.
 さらに,天皇や皇族は,国民から崇め奉ることを望んでいるとは思えません.
 むしろ,皇族という枠組みに基礎付けられた天皇制という政治(というより宗教)を,終わらせる方向に国民の意識や政治家の議論が進むことを望んでいるのではないでしょうか.

 最初の天皇から2600年続いたかどうか知りません.
 仮にそうだとしても,皇族に限らず,今を生きるすべての人間には祖先がいて,それを辿れば,同じだけの時間を遡ることはできるはずです.
 歴史的な価値はあるかもしれないとしても,政治的に特別に扱わなければならない絶対的な理由があるとはいえません.
 「皇統の伝統と歴史を前に謙虚でありたい?」
 生身の人間を前に謙虚でありたいのであれば,悪しき伝統は辞める方向で政治家は汗をかくべきではないでしょうか.
 「コストの安い仕組み」という理由で,これを続けることが許されることにはならないはずです.

政治家の狙い

 男尊女卑を体現したような皇室典範の改正とその議論の経過,政治的表現を規制する国旗損壊罪の成立,さらには再審規定の改正と,よくもやってくれたよねという感じです.

 そんなことだと,反対に,国旗を損壊して抗議の意思を示したくなりませんか?

 これから,この国において,どこかで誰かが国旗を損壊したとして国旗損壊罪違反として検挙され,刑事訴訟手続の中で,国旗損壊罪の憲法適合性が判断されることになると思います.アメリカでは同様の法律がすでに違憲とされています.

 そこで,どこかの誰かに任せることなく,自分でやってみようかなとも考えましたが,仕事がら,逮捕されることの不利益についてはよく理解しています.
 そうすると,現実的にどうしたもんだろうかと,躊躇してしまいます.

 これがまさに政治家の狙いですよね.

 そこで,AIに頼んで,一見すると日本国旗のように見えながら,よく見ると日本国旗ではないものを作ってもらいました.
 日本国旗の代わりに,これを損壊して抗議の意思を表示してはどうかと考えたところですが,いかがでしょうか?

 AIが言うには,他にも色々と候補があったようですが,シンプルさを理由にこれを作ったという説明でした.
 これであれば,国旗損壊罪の国旗にはあたりません.
 現時点では犯罪は成立しません.

 しかし,この法律を作った方々は,どちらかというと,このような思想や政治的な意見を持ち,それを表示することに不快を感じることを理由に,国旗損壊罪の立法に至ったはずです.
 議員立法の提案者である維新の会の議員が答弁したように,「法案成立を契機に国民の自国への帰属意識が高まり,愛国心も醸成されていく」ことで,国民に対し,施政者のやることを盲目的に追従させようという魂胆があるはずです.

 そうなると,今のような政治情勢が続けば,そう遠くない将来においては,このようなパロディについても国旗損壊罪が成立するといって,取締りの対象となる日が来るかもしれません.
 政治的な意見の表明を取り締るのが目的なわけですから.
 その時は,この国が日本という独立した国家としての体制を維持していたとしても,近隣国に併合され,その国の日本自治区として統治される場合とあまり異ならないような気がします.

秘書と陳述書を国会へ

 高市(首相)さんが,他の候補者の中傷動画の制作を依頼したとかしなかったとかについて,秘書の陳述書を提出して答弁に代えたいという趣旨の発言をされてから,いまだに陳述書が国会に提出されていないようです.

 ところで,高市さんは,陳述書を出すことで
 「あらかじめ陳述を提出し、質疑者にも国民にも全体像を読んでいただくことで理解が深まると考えた」
 ということのようですが,この言い方からすると,自分に対する質疑の準備のために陳述書を提出するという意味のようです.

 陳述書の提出は当然として,秘書を,証人として国会に呼ばないのでしょうか?

 そもそも,陳述書というのは,民事裁判の場において,当事者や証人が一人称で語ったように事実等を記載した文書のことを言います.
 例えば,
 「私は,信号待ちのため,ブレーキペダルを踏んだまま停止線の前で停車していました.対面する信号が赤から青に変わったので,ブレーキペダルからそっと足を離そうとした時,後方からの強い衝撃を感じました.」
 といったことを記載したものです.
 そして,内容の真実性を保証する意味で,陳述者の署名押印がされます.
 なお,刑事事件では,警察が被疑者(容疑者)等から話を聞いて同様の一人称の文書を作成しますが,こちらは「供述調書」と呼ばれています.

 裁判では,陳述書も供述調書も,いずれについても証拠として扱われるものですが,基本的に,その内容を述べ,署名押印した人が,法廷で証言(供述)をすることが予定されています.
 理由は,陳述書や供述調書は,いくらでも作文ができるからです.
 実際,陳述書に,自分にとって不利なことを記載しませんよね.ですから,陳述書は,証拠として扱われますが,基本的にそれだけで信用してもらえることはありません.

 そうすると,陳述書を作成した人が,証人尋問を受けて法廷で供述するのであれば,そもそも,陳述書を作成する必要はないようにも思えます.

 確かに,極論すれば陳述書は証拠としては不要ですが,陳述書を作成して,その証人等が,どのようなことを法廷で供述するかをあらかじめ開示することで,尋問者(質問者)が,証人等に対してどのような質問をするか,あらかじめ準備することができるようになります.
 それにより,本当にその供述を信用して良いのかが判断されやすくなります.

 陳述書を作成することの本来の意味からすれば,高市さんの説明はズレています.

 高市さんの説明は,陳述書を提出して,議員に,自分に対する質問のための準備をしてもらうという意味のことが述べられています.おそらく,陳述書の本来的な使用目的を理解していないからです.

 高市さんへの質問のために秘書の陳述書を用意したとして,その中で「中傷動画の依頼のための打ち合わせをしました」と述べていたらどうなるでしょうか?
 おそらく,高市さんは,野党議員からその点について質問をされても,「秘書は嘘をついている」と答弁するはずです(もちろん,そんな陳述書が提出されるはずはありませんが.).
 そうなると,高市さんが陳述書の内容を認めない限り,国会の質疑は単なる水掛け論にしかなりません.秘書の陳述書の内容を高市さんに問いただしても意味はありません.秘書が嘘をついているのかいないのかは,秘書を呼んで問いたださない限り明らかにならないはずです.

 国会で「中傷動画の依頼のための打ち合わせはしたことはありません」という陳述書を作成した秘書に対して,様々な証拠を示しながら質問することで,その秘書の述べることが信用できるかが判断され,真実に迫ることが可能となるはずです.
 仮に陳述書と矛盾するようなことを述べるようであれば,嘘をついているか,嘘をついていないとしても,記憶は曖昧だということが明らかになるはずです.

 そのような訳で,高市さんが秘書の陳述書を国会に提出するということは,当然,秘書を証人として国会へ呼ぶことも,セットとして行われるべきです.

 国会を延長するなら,是非,秘書を呼びましょう.

娘を持つ父親として

 天皇が,何日か前に,皇室典範の改正案についてコメントをしたと記憶しています.
 その内容は,天皇が政治的行為をしてはならないということへ最大限配慮した上での,非常に抽象的な内容(表現)だとその時は理解しました.
 もちろん,ネット上には,「陛下にそんなことを言わせるなんて」と言ったコメントもあったように記憶していますが,その時の私の認識では,それを超えて,政治的な影響を与えるものではないので憲法上の問題としてはセーフだろうと,憲法を学んだ立場の人間として理解しました.

 しかし,その発言には,男尊女卑とも言える男系男子の皇位を優先する旧宮家からの養子案等を提案する政治家に対して,1人の父親としての抗議の意思が込められていたのではないかと,最近では理解するようになりました.

 まず,私ごとで恐縮ですが,娘2人の父親です.
 上の子は,すでに成人しましたが,小学校高学年か中学生の頃に,その子に対して,このようなことを言ったことがあります.
 「バカな男と付き合って辛い思いをしても,それは自業自得だ.
  でもな,『女のくせに』とか『女なんだから』と言って下に見るやつと付き合う
  ことは絶対に許さん」

 これまで,上の子から,誰と付き合っているとか報告を受けたことがあるわけではありませんので,この辺の事情は分かりませんが,自分の子どもが女性であるという偶然の出来事により,人としての可能性を否定され,不遇に扱われる理由はないはずです.

 自民党と日本維新の会,そして政府の提案する皇室典範の改正案は,端的にいえば,男系男子のみが天皇になる資格を与えられるべきだとするものであり,明らかに,男尊女卑を前提とするものです.
 この男系男子による皇位継承について歴史的な事実は「重い」とか言っていますが,女性の天皇が存在したことも過去にはあり,それは確固たる事実です.
 何が「重い」のでしょうか?
 このような政治の状況に対して違和感を覚えるの私だけではないはずですが,ただ,そのような感覚は,どこにでもいる国民の1人としての感覚にしか過ぎないはずです.

 しかし,これが現在の天皇であれば,話は別ですよね.

 だって,このような皇室典範の改正案は,娘を子に持つ現役の天皇からすれば,その唯一の子の人格を直接的に否定することに他ならないものだからです.

 私自身,天皇や皇族は,基本的には,天皇及び皇族という制度を,本音ではやめたいと思っていると想像していました.
 ところが,最近,新聞の下の方にある週刊誌の広告を見ていた際,現在の天皇が,子に対して,天皇としての教育をしていることを想起させる見出しがあり,やや意外に感じられました.
 しかし,この見出しがもし真実だとすれば,現役の天皇は,皇室という生まれながらに背負った宿命(自らの努力で変えられる運命ではありません)を理解した上で,(このように思っているかどうかは知りませんが)自分と同様に,それから逃れられないであろう自分の子に対して,「天皇」として生きることの意味を教え,その地位から逃れられない人生であっても,その人生を実りあるものとするために,父親として精一杯の教育を施しているのだろうと想像されるところです.

 そのような中で,国会議員の多数による「国民の総意」という擬制の名のもとで,天皇の子が,女性であるという一事をもって,天皇になったら結婚が困難になるとか,男子を出産することを期待されるとか,ご本人からすれば(本来的には)余計なことを政治家が触れ回っているのが昨今の状況です.
 私からすれば,皇族数の確保が政治家の仕事・役割の一つなら,皇族の結婚や出産という偶然の(少なくとも政治的ではない純粋な生の人間的な営みによる)出来事に左右されない天皇制を作ることが,政治家に与えられた本来的な役割だと思います.
 もちろん,旧宮家からの養子というのはそのような目的があるのかもしれませんが,男尊女卑(男系男子による皇位継承)を前提とする以上,アウトです.

 私は,幼稚園児の頃,とある園友とともに,
 「大きくなったら天皇になる」
 と言っていたことがありますが,まぁ,これが実現することはありません.そのため,私の子が,第三者(国民)から男子を出産することを望まれたり,私が男の子を養子に迎えることはありません.
 でも,同じ娘を持つ父親として,皇室典範の改正に対して,自らの立場を踏まえ,政治的なメッセージを纏うことのない言葉で意見を述べた天皇の心境は,おそらく,娘から紹介された彼氏が,「女のくせに」と平気で述べる場面を目撃するや否や,私が感じるであろうその彼を殴りたくなるほどの衝動に,劣ることはないものと察します.

 私自身,天皇制には消極的ですし,「陛下」と呼ぶ気もありません.
 しかし,現状の皇室典範改正案の内容に関し,同じ,娘を子に持つ父親として,現役の天皇に対して,最大限の共感をこの「ひとりごと」で表したいと思います.