結婚と原発回帰

 つい先日,ずいぶん前に相談を受けていた方から,相談希望の連絡がありました.
 その時のことを改めて相談したいということでしたので,その頃に送受信したメールを見返していたところ,私から,次のようなことをメールでお伝えしていました.(メールの原文そのままではなく,若干修正しました.)

・・・・以下メールの引用・・・・

 余計なことですが,「結婚」ということにこだわりがあるのであれば,そうされれば良いと思います.
 ただ,私の場合,職業柄,「結婚したいです」という方が相談に来ることはなく,「離婚したいです」という方しか相談にきません.

 つまり,結婚すると,簡単に離婚できないということです.

 離婚は,結婚の何倍もエネルギーを要します.しかし,当然と言えば当然ですが,「結婚」で頭がいっぱいな時に,離婚することなんか考えませんよね.
 でも,結婚した以上は,離婚の可能性も背負い込むことは間違いありません.
 そのようなことまで考えて,ご判断されるべきだと思っています.

 そのため,「結婚」という法律上の形式にこだわりがないのであれば,「事実婚」ということでも良いような気がします.

 本当に余計なことですが,一般市民とズレた弁護士の視点ではありますが,そのように思うところです.

・・・以上,メールの引用・・・・

 私は,知人などから結婚の連絡を受けると,上記のメールに記載したようなこと(この文面のままではありませんが)を,お伝えすることがあります.
 これを聞いてドン引きされた方いましたし,はっきりとヒンシュクを買ったこともあります.
 しかし,弁護士という職業柄なのかもしれませんし,私特有の価値観に由来するのかもしれませんが,心底そう思います.

 例えば,「結婚」に縛られてしまい,配偶者からの暴力等を受けても,「離婚」の「り」の字も頭に浮かばずに,辛い日々を過ごす方もいます.
 そうならないため,どのような状況になれば,自分が離婚を選択するかということを,結婚当初から考えておけば,離婚するかどうかの状況判断は,もう少し上手くできるはずです.

 また,離婚ではありませんが,娘婿を養子にしたところ,娘と娘婿が離婚してしまい,養子縁組の解消を求めても,遺産目当てで離縁してくれないという方もいました.ちょっと,早計な判断だったと思います.

 つまり,何か行動を起こす際には,先のことや,それが終わるときに必要となる後始末の場面まで想像して行動した方が良いということです.
 結婚以外にも,物を購入するときにはそれを処分する時のことまで考えるべきですし,法的な面で言えば,契約をするときは解約するときのことまで,入会するときは退会する時のことまで考えましょうということです.

 ところで,先日の新聞等で,原発回帰という言葉が紙面等を飾っていました.

 温暖化防止だけでなく,AIの普及に伴うエネルギーの確保など,そうすることの理由が載っていましたが,核廃棄物の処理については,ほぼ,触れられていなかったように思います.

 また,新聞の記事ではありませんが,数年前にとある著名人が,技術の進歩により,将来的に,原発が小さくなるということを得意げに述べていましたが,やはり,その時も核廃棄物の処理については触れられなかったままでした.

 この「原発回帰」という判断について,福島がどんな状態にあるのかを目の当たりにしながら,原発回帰のための積極的な理由(必要性)しか示さず,その場合における事故のリスクや廃棄物の処理について実効性のある方針等(許容性)が示されていないのは,「結婚」しか見えてない相談者の状態に似ているなと思いました.

 紙面には,電力会社の役員のコメントも載っていましたが,むしろ,そのような立場にある方であればあるほど,その先のことまで含め,十分な認識を示して欲しかったなと思います.
 原発を稼働すれば,核廃棄物を容易に処理できないということはわかっているはずなのに,原発に回帰することがどうして許容されるのか,そのことを示すことで,原発への理解を推進したいという発想はないのだろうかといつもながら思ったところでした.

 なお,個人的には,核融合の実現が急がれるべきだと思っています.

良い弁護士の見分け方②

【相談内容】
 刑事事件を依頼するにあたって,良い弁護士の見分け方を教えてください.

【回  答】
 今,ご依頼をしようとしている弁護士が,必要な能力を有しているかどうかの見分け方として,次の規則の各条文の意味と違いについて尋ね,納得・理解できる説明がされるのであれば,そうではない先生よりは,遥かに信頼して良いと思われます.

(条文)刑事訴訟規則199条の10,11,12

 以前,良い弁護士かどうかの見分ける方法として,「判例」の意味を理解しているかどうかということを挙げましたが,上記の刑事訴訟規則の条文は,刑事弁護をするにあたってとても重要です.

 「刑事弁護」などの検索ワードでネットを検索すれば,数多くの弁護士事務所のHPが上がってくると思いますが,そのほとんどは,上記条文を使う場面(法廷)よりもはるか手前の場面での依頼を狙ってのものだと思われます.
 つまり,犯罪行為に及んだこと自体は争わず,これを認めた上で,被害者との示談等を通じて,起訴猶予とすることを主たる目的とした事件を対象としたものばかりです.

 もちろん,上記のような捜査段階での刑事弁護の重要性を否定するつもりはありませんが,しかし,争いがある事件については,法廷に移ってからの弁護活動が遥かに重要となってきます.
 その場合において,上記各条文の意味やその違いを理解して使いこなせることは,十分な弁護活動を果たすために必要不可欠ともいえます.

 そのための準備を怠らず,上記各条文の意味を理解し使いこなせるようにしている弁護士であれば,それ以前の捜査弁護においても,十分な対応が期待できるものと思われます.

 刑事事件の場合,時間との戦いもありますので,最初にご相談に行った事務所でそのまま依頼をすることになり,上記のような質問をするだけの余裕はないかもしれません.
 しかし,万が一,目の前にいる弁護士に対して疑問を抱くようなことがあれば,これを試してみることは,悪い弁護士を引かないという意味でのリトマス試験紙として役に立つものと思われます.

私には分からない

 選択的夫婦別姓を反対する方の理由が私にはわからない.

 今朝の新聞で,選択的夫婦別姓に関するとある政治家の発言として「国のかたちに関わること」「社会の根幹に関わること」という表現がされていました.

 ここでいう「国」や「社会の根幹」ってなんなんでしょうね.

 おそらく「国のかたち」というのは,同じ記事内で引用されていた「家族一体の氏(姓)は残したい」という言葉に表される考えがそのことなのだと想像します.

 家族仲が良いこと自体を否定する気はありませんし,一般的にこれを否定することは難しいはずです.
 しかし,選択的夫婦別姓を制度化したところで,同じ姓を名乗ることを通じて「家族一体」という観念を大事にしたい方はそうすれば良いだけだし,そのようなパートナーを見つければ良いだけのことです.
 同姓を名乗りたくない人に対し,同姓とすることが正義だと押し付けうるだけの理由はないはずですし,夫婦別姓の選択肢を与えることを妨げる理由にはならないはずです.

 また,「社会の根幹」ということについては,「国のかたち」よりは幾分,国民の生活レベルでの問題としてこれを捉えようという意識は汲み取ることはできます.
 しかし,「婚姻関係にある=同姓」という推定が法律レベルで認められなくなくなるというだけであって,それ以上に何かが変わるわけではないはずです.
 (形式はどうであれ)戸籍制度だって残るでしょうし,相続等に関わる親族関係を辿ることができなくなるというものでもないはずです.
 そのような実務的なレベルの問題意識であれば,未だに新500円硬貨が使えない券売機が存在することの方が私にとっては支障のレベルは高いと思います.

 このことについて,別の誌面では,安楽死の議論の中で,選択的夫婦別姓の議論を取り上げて,いずれも自己決定の問題だと述べていました.
 つまり,安楽死を認めることは,誰の意思も強制することはなく,「死を選ぶ権利」を行使ししたい方にこれを可能にするだけであり,そうではない方に対して,なんらかの義務を強制するものではないということです.
 これと同じで,選択的夫婦別姓を認めることは,すべてのカップルが別姓になることを強制するものではなく,反対に,これを認めないことは,夫婦がどちらかの姓を選択することを強制すること,自己決定を認めないものだということです.

 さらにいえば,今の時代,給料についても,労働基準法は通貨払いを原則としながらも,同意があれば口座振込だけでなく,デジタル払いまで可能となりました.このことは,口座振替やデジタル払いが強制されるというものではなく,通過(現金)で受領したい方は,引き続き,そうできるというものです.

 ここまで述べても
 「いやいやいや,そうは言ってもね,給料と家族の姓とは違うからね・・」
 などと言って,選択的夫婦別姓に反対する方はいると思いますが,私は,別にあなたがパートナーに対して同姓であることを求めることを妨げるつもりはありません.
 自分の立場でいえば,これが法制化されたからといって,私自身,配偶者に対して別姓を強制するつもりもありません.配偶者が元の姓に戻したいと言えば,そうすれば良いと思いますし,同姓のままでいたいというのであればそれを妨げることもありません.

 だから,「国のかたち」「家族一体」などといった抽象的な理由を持ち出して,他人の自己決定を妨げ,この問題だけに関わらず,自身の理想とする国家観や家族観を押し付けないでほしい.

いずれにしても,これを反対する理由が,私にはわからない.

血液は作り出せない

 5年ぶりに献血に行きました。

 献血に限らず,注射や点滴をするときは,必ず,その刺すところを見ていないと気が済まないという性分ですが,決して,針を刺すことが好きなんわけではありません.そのため,目の前で,他人の腕に針が刺さるところからは,そのことに耐えきれず,必ず目を背けてしまいます.

 初めて献血をしたのが22歳(大学生)の頃で,献血のバスを見かけてフラッと入ったのが最初です.
 その当時,当たり前といえばそうですが,献血をしたことで「血液は人工で作り出せない」ということをはっきりと認識するに至りました.
 それ以降,献血をすると,血液の検査結果を教えてもらえることもあり,機会があれば献血を行うようになり,気が付けば,その日で41回目ということでした.

 ところで,医療現場における輸血と献血との関係は,日赤の存在は当然ですが,特定の誰かの好意(行為)によって成り立つというのではなく,不特定の少しずつの多数の好意により成り立つ関係にあるものとイメージしています.
 決して,国民の誰もが献血を義務付けられてこれを強いられているというわけではなく,また,特定の誰かが犠牲になっている(血液を搾取されるために生かされている)というものでもありません.
 そのような関係性が,私にとっては,なんとなく心地よく感じられることもあり,自然と献血を続けてきたのだと思います.

 その反対に,特定の個人の犠牲により,特定の組織や団体の存在が成り立ち,あるいは利益となるという関係性については,とても嫌悪感を感じてしまいます.

 そのため,最近のメディアで取り上げられ問題となっている,とあるテレビ局における女性社員による接待への同席と被害(搾取)についての報道に接すると,不快感を超えて,怒りを感じることさえ禁じ得ません.

 この件は,多数の好意による献血により,失われたかもしれないどこかの誰かの命が助かるというのではなく,被害者が犠牲を強いられたことにより,組織の中で,誰かが得をして,誰かの評価が上がったという関係性があるのだろうと思います.被害者の存在がとても痛ましく感じられてなりません.

 事態の解明と,関係者の処分,それに伴い,被害を受けた方の心身及び名誉の回復がなされることを切に祈念いたします.

教育無償化も大事だが・・・

 今国会は,少数与党ということで,野党からの要求が多様で,その中に,高校の教育費無償化というものがあります.

 個人的な意見としては,大学まで無償とすべきだと思いますが,先日の新聞で,子ども(小中高校生)の自殺者が527人と過去最多となったと報じられていたことの方が,問題性が大きいように感じます.

 高校の教育無償化を実現しようとする国の動きがある中で,高校に進学するよりも前に自らの命を絶つ子どもがいることに,複雑な心境にならざるを得ません.

 親としても大人としても出来の悪い私は,このことについて,自分の子どもが自ら死を選ばないようにどうすべきかということに置き換えて考えることしかできないのが現状で,自分からは見えない,社会の光の当たらない部分に対して,どうすべきかと考えながらも,なんの解決策も見出せません.

 子どもの自殺と直接の関係があるかどうかはわかりませんが,学校の給食に頼らざるを得ない家庭や子どもが存在することを聞くと,高校の教育費無償化もそうですが,小中学校の完全給食及び無償化の方が,急がれるような気がしてなりません.

 寒さの厳しい冬にお腹が空くと,余計に寒さが厳しいですよね.

 大人の勝手な発想ないし想像でしかないかもしれませんが,お腹が満たされれれば,死を選ばないだけのゆとりを少しは持てたりしないでしょうか.
 上記数字を前にすると,高校無償化の国会での議論に虚しさを覚えてしまいます.