猫がゴロゴロと喉を鳴らすときに伝わってくる振動と,バイクのアイドリング時に感じるエンジンからの鼓動って,どこか似てませんか?
私だけですかね.
そう思って検索したところ,各種SNSや動画やら,結構ありますね.
そう感じるのは私だけではなかったみたいですね.
平和で何よりです.
猫がゴロゴロと喉を鳴らすときに伝わってくる振動と,バイクのアイドリング時に感じるエンジンからの鼓動って,どこか似てませんか?
私だけですかね.
そう思って検索したところ,各種SNSや動画やら,結構ありますね.
そう感じるのは私だけではなかったみたいですね.
平和で何よりです.
先日,自宅で,子ども(2番目の子)に対し,
「最近ね,『結婚するんじゃなかった』って思うことがよくあるんだよね」
と話したところ,その子は
「うん,うん,」「わかる,わかる」
と頷いてくれました.
このようなことを言うと,「子どもの前で」とか思われるかもしれません.
しかし,注意して欲しいのは,「結婚するんじゃなかった」と言った意味は,決して,相手(配偶者・子どもの母親)を間違ったという意味ではありません.
「結婚」という制度を利用して,今の夫婦,親子及び家族関係を築くことを安易に選ぶべきではなかったという意味です.
法律の規定する「結婚(婚姻)」という制度を使わなくとも,今の配偶者とともに暮らし,子どもを設けて(授かって),親子として監護・養育することはできるはずです.
確かに,「結婚」というシステムを用いることで,配偶者控除などの税制や社会保障において優遇される側面はあるかもしれませんが,所詮,どのような法制度を採用するかの問題でしかありません.
また,「結婚」することにより,社会的な信用のようなものを他人から受けられる場面があることは否定しませんが,そうしなければ実現できないことって,それほどないはずですし,さらに,その場合に得られる社会的な信用といっても,それほど深い意味の伴うものでもないはずです.
そのようなことを考える中で,先日の新聞に「結婚って,基本的に子どもがすること」という言葉を見つけて,思わず唸ってしまいました.
私においても,結局のところ,思慮浅はかな「子ども」として,よく考えて「結婚」という制度を利用したわけではないということです.
だから,安易に,選ぶべきではなかったという意味です.
ところで,(選択的)夫婦別姓に反対する立場から家族の「一体性」という言葉を聞くことがあります.
しかし,家族に「一体性」があると,何か良いことがあるかというと,特にそういう具体的な効果が生じるわけではなく,実際にあるのかないのかわからない,単なる観念的なものに過ぎないと思います.むしろ,反対に,悪い意味で,「家族」という観念に縛られてしまうことの方が多いのではないかと思います.
そもそも,法律上,離婚することも認められていますし,結婚しなければ子を産み育てることができないわけでもありません.
シングルファザー,シングルマザー,あるいは事実婚を選んだ方,さらには離婚するに至った方は,家族の「一体性」を得ることのできない,あるいはそれを失った社会的に劣った地位にあるということになるんでしょうか.
さらに,親子においても,血縁があるのかないのか,仮にそれがあったとしてどれだけの効果が伴うかというと,観念的なものでしかないはずです.
生物学的にDNAの型が一致するといっても,目で見てそれを確かめることはできませんし,容貌が似ているかどうかも,多くの場合,その人の感性によらなければならないはずです.
むしろ,親子や家族であることは,親子や家族として過ごした時間と,その時間をどのように過ごしたかによって,その結びつきを強く感じたり,あるいは,反対に,逃れられない呪いのように感じることにもなるのであって,決して,「結婚」という制度を用いて夫婦及び親子で「同姓」を名乗ることによって生まれるものではないはずです.
とある裁判例(2009年12月21日東京高裁判決)では,養育した子が実子ではなかったことが判明した事案において「一郎(注:子)を一人の人間として育て上げたのであり,その過程では経済的費用の負担やその他親としての様々な悩みや苦労を抱えながらも,これらのいわば対価として,一郎が誕生し乳幼児期,児童期,少年から大人への入り口へと育っていく過程に子を愛しみ監護し養育する者として関わりながら,その成長の日々に金銭には代えられない無上の喜びや感動を一郎から与えられたことは否定できるものではあるまい」と述べられています.
他にも,「佐藤」姓の人口が日本では最も多いようですが,国民のうち,佐藤さんは,同じ「佐藤」姓の方に出会うと,ルーツがどこかで一緒だとかいって,親近感や一体感を感じることがあるんでしょうか?
私もそうですが,私の子どもも,このようなことに非常に敏感です.
そのため,結婚を選ぶとしても,オプションがある中で選べるようにすべきではないでしょうか.選択的夫婦別姓制度を採用しない理由はないように思います.
最近の報道によると,国旗(等)を毀損する行為を犯罪として処罰できるようにする動きがあるようですが,非常に違和感を覚えます.
これに賛同することは,抽象的には「踏み絵」をさせられ,「日本」という名の宗教を信仰することを約束するのと同じであると思っています.
そして,現実的には,政治的な表現の自由(政治に対する意見表明の自由)を手放し,施政者に盲目的に従う意思を示すことと同じことであると,私としては理解しています.
国旗とは,おそらく,「国旗及び国家に関する法」1条が「国旗は、日章旗とする。」と定義するいわゆる日の丸のことをいうものです.
確かに,「日本人として国旗を毀損してはならない」といわれれば,なんとなくは,国民として「そうね」ぐらいには思えなくはありません.
私であっても,この国で生まれ,各種の制度(安全保障,社会保障)に守られていることは理解できますし,平和に暮らせていることにも感謝します.
「国」に対する自己帰属感(≒アイデンティティー)を有する方は特にそう思うかもしれません.
しかし,政治家の裏金問題や社会的な格差など,手放しで容認できないことはたくさんあるはずで,国ないし政治に対し不満を抱く場合に,国旗を毀損するという行為によってこれを表現することを禁止しなければならない理由はないはずです.
この国に帰属することで何らかの苦痛を感じ不自由を余儀なくされる国民に対し,これを禁止するということは,まさに踏み絵を踏ませることと同じことではないでしょうか.
数年前に「保育園落ちた日本死ね」というプラカードを掲げてその時の政治や社会に抗議をした方がいたように記憶しています.
そのような抗議の意思を示し,その怒りを表現するために,国旗を毀損するという行為に及ぶことがあったとしても,その場合,むしろ,「国」というシステムの方が,その抗議の意思表示に対し「そこまで怒っているんですね」「早急に対応します」ぐらいの寛容さがあるべきではないでしょうか.
国旗の毀損を犯罪とすることは,そのような国ないし政治に対する表現の自由への規制にも確実につながるはずです.そして,このことは,国旗の毀損どころか,そのようなプラカードを掲げただけで,どこかの国と同じように,警察に逮捕され拘禁されてしまう,そんな日が日本にも訪れることにつながるものとも思えてなりません.
国旗の毀損行為を犯罪とすることについては,他にも言及すべきことは多々ありますが,私は反対です.
司法修習生の頃,実務修習として,1年間を大阪で過ごしました.
その時,街全体が,
「No.2でいいけど,東京の後追いはしない」
という感じを醸し出しているように感じたことがとても印象深く,大阪での生活を今でも懐かしく思い出します.
最近は,JR大阪駅や地下鉄梅田駅近辺が整備されてはいますが,東京ほど洗練されていない感じや,東京ほど広くはないながらも,でも,ギュッと濃い文化が集まった街という感じがとても好きで,1日も長く大阪生活が続けばと思うほど,居心地が良く感じました.
例えば,大阪駅前ビルには第1から第4まであったりとか,一番の主要駅なのにJR「梅田駅」はないとか,梅田の地下鉄に通じる階段を降りていくといきなり立ち飲みの串カツ屋があったりとか(今は立ち退いているかもしれません),地上に出れば異常なほど長く続く商店街があったりとか,その反面,御堂筋沿いはオフィス街なのに建物の高さが制限されたりとか,美容室で女性の髪の盛り方が派手だったりとか,甲子園は大阪にはないはずなのにタイガースのテーマ曲が至る所から聞こえてくることなどなど.
また,電車の駅の呼び方についても,東京も「ニコタマ」(二子玉川)と略すことはありますが,大阪で「タニヨン」(谷町4丁目)とか聞くと,ちょっとズレた(?)センスの良さというか独特さを感じられます.
それなのに,大阪が「副首都」やるんですか?
災害とか,有事において東京が機能しなくなる場合に備えるのは必要だと思いますが,それって,副首都があるから大丈夫という状況ではすでにないように思います.
また,一部の省庁を移転するとかいうのは,以前から,政治家が地方のためにリップサービスで言ったことがあったような気がしますが,霞が関の勤務経験がちょっとだけある立場からすれば,官僚は誰1人望まないはずです.
国会答弁等で,省庁間での調整が必要なときに,物理的な距離があるのはオンラインを駆使するとしても,歓迎されないと思います.
しかも,国会議事堂は東京にしかないんですから,国会の同意案件とかあれば,東京でやるしかありませんよね.
副首都構想の狙いとして,東京の一極集中を是正するという狙いもあるようですが,「副首都」というラベルを貼っただけで何とかなるようには思えません.
まして,人口がこれから減ることを考えれば,狭い国土と資源の乏しいこの国が,世界の中で存在感を示すためには,抜き出た存在の東京があってのことのようにも思えます.
なお,福岡市もこれに手をあげようとしているようで,それを理由に福岡を副首都に推したいというわけではありませんが,大阪に,そのような肩書きをつけることについては,なんか,ちょっと違うような気がします.
さらにいえば,政治において,今,急いでやるべきことなんでしょうか?
いずれにしても,福岡で当たり前のように串カツが食べられるようになりましたが,大阪はずっと,そのままでいて欲しいです.
別のところでも書いたかもしれませんが,司法修習の時に同期が述べた話です.
「交通事故をゼロにする方法について答えなさい」という問題について,何と答えるかということです.
その同期は,同期の中でも非常に賢かった方ですが,「定義を変えれば良い」と答えました.
どういうことかというと「交通事故」というと,「車と車」あるいは「車と歩行者」との間で生じたの事故をイメージしますが,これを「飛行機と船舶との間で生じた衝突事故」と定義すれば,先ほどイメージした「車と車」あるいは「車と歩行者」との間の事故は「交通事故」には含まれないことになってしまいます.
その結果,交通事故はゼロになるということです.
ところで,高市さんは,総理大臣となって以降,初めての大相撲の優勝者に対し,自ら土俵に上がることなく,代理人により,総理大臣杯を渡したようです.
大相撲の世界では,土俵に女性を挙げることを禁止するという伝統があるようで,私としては,「古くさい」としか思いませんが,まぁ,国ではなく,一民間団体である,財団法人日本相撲協会のやることなのでそれ以上のことは申し上げる立場にないともいえそうです.
しかし,同協会は,その定款の中で,相撲を「国技」として定めているようで,勝手にそのように名乗るだけなら良いのかもしれませんが,これに対し,内閣は,歴代の優勝力士に対し,総理大臣が土俵に上がり総理大臣杯を手渡してきたという事実があります.
このことからすれば,国も,相撲について,同協会が行った「国技」という位置付けを,追認したも同然だといえます.
そうだとすれば,「国民」の定義から「女性」を除くか,相撲を「国技」ではなく単なる一競技にするかしなければ,同じ「国」という文字の意味とその用いられ方に矛盾が生じてしまいます.
そのため,現在において,土俵に上がることのできない「女性」は「国民」の定義から外れてしまうのでしょうか?
それとも,相撲が「国技」との肩書きを返上する予定があるのでしょうか?
おそらく,同協会もそのようなことは考えておらず,国民には,生物学的な意味での男性も女性も含まれるが,その歴史的経緯というだけの理由から,「国技」を行う土俵には,男性しかあげてはならないというだけの考えしかないと思いますし,国(主に現政権)も,「伝統」などという以上に考えていないのだと思います.(ちなみに,女人禁制の理由は,女性に生理があることから,古来から存在した,血に対する「穢れ」との意識がそうさせているのだと思います.).
しかし,そのような考えは,私の思う「古くさい考え」が同協会の価値観の全部を占めていることに由来するとしか考えられませんし,それ自体を変えることに何も障害はないように思います.
そのため,高市さんは,堂々と土俵に上がり,総理大臣杯を渡せば良かったのにと思われ,正直,残念です.
今の時代,時間とお金さえあれば誰もが地球の裏側に行くことができ,「人類」全体で見れば,月にだって到達しています.男性に限らず女性であっても宇宙飛行士として宇宙に行く時代です.
さらには,一民間人も,宇宙旅行行くようになりましたし,無人探査機ですはありますが,人類の技術は火星にも辿り着き,「人類」としての可能性を広げ続けてきたはずです.
しかしながら,いまだに,単に「女性」という理由で立ち入ってはならない場所が「日本」の国内に存在することを,そして,「日本」という「国」がそれを認めてしまったということの意味を考える必要があると思います.
当然,性差があることを理由に区別される場合があることは理解していますが,それが許容されるだけの理由が,「土俵」の上にあるとは到底思えません.
人が生まれてくるときに,あらかじめ,社会の現実についてレクチャーを受けた上で,どの時代のどの国のどの地方のどの両親のもとに,そして性別,身体的特徴,知的能力,性格等を自ら選んで生まれてくることができるのであれば,私もこのことで,ここまでいうことはありません.
自ら女性に生まれることを選び,それによる社会での困難に直面したとしても,その責任を女性に課すだけの理由があるとも言えますが,実際はそうではないですよね.
自分がそうあること(男性であるか女性であるか,どの国に生まれたかなど)について責任がない以上,それを理由に差別的な扱いがされることについては,私が女性でなくとも,その問題性を感じざるを得ません.
大学生として一人暮らしを始める頃に聞いた,「お米さえ炊けばなんとかなるよ」といった親の言葉は,それ以降の私の人生においてかなりの効果を発揮しました. 最近はかなり食が細くなり,白米をお腹いっぱい食べることもできなくなりましたが,それでも,米を主食とする食生活の基本的な部分に変わりはありません.
ところで,石破さんが総理の頃に米の増産が検討され,私としては,真っ当な判断だと歓迎したところです.
しかし,その後総理となった高市さんはこれを白紙撤回し,その代わり,お米券を配るという政策が実行されることになったようです(あれ?石破さんが参院選で公約に掲げた現金給付は辞めたのでは?).
米価の高騰による国民の負担軽減のためには給付(お米券の配布)で対応し,価格そのものの変動は市場競争に任せておけば良いという発想が政府にはあるようです.
しかし,この考え方については,「保守」を自称する高市さんとして,その「保守」の意味するところは,「日本の文化」を大事にするということであっても,「日本の稲作」は,その対象にならないのか?という疑問が湧きます.
やや話が飛躍するように思われるかもしれませんが,お米券の配布の意味するところは,高市さんにとって,神,天皇(さらには家父長)といったまさに「権力」ともいうべきものだけが,保ち守られるべき日本の文化であるとの価値観に基づき採用されたものではないかということです.
そもそも,米は,モンスーンアジアを中心に,温暖湿潤な気候のもとでなければ栽培することができないもので,日本以外にも東南アジアの多くの地域で栽培されています.これに対し,ヨーロッパを見れば,冷涼で乾燥した土地が広がり,そのため小麦やライ麦などの穀物が主食とされているのは,稲作に適していないからです。
さらに,アジアにおいて世界の人口の多くが集中するのは,米を主食とすることにより人工を維持し得ることと無関係とはいえないはずです.
実際,米が約5合あれば,成人男性の1日に必要な接種カロリーが賄えるといわれています(もちろん,栄養価としては問題がありますが,生命を維持するという観点からは,私の親の言った「米さえ炊けばなんとかなる」が当てはまります.).
そのため,日本における稲作文化は,地理的にも歴史的にも重要な意味を有するだけでなく,この国の発展が,これにより支えられてきたといっても過言ではないはずです.実際,皇室の行事における稲の位置付けや,各地で行われる神事におけるそれは,まさにそのことを表しているはずです.
そうであれば,日本において米を主食とすることは,単なる地理的な要因によるというだけのものでなく,その歴史的な意味でも,この国の成長・発展とは切り離せない「日本の文化」の中核的なものとして位置付けられるべきものといえるはずです.
そして,そうだとすれば,国民の主食たる米の安定供給を維持し,国民が安心してその恩恵を享受できるだけの体制を守るということは,それはまさに,「保守」たる政治家が守り保つべきと考える「日本の文化」を守ることに他ならないのではないでしょうか?
確かに,米作農家の所得が米価に影響されることからすれば,やはり米の市場販売価値が高値で維持された方が農家にとって都合が良いのはその通りです(私としては,農林水産業を営みながら,子を育てて大学まで卒業させられるだけの所得が得られるべきだと思っています.).
しかし,米については,国民の「主食」であり,いわば,国家安全保障の基礎ともいうべきものです.市場原理に任せることで,それへのアクセス(購入)について,国民の間で偏り・格差等が生じて良いものではないはずですし,小麦等がこれに代替し,皇室行事や神事においてだけ米が用いられ続ければ良いというものではないはずです.
高市さんの他の言動と合わせて考えても,お米券の配布は,全体主義的な国家観のもとで,「権力」からほど遠いところにいる多くの国民は政治により守られるべき対象ではなく,「国家」のために切り捨てられても構わないという価値観につながっているように思えてなりません.
そのうち,「米がなければパンや麺を食べれば良い」といって,さらなるアメリカからの大量の小麦の輸入を約束しそうな気がするのは,私だけでしょうか.
安易な発想かもしれませんが,稲作文化を守るために,米の増産と農家への所得補償と合わせて,医療における国民皆保険制度・診療報酬制度のような,米価を安定させる制度が求められるべきだと思います.
国家安全保障という意味でも有意ではないでしょうか.
タイ人の12歳の女性が人身取引の被害に遭い,マッサージ店で働かされたというニュースが最近あったと記憶しています.
犯罪自体が秘密裏に行われるものであることからすれば,被害者が見つかって保護されたことは良かったと思います.
ただ,このニュースを見て,ほとんどの方が「人身取引」という記載から誘拐,略取,人身売買といったイメージを持つだろうと思いますが,逮捕された被疑事実は,労働基準法56条違反だということにあまり気づいていないのではないかと思います.
労働基準法には,強制労働の禁止(5条)という規定もあれば,未成年者を許可なく働かせてはいけないという規定もあります(56条)。
そのため,労働基準監督署が,この事件で同法56条違反を理由に逮捕することは可能といえば可能ですし,むしろそうだろうとも思ったりもしますが,実際はそうではなく,警察(警視庁)が捜査して逮捕に至っています.
警察も,刑法の略取,誘拐,人身売買の罪(224条〜)で捜査して逮捕するなどすれば,労働基準法56条違反を理由に逮捕する必要はないのですが,そのためには,営利目的や,それが売買契約によるのかなど,被害者の保護を急ぐ必要がありながら,その立証が難しいという使い勝手の悪さがあります.
そのようなこともあり,未成年者を許可なく使用したという労働基準法違反が使い勝手が良いということから,警察としては,この規定を用いて逮捕に至ったのだと思われます.
過去,労働基準監督官をしていた私としては,当時もそうでしたが,このような記事を見ると,ちょっと,モヤモヤしてしまいます.
昨日,黒い子猫を保護しました.
改めて数えたところ,我が家で保護した猫として,17匹目がこの子でした(全て我が家で飼っているわけではありません.).
ただ,保護して驚いたのが,耳がカットされていたことです.
耳の先がカットされるのは,去勢または避妊されたことがわかるようにするためですが,その子は,避妊手術に適した月齢には至っていないように思えるほど,まだあまりにも小さく,表情もまだまだ子猫そのものです.
そして,何より人懐っこい(お母さんを探すような鳴き方をして,抱っこすると腕の中にうずくまって丸くなろうとします.)ことです.避妊するまでは,どこかの人の家で飼われていて,その後捨てられたんじゃないかと疑わざるを得ないほどです.
ミルクをあげなければならないほどの子猫ではなく,避妊も済んでいることは大変助かりますが,これから,里親が見つかるまで我が家で預かりますが,騒がしい日々が続き,先住猫にとっては穏やかではいられない日が続くことは間違いないですね.
関心のある方は,ご連絡ください.
お引き取りの申出をいただけることは大変ありがたいですが,その場合,猫の飼育をするのに適した環境にあることは確認させていただきます.
高市さんが総理大臣となり,連日の外交の状況を新聞で読む限りは,無難にこなしているんだろうという印象を持っていました.
以前,「女性総理」ではなく「総理」と認識されるようになってほしいということを,つまり,高市さんではなく,それ以外の方の認識がそのようになって欲しいということを述べました.
そのため,高市さん本人においては,外交の場面でも,男性か女性かということが問題とされることなく,日本を代表するものとして,毅然とした態度をとって欲しいと思っていたところです.
しかし,とある記事で,トランプ大統領と米軍基地に同行した高市さんの様子を見て,「愕然とした」との批評を目にしました.
普段,テレビや動画(一定のものを除く。)を見ない生活(活字を読むことを中心とした生活)を送っているため,「?」となり,その記事の言わんとすることがただならぬように思えたため,ネットでその映像を探してみました.
確かに,「愕然とした」というのはよく理解できました.
トランプ大統領から背中に手を当てられ,(キャピキャピと)にこやかに拳を上に突き上げながらぴょんぴょんと飛び跳ね,そして,肩を抱き寄せられるという,ちょっと,ため息しか出ないですね.
トランプ大統領から,安倍さんもそんなふうにされていましたっけ?
今のアメリカと日本は,要するにそのような関係なんでしょうか?
例えが悪いですが,以前,何らかの方の著書だったと思いますが,
「愛人に金庫番をさせると良い」
という記載(聞いたことかもしれません)があったように記憶しています.
要するに,男は裏切るが「愛人」は裏切らないということです.
それに加え,昨日,高市さんは,国会において,安保法制に関する質問に対して,台湾への武力行使があった場合には,他の国と一緒に攻撃をともに行うことも可能とする「存立危機事態」になりうるという答弁を行ったようで,本当に,どうしたもんだろうかと言葉を失いました.
そのような例えが,その映像から映る2人の姿に重なってしまい,なんともいえない暗雲とした気持ちになってしまいました.
アメリカに,お金だけでなく,安易に,日本の平和すらも売り渡してしまいそうで,なんともモヤモヤがとれません.
つい先日まで,外国籍の被疑者の弁護人でした.
要するに,「犯罪を行ったと疑われて逮捕・勾留された外国人」のために,国選弁護人として活動していたということです(最寄りの警察署ではなかったので,通うのが,結構大変でした.細かい話をする時は通訳も必要で,手間がかかります.).
ここで,
「犯罪を行ったと疑われて逮捕・勾留された外国人」
と聞くと,どのようなイメージが思い浮かぶでしょうか?
先の参議院選挙で,外国人に対する生活保護費の支給等を問題として主張した政党が一定の支持を集めました.
また,とある政党の党首選では,奈良公園の鹿を蹴り上げる外国人がいる,通訳人が見つからず起訴できない外国人がいるなどということが,事実かどうかが明らかにされないまま述べられていました.
事実かどうかは別に,島国である日本において,このようなことを言われれば,外国人に対して悪いイメージしか湧かないだろうと思います.まして,犯罪の疑いも加われば尚のことだと思います.「生活を保護する必要ない」っていいたくなる気持ちも理解できなくもないです.
しかし,私が弁護活動を行った外国人被疑者は,10年以上日本で暮らし,日本の企業で働き,税金や社会保険料を納め,住宅を購入し,そのためのローンを組んで滞納することなくそれを支払い,子どもは日本人も通う(おそらく公立)の小学校に通い,子どもの所属するミニバスケットボールクラブのLINEグループに両親が登録してその活動に参加し,現在,永住権の申請をしていたという方でした.
そして,その被疑者は,差し入て欲しいものとして,着替え以外に,家族の写真を希望しました.
そんな被疑者は,不注意により犯罪の疑いはかけられてしまいましたが(捜査機関ではなく私の意見です),正直,
「(私よりも,断然)日本人っぽいよね」
と思ったところです.
警察署での面会を終えて帰ろうとする頃には,「先生,次はいつ来てくれます」という,日本人の被疑者と同じことを言います.職場の上司とも電話で話をしましたが,「真面目だ」という評価しか聞こえてきませんでした.
間違っても,奈良公園の鹿を蹴り上げたりするようには見えません.
なお,私の場合,制限速度違反以外の法律違反はしないように心がけていますが(?),参加するグループLINEも数えるほどしかありませんし,他の参加者と日常的にコミュニケーションをとっているわけでもありませんし,子どもの学校での保護者としての活動も特段していませんし,社会的活動も十分とはいえませんし,納税額もたかが知れています.住宅ローンを組んで自宅を購入することで地域の経済にも貢献しているともいえません.
特定の方々が想定する,模範的な国民像からは相当外れているはずです.
だからといって,私から国籍を剥奪し,国外に追放するのは勘弁してほしいところですが,このような外国人が存在することを,日本人もそうですし,外国人もよく知るべきだと思ったところです.
外国人に対するイメージが変わるはずです.
そして,これから人口減少が進む中で,外国人による労働力の補充等は避けることができないはずです.
外国人に対し,日本国内の法律を守らせるために,国外退去事由を並べてそれを強調するよりも,日本で勤勉に働き,公租公課を収め,ルール等を守ることができれば,何かあった時でも,生活保護により一時的に生活が保障され,あるいは,病気となっても,公平に医療にアクセスできることなどを強調することのほうが重要ではないかと思います.
日本の社会保障制度のもとで,日本で住宅ローンを組み,社会の中で子を育て,永住することも期待できるということが強調されれば,あえて違法な行為に及ぶようなことはしないはずです.
そのような面が,外国人に周知されるべきではないでしょうか(もちろん,日本人に対してもです.).
アジアから日本へ来る外国人とどう関わり何をどう規制するか,高市総理が,ASEAN重視の外交姿勢を示したことは,上記のような考えに沿うのではないでしょうか.
現政権における右寄りな考え方が,少しでも和らぐことを期待したいと思います.
今月5日で開業14周年を迎えることができました.
これまで関わってくださった方,ありがとうございました.
これからも関わってくださるであろう方々,どうぞよろしくお願いします.
自民党の総裁選の結果,高市さんが総裁となりました.
その結果,野党がまとまらなさそうな状況下では,おそらく,高市さんが,国会で首相に指名されることになると言われています.
個人的には,リベラルな林(官房長官)さんがならないかなと期待していましたが,これで確実に右寄りな政治が続くことになると思います.
ただ,自民党と公明党だけで法案等を可決できないという点では,過去の安倍元総理の頃とは違いますので,どの程度,右寄りの政権運営ができるかは実際に蓋を開けないとわからないと思います.
ただ,この国で,女性が初めて総理大臣に就任する日が来るということは素直に歓迎したいと思います.
そして,「女性総理」ではなく,男性であっても女性であっても(あるいはトランス等でも)その性別が取り上げられることなく,「総理」として認識されることが当たり前になる日が来ることを期待したいです.