イランと自主交渉の時では?

 アメリカでの大統領への訪問で,高市さんは,憲法9条の制約で,法律に基づき行えることとそうでないことがある旨を説明されたとの報道に接しました.

 大統領に対する高市さんの最初の発言には驚かされましたが,まあ,立場もあることですから大変だったんだろうというのは理解できます.

 ところで,予算を年度内に成立させようとかなり無理な日程をしいていたところ,暫定予算の編成を行うことになったようです.

 それならいっそ,日程も確保できたということで,日本として,主体的に,イランとの間で,この戦争を終わらせるために対話を始めてみてはどうでしょうか.
 安倍さんは,イランとも独自に外交をしていたようですし,高市さんもそれにならってやってみてはどうだろうかと思います.

 イランへの攻撃に関するアメリカの要請を断るためにも憲法9条が機能したことですし,平和憲法を有するという日本特有の立場をアピールするには絶好の機会ではないでしょうか.

 外交オンチで,見当違いなことを言っているのかもしれませんが,武器を売って外貨を稼ぐよりも,石油価格の安定につながれば,国民の好感度も高まるように思います.

イランへの攻撃についての評価を

 国会での予算審議が大変なことになっています.
 従来の審議時間よりも大幅に審議時間が減らされています.

 これをよしとするかどうかと言えば,良いわけはないですが,ただ,議院内閣制のもとで政党による政治をこの国が許容している以上,選挙結果を反映した,予定された国会審議だともいえます.要するに,儀式です.

 そのため,国会をあのように運営することを,私自身良しとする気はありませんが,ただ,そうであっても,イランへの攻撃について,日本として一定のコメントを出すべきではないでしょうか.

 イランの核開発に対してそれを非難するのは悪いとは言わない.
 でも,アメリカの行為に対して,何も言及しないのは,さすがに国民の意識に照らしても,外交上適切な態度とは言えないんじゃないんでしょうか.

 イタリアのメローニ首相は,アメリカ(トランプ)寄りの立場をとってきた方ですが,アメリカの行為,特に,イランの小学校に誤爆したことに対し,「責任が速やかに明らかにされることを求める」とのコメントを出しています.
 その責任を直接的に求めるものではないため,アメリカに配慮した表現ではありますが,実質的に,その責任を問う意思を明らかにしたように思います.

 日本とアメリカとの関係があるとしても,与党の議席数によって,その態度を曖昧にして良いものではないはずです.「法的評価は差し控え」るという答弁・態度はこれ以上維持すべきではない状況だと思います.
  

公共の福祉と公共の利益(公益)

 統一教会の解散命令の東京高裁決定が新聞で報じられた際,その新聞では,「公共の利益が損なわれた」という引用をしていたため,私の頭の中で「?」が浮かんできました.
 その理由は,宗教法人法は,法人の解散について,「公共の福祉を害する」と明らかに認められる場合に命ずることができるとしていながら,裁判所が「公共の利益」と述べたと報じられたことに違和感があったからです.
 なお,他の媒体をあたったところ,東京高裁はやはり,「公共の利益」ではなく「公共の福祉」という条文の文言そのものを用いていたようです.新聞の引用に誤りがあったのだと思います.

 そうだとしても,公共の福祉と公共の利益(公益)とは何が違うのでしょうか?

 公共の福祉は,人権と人権がぶつかり合うときに,それらの利益状況を調整して制限するための根拠として理解されています.憲法の条文に規定があります.

 例えば,過去の犯罪歴を公表する自由(表現の自由)と,過去の犯罪歴を公表されることにより名誉が毀損されない自由(人格権)がぶつかり合うとき,どちらが制約されるか(公表されることを甘んじて受け入れるべきか)を検討し,その結果,公共の福祉を理由に,一方(双方)が制限されるということです.

 これに対し,公益は,公共の福祉と同じような効力を含むとも言われていますが,抽象的に社会全体にとって有益かどうかという観点で,他者の人権の制限を正当化する根拠とされるものと理解できます.
 上記の例でいえば,犯罪の被害者とならないため,あるいはそのような人が公職に就くことは国民のためにならないという理由から,過去の犯罪歴を明らかにすることは,公共の利益に叶うのか,叶わないのか,叶うのであれば公表されることも許される(公表されることを甘んじて受け入れるべき)という結論になりそうです.

 他にも,原発を稼働することと,それにより,住民がその場所に住めなくなるということを考えた場合,どちらの人権が制約されることとなるでしょうか.
 つまり,電力会社が原発を稼働して事業を行うという経済的自由と,それにより,故郷などの好きな場所に住む自由(居住の自由)を主張する場合,どちらが制約されるかということです.この場合,人権制約の根拠として,公共の福祉と公益とでは,異なる結果になるものと思われます.
 公共の福祉であれば,経済的自由と居住の自由のいずれが制約されるべきか,その権利・自由の内容に個別具体的な事情を踏まえて等価的な権利であることを前提としていずれを制約すべきかという検討がなされるはずです.
 これに対し,公益を理由とする場合,おそらく,社会全体に電力を供給するということで得られる利益が量的に把握され,それにより,少数の国民の居住の自由が犠牲となることも許容されるという結果になりそうに思います.

 この例えであれば,転居させられることへの補償が問題となるだけではないのかと思われるかもしれませんが,次のような場合はどうでしょうか.

 とあるアーティストが歌っていましたが,「たくさんの命と一個の命,どっちが大事か?」ということについてです.
 公共の福祉であれば,どちらも大事であるし,少数であることを理由に制限を受けることを許容することはないはずですが,公益を理由とすれば,少数であることも理由として,おそらく数でその優越を決してしまうことにつながるのだろうと思われます.そのような理解が可能だということです.
 1人が犠牲になることで,その他の大多数の命が助かるということを理由に,その1人の人の命を奪うことが正当化されるのでしょうか?
 確かに,刑法の緊急避難が成立して犯罪にならないという意味では正当化される場合はありますが,これを国家がやってしまって良いかというのがここでの問題です.
 自分がもし「一個」の方だとするとどう考えるでしょうか.
 そしてその場合に,「公共の福祉」と「公共の利益」のいずれについて,憲法の条文に存在すべきと考えるでしょうか.

 長々と書きましたが,「公共の福祉」と「公共の利益」というそれほど表現に違いがあるように思われないことでも,少数者の人権を保障するための機能という意味では大きく異なる可能性を有しています.
 言い換えれば,時の権力者がどう判断するのか,あるいは,声の大きい(多い)方が保護されるという社会を許容するのかという違いかと思います.

 新聞の報道について,違和感を持った理由が,少しでも伝われば幸いです.

普天間の返還はないのか?

 先日の新聞記事に,沖縄の米軍基地(普天間)について,その移設先となる辺野古に移転したとしても,普天間が返還されないのではという趣旨の記事がありました.
 以下,かなり憶測を含みますが,国・政府への疑念が禁じ得ません.

 政府としては,官房長官が「辺野古への移設完了後も、普天間飛行場が返還されないという状況は全く想定をしていない」とコメントしたようですが,アメリカの文書にそのような記載があるのが事実であれば,日米の現在の関係からは,そうになってしまうだろうと思わざるを得ません.
 さらにいえば,国民,特に沖縄県民は,国に騙され続けてきたのではないかとも思えてきます.「想定していない」との言葉遣いも,このような疑念を持たれることに対する言い訳として準備されたものとも思えてなりません.

 確か,2009年の民主党政権が誕生した際,それまで,同党は,普天間について,公約には明記してはいませんでしたが,その当時首相となった鳩山さんが,辺野古ではなく,最低でも(沖縄)県外と発言したことがありました.
 しかし,実際には,発言の通りにはならず,辺野古への移転が政権の方針とされたように記憶していますし,その責任をとり,鳩山さんは総理を辞任したはずです.

 正確に記憶しているわけではありませんが,1999年に辺野古移転の閣議決定があり,それ以降,政権交代を挟みながらも,一貫して辺野古への移転を前提として国の認識が示されてきたはずです.
 しかし,上記報道のとおりとなる可能性が高いのであれば,それは,もともと日本の政府もアメリカも普天間を移設する気はなく,沖縄における米軍の活動できる領域(反対にいえば,国民,特に沖縄県民の自由が制約される範囲)を増やすためだけに辺野古沖の開発工事が行われてきたのではないかと疑ってしまいます.
 仮にそうであれば,政府は,国民(沖縄県民)を二重に欺いてきたということではないのでしょうか.

 民主党が政権交代を果たしながら,そして,鳩山さんが,首相として「県外」との発言に及びながら,それが実現できず首相を辞任したということからすれば,そもそも,そのような予定が日米間でされていないまま辺野古への移設を仮装した工事が行われてきたということが事実であるように思います.
 そうではなく,実際に工事を開始してみて,滑走路の長さが足りないことが明らかとなったということであれば,県と国が辺野古沖での工事を巡ってあらい,県が勝てずに今に至ったことはなんだったのでしょうか.

 そのような国・政府の認識ないし態度を推察すると,彼女自身にそのような認識があったかどうかはわかりませんが,横須賀の米軍基地で,トランプさんの隣で拳を突き上げながらピョンピョン飛び跳ねる高市さんの姿から想定されるような日本の未来しかイメージできません.

政治家のいう「憲法改正」

 選挙が終わり,首班指名も終わり,正式に高市内閣が発足したと思ったら「憲法改正」と言い出しましたが,私以外の方からすると,どう感じるんでしょうか.

 以前,とある県議会議員の方から,その時の首相について「〇〇さんって,憲法のことをわかっていませんよね?」と尋ねられ,「そうですよ」と答えたところ,弁護士から賛同を得られたことにとても安堵されていました.
 その議員さんは,ご自分で憲法がなんたるものか,勉強をされたのだと思います.

 選挙が終わり,今後進められるであろう色々な政策が新聞の一面を飾ってくる中で,「これは本当にやるんだろうか」と思いながら見ていましたが,それら予算や立法と同列で「憲法改正」と出てくると,これに関しては,とても冷ややかに眺めてみてしまいます.

 とある政党は,かつて(今でもそうかもしれません)改憲ではなく「加憲」と言って,条項を追加しなければならないと主張して「環境権」なるものを提唱していましたが,それも法曹関係者,あるいは憲法に対する相応の理解がある方であれば,嘘くさい(もっと言えば「嘘」)と思わざるを得ないと思います.
 理由は,環境法とかを国会で作ればいいんです.国会議員が仕事すれば良いだけです.そのために憲法改正が必要とは言えません.

 また「自衛隊を憲法に明記する」と述べている国会議員についても,現時点で安保法制が成立した以上,憲法に自衛隊との記載がなくても,個別的自衛権だと強弁して紛争地に派遣することは事実上行えるだけの法制度が整備されています.
 今の日米の関係を見れば,アメリカの要請があれば間違いないく行うと思います.高市さんの存立危機事態発言はまさにそうですよね.ここでそのための憲法改正が必要だとなるのであれば,それは,安保法制は違憲だということを意味します.

 結局そうすると,突き詰めて考えれば,政治家の趣味で憲法を改正したいと言っているようにしか聞こえないんですよね.
 そして,趣味で改正された憲法には,憲法が本来有する機能(誰が少数派となっても保護されるということ)がおそらく損なわれてしまうはずです.
 憲法を改正した時の多数派が少数派に転落することがないという発想を前提にしています(少なくとも,私にはそう思えます)ので,自からが反対の立場になることがあるかもしれないという発想に欠けているとしか言えません.
 仮にそのような憲法の機能を知っていながらそのような改正を目論むのであれば,その発想は,どこかの国(最近バチバチの関係にあるあの国です)の考えに通じるものともいえるように思います.この場合「趣味」による改正どころか「悪意」といっても良いかもしれません.

 ただ,実質的な意味で憲法改正の必要性を主張している国会議員がいるとすれば,憲法9条2項の削除ぐらいかと思います.上記の自衛隊の憲法への明記について,実質的な効果を伴って行おうとすれば,これぐらいかなと考えています.
 私個人としては,天皇の規定を削除するべきだと思っていますが,少なくとも,私が生きている間に実現することはないでしょうね.

死票

 選挙結果に対する私の希望は,「どの政党も単独過半数に届かない」でしたが,今回の選挙(2026年2月8日投開票の衆議院議員選挙)では,単独の政党(自民党)に議席を与えすぎましたね.

 その結果,私の投じた1票は死票となりました.

 比例代表の結果においては一応の意味はあるんでしょうけれども,自民党が絶対多数を獲得したことに照らせば,あまり意味はなく,これについても死票になったと言っても過言ではないような気がします.

 今回の高市さんが総理として行った選挙だけでなく,小泉さん,安部さんが総理だったときで,自民党が大勝したと言われた時もそうですが,与党(自民党)は,総投票数の半分は取ってないということは忘れるべきではないはずです.
 政治家にとっても,国民(どこに投票した方であっても)にとってもです.

 総務省の発表では,今回の選挙の投票率は有権者全体の56.26%です.有権者の半数ちょっとが投票により支持政党等の意思を表示したということです.
 その上で,有効総投票数のうち,小選挙区で自民党が獲得したのは49.09%(約2771万票)で,それ以外に投票した方の数は過半数を超えています.

 その投票率と得票率を見てもわかるように,自民党が3分の2の議席を獲得したとしても,有権者の約4分の1(27.62%)しか同党を支持する意思を明らかにして投票したものではないということです.

 有権者のうち,4分の1が与党に,4分の1がそれ以外に,残りの2分の1は意思を明らかにすらしなかったという状況のもとで,これから国会で起こる出来事を想像すると,石破総理のもとで国会が熟議の場であった頃が改めて懐かしいです.

 衆議院の優越で参議院の役割は相対的に下がることは明らかではありますが,それでも次の参議院選挙を待ちたいと思います.
 (深い意味はありませんが)その時生きていれば,国会の実質的な役割を取り戻すために,僅か1票であっても,投票に行きたいと思います.

裏から言うとこういうことですよね

 今朝の新聞で,アメリカ大統領のトランプ氏がSNSに投稿した内容が記事として載っていました.
 投稿した内容は,明日投開票が予定される衆議院議員選挙での高市早苗首相への
 「完全かつ全面的な支持」
 だそうです.

 ところで,トランプ氏(及び大統領府)のこれまでの言動について快く思っているのは,アメリカ国民の一部と,ユーラシア大陸のとある国の首脳だけだと考えて間違いないと思っています.
 当然,日本国内で,今回の衆議院議員選挙の投票権を有する国民が,トランプ氏による国内の移民排除,国際機関からの脱退,高すぎる関税措置,イランに対する武力行使,グリーンランドの領有宣言さらにはベネズエラ大統領の拉致に至るまで,これをよしとすることはないと思います.

 そうだとすれば,彼が「完全かつ全面的な支持」を示したその対象ともいえる,高市総理ないし自民党及び維新の会は,日本人に対して,国民として選んじゃいけないことを裏から宣言したようなものではないでしょうかね.

 私としては,今回の衆議院議員選挙では,どこも過半数を取るべきでないとの意見を有しています.自民党に限ってのことではありません.
 与野党揃って,口を揃えて消費税廃止と社会保険料の負担軽減を叫びがら,財源については「経済成長」により税収増を図るとしか言わない.
 投資をしたところで,本当に経済成長するんですか?

 ずいぶん以前に,環境活動家を揶揄した著名人が,人類なんだから,技術革新で温暖化を含めた環境対策をすべきだとの趣旨のことを言っていましたが,本当に技術革新なんかできるんでしょうかね?
 光合成以外の方法で二酸化炭素を減らす技術はあるにはあるようですが,実用化には至っていませんし,仮にできたとしてもその頃までにどれだけの陸地や島が水に沈むんでしょうか.
 発言した著名人は,その頃にはすでに他界しているでしょうし,困るのは将来の人類です.無責任です.

 同じように,税金を減らせば,社会保険料の負担を減らせば,それは確実に公租公課の減収になります.しかし,投資したところで経済成長ができるかどうかは不確実です.言ってみればギャンブルです.
 「絶対安全」「儲かりますよ」などの宣伝文句の投資や仮想通貨大半が詐欺だというのはほぼ周知のことなはずです.それが選挙の公約ではそうならないということはあり得ません.そんなことを言う政治家に対して,「このお金で投資しておいて」と言ってお金を預けることはまずないはずです.
 財政及び社会保障が破綻して困るのは将来の国民です.やはり無責任です.

 こんな時期での解散を含め,あまりにも,政治家自身の現時点での保身しか考えていないことに嫌気がさします.

 そんなことを考えながら,本日,期日前投票に行ってきました.

有事に至らないための議論を

 地震や自然災害が起きた場合に備えて,各自で必要なグッズを準備し,避難計画をたて,避難所を確認し,避難所には食料等を備蓄するなどのことは,とても重要だと思います.

 いわゆる,有事に備えるってこういうことを指しますよね.

 でも,地震を防ぐことはできませんし,火災や土石流も,それらが発生しないような工夫はできても,自然は我々の想定の上をいき発生します.
 東電の建屋を押し流した東日本大地震の津波の高さを見れば,人類の余地なんて,楽観的な観測プラスα程度のものでしかないように思います.

 選挙をすることはまぁ良いとして(もう解散してしまいましたし.),「有事」という言葉が多く語られていますが,そうならないためにどのようにすべきかということはあまり語られていないように思います.
 弾薬工場の国有化も民間からの反発が大きく実現しそうにないように思いますが,天災と違って,人災については未然に防ぐことが可能なのですから,そのことを議論すべきではないでしょうか?

 アメリカによるベネズエラ大統領の「拉致」や,グリーンランドの領有を要求するなど,「へ?」となるようなことばかりが世界で起きていますが,それに対する日本の姿勢は,極めてアメリカ寄りというか,アメリカを非難せずに,「自由」「民主主義」「法の支配」といった価値観を共有する国々を増やしていくということを述べるにとどまっています.

 これって,アメリカから攻撃を受けるという「有事」を避けるための外交姿勢なのでしょうか?
 仮にそうだとすると,どれだけ有事に備えても,勝てないですよ.

 世界情勢が目まぐるしく変わる中で(といってもほんの数人の権力者に振り回されているだけのような気もしますが),国家安全保障についてもこれまで通りに行かないであろうという事は,素人である私にもなんとなく理解できます.
 そのために,抑止力として核を保有するという議論をしても良いと思いますし(その場合,私は反対します.),当然ながら,世界で唯一の被爆国という立場(この事実は重いはずです.)での対話による外交ということも,そのための手段として議論されるはずです.

 そこを飛び越えて,「有事」「有事」とばかり叫ぶことで防衛産業をうるわせて,政治家が政治献金で見返りを受ける.そんなことを国民は望んでいるのでしょうか.

 都合の良い目先の減税論ばかりに目を向けずに(ちなみに,消費税廃止等の公約については,間違いなく反故にされると私は思っています.),もう少し,将来のことを建設的に議論しようとする公約に目を向けて,投票先を選ぼうと思います.

国民は選挙をしたいのか?

 当たり前かもしれませんが,これまで,自ら「投票したい,選挙したい」と思ったことはありません.

 選挙が告示され,投票日になれば,投票券を持って投票所に足を運び,自分の意思を示すために投票はするけれど,国の決めた日に,決められたとおりに投票したことしかないということです(もちろん,それを棄権する自由があるのはその通りです.).
 自分の好きな日に,思い立ったように自分が投票したい政党に,あるいは政治家に投票するという行為に及んだことはありませんし,当然ながら,私が選挙の日程を決めたこともありません.

 政治に不満を持ったとしても,現在の任期中の政治家に対して,国民の声を聞いてほしい,考えを改めてほしいと思い願ったことしかなく,「あの政治家を変えたい」そのために「選挙したい」と思ったことはありません(そういう意味で,政治的な表現の自由への保障は重要です.).

 要するに,何が言いたいかというと,選挙をやるやらないは,政治家の都合です.

 今年の通常国会の冒頭で衆議院が解散される予定のようですが,政治家の都合以外に理由がないということです.
 世間は物価高に苦しんでいる中で,予算は成立していないし,お米券も(私には)届いていない.高市さんは,春にアメリカを訪問する約束をされたようですが,外交日程も絡んできますよね.
 自民党総裁に選出された時,「働いて働いて働いてまいります」といったのは,選挙管理委員会や選挙でしわ寄せを受ける事務方のことを指していたのでしょうか.

 世論調査の結果も,その回答した方々は,その時に選挙したいということで回答しているのではないはずです.
 無党派層という言葉がかなり一般的なものとして使われているように,次回の選挙までに,どの政治家に,どの政党に投票すべきか,政治活動や公約をじっくりと観察して評価すべき機会が国民には与えられて然るべきはずなのに,やっぱり,高市さんも,党利党略でそんなことするんですね.

 とある政治家が核の保有についての議論を行うべきだと述べたりしています.議論自体を否定することはありませんが,今回の選挙では,そのような世論を割るような議題を掲げるつもりがあるんでしょうか?
 それ以外に,選挙で決めてもらわなければならないような議題があるようには思えません.むしろ,選挙がすんでから,「信を得た」と強弁して後出しの議題を議論ないまま数で押し切ってきたのがこれまでの政治だったように思いますし,それを企んでいるんでしょうか?

 しかも,新聞で拝見した限りでは,公明との連立を解消し,維新との連立を組んだことについて国民の信を問うというのはどういう理由でしょうか?
 連立の相手である公明党が悪かったから,参議院も衆議院も過半数を割ったと言いたいのでしょうか?

 基本的には,自民党の政治と金の問題が原因ですよね.

 私は「自民党」ということで自民党を嫌うことや「共産党」ということで共産党を嫌うことはしないつもりでいますが,こういう政治家の都合で政治家が行動することを目の当たりにすると,政治そのものに嫌気がさしてしまいます.

 少なくとも,国民の間に,現時点において,選挙により政党を選ぼうと言う機運は乏しいと思います.
 今年の通常国会の冒頭で衆議院を解散してしまえば,どのような結果になっても歴史的に禍根を残すようにしか思えませんし,将来の国民による総括において,ひどい評価を受けざるを得ないと思います.

大阪府知事に対する違和感

 大阪府知事である,吉村さんの行動に違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
 大阪府知事である吉村さんが,総理のところに行って,国政について色々と打ち合わせをするなどしていることは自然なことなんでしょうか?
 大阪府民の後押しもあり,そうなっているのでしょうか?

 大阪万博で,主催者として当時の環境大臣である小泉さんをアテンドするのは良いとしても,大阪府知事として,国政の場に出ていくのは何でなのでしょうか.

 「大阪府のためにまず働くべき立場では?」と思えてなりません.

 確かに,吉村さんは日本維新の会の代表かもしれません.
 けれども,共同代表で国会議員の藤田さんがいますよね.国政に日本維新の会の意見を反映させるのであれば,藤田さんが行動すれば良いのではないでしょうか.
 衆議院議員の定数削減だとか,副首都構想だとか,そこに吉村さんが出ていく必要はあるんでしょうか?
 このことが,仮に大阪府を代表して国に陳情に行っているというのであれば,大阪府民が衆議院議員の削減を望んでいるということですか?

 もちろん,政治家であってもなくても,政治に対して意見持つのはかまわないと思いますので,府知事として国政に何らかの意見を持つのは良いとしても,今の立場は大阪府知事である以上は,府知事としての仕事が優先されるべきではないのでしょうか.

 「府知事としての仕事は全部こなしていますから」ということかもしれませんが,仮にそうだとしても,地方税を収めている大阪府民の目にどのように映っているんでしょうか.
 おそらくですが,公務員の頃の経験から推測すれば,府知事が東京に行って不在とする間,大阪府庁では,府知事の決裁が必要な文書を待って,府知事の帰りを待っている事務方の職員が大勢いるんだろうと想像します.
 そう考えると,私が大阪府民だったら,よく思わないと思います.

 現在は大阪府民ではありませんから,有権者として文句を言う立場ではありませんが,やはり,違和感を感じます.

自分の身に置き換えて考えること

 昨日は,成人の日でした.
 第一子が,昨年20歳となり,参加資格があったようですが,仕事のため,成人式には参加していないとのことでした.
 私も,自分の参加資格のあった成人式の日は,東京の焼き鳥屋でバイトをしていたため成人式には参加していませんが,18歳を成人(民法等)としながら,20歳で成人式というのは,いまだによくわかりません.

 それは良いとして,スーツ姿の方も多かったように思いますが,普段身につけることのない,日本の伝統ある羽織袴や着物姿の青年たちも同様に多かったと思いますが,これを見て

「全国的な民族衣装のコスプレ大会」

 と言う方はまずないと思います.
 仮に,海外の方がそのように言ったとすれば,この国の伝統や文化というものにさして深い思い入れのない私であっても,あまり良い気にはならないと思います.

 10年ほど前に,とある政治家が,ジュネーブで開かれた国連女性差別撤廃委員会の会合に参加し,同じように参加していたアイヌ民族の衣装を着た方,韓国のチマチョゴリを着た方をさして,SNS「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」とに投稿したことがありました.
 のちに,その政治家は,法務省(法務局)から人権侵犯と認定されたようですが,その認定の意味について,私自身,当事者ではありませんが,肌感覚で理解することができたように思います.

 成人式の様子を見ながら,ぼんやりとそんなことを考えたところです.
 自分の身に置き換えて考えるって大事ですね.

「微妙なズレ」

 プロフィール(オモテ)に「影響を受けた人」として松岡充氏を挙げています.
 何か狙ったわけではありませんが,意外に,男性の方(業者さんなど)から,このことを(好意的な)話題にされたことが数回あります.

 彼がボーカルを務めるバンド(SOPHIA)の歌に出会ったのはまもなく22歳になろうかという時で,福岡から東京に向かう飛行機の中でした.
 親族に不幸ごとがあり,東京から福岡に帰省し,お見舞い,通夜,葬儀への参加をこなし,それらを終えたのちに,頭にモヤがかかったような不安定な精神状態のまま飛行機に乗って,大学及び下宿先のある東京に戻るところでした.
 その時に,プラスチック製の聴診器のようなイヤホンを耳につけ,やることもなく機内で放送される音楽を聴いていた時に,ふっと耳に入ってきたのが彼らの曲でした.その時からその絶妙な世界観にハマってしまいました.

 その絶妙な世界観というのは,一言でいえば,絶妙な「ズレ」です.
 そのように感じるのは私だけでなく,とある新書(アーティストを研究して論評していたものだったと思います)でも触れていたのが,やはり,彼の「ズレ」が良いということでした.その本では,世の中に対して斜に構えたようなものとも評していたと記憶しています.

 実際,彼らの歌詞を見れば,例えば,「両耳にピアスだらけ でもベロには開けない 痛いから」(黒いブーツ)だったり,「危ない薬もケンカもしたことない」(ビューティフル)というような,ロックミュージシャンのイメージからはちょっと想像しえない,むしろ対極にあるような,でも「実際そうだよね」と思えるような言葉をよく見かけます.
 そのような歌詞を,ポップなメロディーに乗せて,サラッと歌うところにすごく惹かれたものでした(もちろん,それだけではありませんが.).

 ところで,私の感覚・感性も,多くの方からすれば,ちょっとズレたところがあり,とある飲み会の席で,車中泊に適した乗用車の話題になった際,私が,

「去年購入したエブリイは荷台がフラットになって寝心地がいいですよ.
 今年(2025年)の4月,私,救急搬送されたんですが,脳に異常がなかったため,1日の入院で自宅に返されて,その時も,めまいはひどかったんですが,エブリイの荷台で仰向けに大の字になって病院から自宅まで帰ることができました.
 救急車よりも快適でしたね」

と言って,Suzukiのエブリイの寝心地の良さを力説したところ,同席した同業者の先生は目を丸くして「先生,救急搬送されたんですか?」と驚かれ,それ以降,車中泊の話題は吹っ飛んでしまいました.

 私としては,脳に異常がなく,すでに耳鼻科でめまいの治療を受け,問題なく日常生活を送っていたため,救急車で搬送されたことの重要性はそれほど高くなかったのですが,確かに,考えてみれば,客観的には「いやいやそんなことより,先生,大丈夫なんですか?体大事にしてください」となるのが当然といえば当然ですね.

 私の場合,多分,こういうところ(話の中で力点を置く部分や視点を当てるべきところい)がちょっとズレていることがあるんだと思います.

 私の感覚・感性では,松岡充氏のような絶妙な世界観を築くまでには至ることはないと思いますし,また,そのことについて好意的な見方をしてもらえる場合ばかりではないと思いますが,職業的な立場・役割もありますし,今更,この歳になって感覚・感性に矯正が効くものでもありませんので,「絶妙」には至らなくとも「微妙」にズレた感覚・感性を研ぎ澄まして,少し斜め上を目指して歩いていければと思っています.

 最後までご覧くださりありがとうございました.
 今年も,どうぞよろしくお願いします.