経験

 弁護士として登録した当初,何よりも「経験」が欲しいと思いながらも,経験が浅いことを理由に仕事をいただけない,あるいは引き受けないことが許されないことは自明のことでした.
 そのため,経験も大事だが,手に入らないものを渇望するよりも,技術や能力を高めるべきだとの考えを第一のものとして,今に至っています.

 今週の火曜日4時50分に,我が家の一番古株のメス猫が息を引き取りました.
 その前の週の水曜日に動物病院の予約が取れ,検査を経て入院となり,今週の月曜日に退院し,それから12時間ほどが経過した後のことです.

 入院の際,動物病院の先生から,猫の状態についてはかなり危険で,検査で預かっている最中にも息を引き取るかもしれない(自宅で看取れないかもしれない)と説明を受けました.
 そして,検査の結果,基準値をはるかに超える検査結果を示されながら,糖尿病(による合併症を引き起こした状態)であると説明を受けました.

 そうは言っても,自宅に戻った所で軽快するとはとても思えず,迷わず入院しての治療を選択しました.そして,治療の邪魔にならない範囲で,入院中の猫に何度か面会にも行きました.
 月曜日には,入院の延長をお願いしようと考え,動物病院から要求された訳ではありませんが,前金を準備して面会に行ったところ,基準値からは外れているものの,最初の検査結果からすれば数値が下がりつつあるということでした.
 そして,猫のストレス軽減の必要もあるため,一旦は退院することになり,その際,金曜日に再度検査のために来院するように,あわせて説明がされました.

 しかし,おそらく先生はわかっていたんだと思います.

 このまま入院を継続したとしても,ほんのわずかな延命が期待できるかどうかでしかなく,入院したまま息を引き取るよりも,自宅に戻った方が良いということを.
 そして,金曜日に検査のために来院することもないであろうことを.

 さらには,そもそも,先週の水曜日に病院で最初に診てもらった時に,おそらくそう長くない(数日中)ということも.
 そして,費用を投じて入院・治療を選択したとしても回復することはなく,費用に見合った医療効果が得られないことも.

 けれど,それだけではなく,飼い主が,入院や治療という選択肢の提示を受け,それを選ぶことにより,動物が息を引き取った後に,「もっと早く気づいてあげれば」という後悔は残るとしても,「何もしてあげられなかった」という罪悪感がわずかであっても軽減されうることも.
 さらには,飼い主が入院を延長するという選択肢を選ぶ可能性があることも,そして,そうしない方が良いと理解(誤解)して退院するという提案を受け入れた方が,結果として自宅で看取ることができるであろうことも.

 おそらく先生はわかっていたんだと思います.

 先生は,初めてお会いした際,猫の状態を告げるにあたり,最初に「25年の経験からすれば」という前置きをして,私に対し,危険な状態にあると説明しました.
 その時,私の中で「経験」という言葉が用いられたことについて必要以上に頭の中に引っかかっていたのですが,猫の火葬も終え,通常の生活に戻らなければならない今になって,猫に対する治療も含めた我が家への対応の全てが,先生の「経験」によりもたらされたものであろうことを理解するに至っています.

 救えずに失われた命をいくつも経験し,飼い主からの心無い罵声などを浴びせられたことも多数あるんだろうと思います.
 我が家の猫を退院させる際に見せた数値の下がった検査結果については,さすがに嘘ではないと思いますが,感謝の気持ちもさることながら,同じ専門職の技術者として,大変勉強になりました.

他人の痛みは100年我慢できる?

 我が家の保護猫のうち,最も古株のメス猫が,おそらく,ここ数日中に死んでしまうだろうと思っています.
 餌を食べない,水も飲まない,水を飲ませても吐いてしまう,トイレもできず横たわったまま漏らしてしまう.
 かろうじて,姿勢を変えたり寝返りをうったりはまだできますが,顔だけ見れば,すでに意識があるのかないのか分からないような表情で,腹がわずかに上下に動く様子を見て,生きていることを確認できている,そんな状況です.

 この子は,約10年前にやってきた猫で,この子がいなければ,それ以降の保護猫も我が家にはやってこなかったはずです.
 反対に,不動産屋(管理会社)に猫が見つかり,そのおかけで,アパートからは追い出され,今のペット可の住居に引っ越さなければならなくなりました.自業自得ではありますが,そのおかげで,今の住居に引っ越したおかげで,家族の生活環境が良くなったのは間違いありません.

 なのに,異変を察知してあげることができず,昨日の仕事を後回しにしてでも午前中のうちに病院に連れて行かなかったことが悔やまれて仕方ありません.

 仕事も家事も,何も手につきませんね.

 猫が横たわっている側で,この子が家に来た時からのことを思い出してはいちいち涙ぐんで,通じることも覚えていることもないのに猫に話かけるという,まあ,不毛というか建設的でない時間を過ごしております.
 ようやく予約が取れ,検査のために病院に預けては来たものの,迎えに行く時は,息をしていない可能性も覚悟しなければならないと言われています.

 他方で,朝刊の記事には,イスラエルがパレスチナに地上戦による侵攻を開始することが載っており,さらなる死者の増加が予想されるとのことでした.そうでないとしても,これまでの数多くの犠牲者のことを考えれば,人類の過ち(と言っていいと思います)により多くの人の命・人生が失われたことが容易に想像でき,その事実の意味を理解することができるはずです.

 けれど,私はプラカード持って,国会前でデモをすることもしてませんし,救援物資を持って,ガザ地区へ行こうともしていません.
 何より,そのような惨状を想像しても,涙は出てこないですよね.

 政治家に対して批判的な意見をここでは書いたりもしますが,結局自分も,想像力のなさと,想像したことが自分の心理と行動に及ぼす影響は,「自分が死ぬことはない」と思って戦争を行う政治家とあまり変わらないのかもしれません.

 もうゴロゴロと喉を鳴らしてくれることもありませんが,横たわる猫を撫でながら,「他人の痛みは100年我慢できる」という昔聞いた言葉を思い出し,これから続くであろう猫に対する喪失感とどう付き合って生きていこうかと思い悩ませています.

石破さんの退陣について

 率直に言って,残念に思います.

 少数与党で,野党と部分的に協力しながら法案や予算を通したことは評価されないのでしょうか?
 自民一強による国会運営を20代の頃から何年も見てきた私としては,国会のあり方として,画期的とも言える変化をもたらしたように感じ,新たな政治に期待したところでした.

 これまでの「石破おろし」は,あくまでも,自民党内部の権力争いでしかなく,参議院選挙で負けたとしても,世論調査で「辞任する必要ない」の割合が高いことは,国民が退陣を求ていないことを意味しませんか?
 参議院選挙の結果について「勝てないとの民意」が示されたといったとある首相経験者もいましたが,石破さんは,それについても耳を貸さずに,信念を貫いて欲しかったですね.

 今回の参議院選挙の結果を踏まえ,自民党(それ以外の野党も含めた多く)の政治家がむしろ争うべきは,ポピュリズム的な政治勢力の台頭に対してであって,決して,党内の権力闘争ではなかったといえませんでしょうか.

 石破さんの述べた退陣の理由として「党内に決定的な分断を生みかねないと考えたから」というのは,石破さんであっても,党内の力関係には抗えなかったという意味であるとともに,そこを優先しなければならないという日本の政治の現状を表すものとして,特に,残念に思えてなりません.

2025年大野城市長選挙について

 今月の7日(日曜日)に,大野城市長選挙の投開票日を控えています.

 大野城市で開業して約15年間,この街を見てきました.
 商工会に入り,青年部で活動しているときには,今回の選挙に出馬しない意向を表明した,現在の井本市長と何度もお話しする機会を得てきました.
 そういった経験を踏まえて,今回の市長選挙については,女性の候補者が当選してくれるといいなと思っています.

 その理由は,あくまでも私の個人的な印象に過ぎないのですが,大野城市という街というか,組織というものが,どちらかというと家父長的な雰囲気が根強く残っているように感じられるからです.
 そのため,市長というトップに女性が就任することで,少しでも,そのような傾向が変わってくれないかと期待しています.

 そのように感じる理由の大きな理由は,商工会の女性部の存在と,商工会の要職に,男性しか就任していないことです.
 特に,女性部というのは,青年部が女性の加入も認められているのに対して,女性だけで組織する部であるとともに,その設置理由は,組合員の配偶者(妻)の活躍する場を設けるというのがきっかけだったようです.
 そして,そのことは,時代が変わった今でも,優秀な女性会員は,女性部長をやればよく,それより上の,会長副会長になろうという考えを持ちにくくすることに役立っているように思えてなりません.

 また,大野城市役所の幹部によるパワハラ問題も,そのような家父長的な雰囲気が優越的な関係に繋がり,そのような職場環境のもとで生じたものではないかと疑わずにいられません.

 もちろん,私の付き合いのある方々に男性が多いというのがそのような印象を私に抱かせているのかもしれませんが,そのほかに,女性候補者を推す理由を挙げるとすれば,選挙のビラの内容も理由の一つです.

 とある男性候補者のビラには「1」(日本一,オンリーワン,このまちが一番)という数字がいくつも掲げられていますが,「1」に当たるかどうか,定量的に計れない事柄にそのような数字を掲げるのは,正直なところ違和感があります.

 また「『思いをひとつに』がんばります!」と書いてあることも,このかたを支持しなかった市民は,その「ひとつ」の輪の中に入らなかったことで何か不利益に扱われないかと不安になってしまいます.
 少し話はずれますが,「ひとつ」の輪が形成されたときに,その中に入れない人を,特別に扱う(ケアする)ことは,もし,その「ひとつ」の中にいる人が,何らかの理由で特別な扱いが必要になったとしても,ちゃんとケアしてもらえるという安心感に繋がり,そのコミュニティーに安心して所属できる理由になると聞いたことがあります.学校のクラスを思い浮かべればわかりやすいと思います.

 ビラの内容については,そのほかにもありますが,この辺にしておきます.

 非常に感覚的・印象的な理由ではありますが,今回の選挙については,そのように考えています.

「不祥事」って何を指すの?

 福岡県弁護士会の副会長が,業務停止1か月の懲戒処分となり,副会長を辞任したとの報道がされました.名前はよく目にする方ですが,直接の面識はありません.
 懲戒処分とされた理由は,どうやら,依頼者に,調停を申し立てていないにも関わらず,申し立てたと虚偽の報告をしたからのようです.
 また,この弁護士は,弁護士会の処分では懲戒とならなかったのに対し,懲戒を請求した方から不服申立てがされたのち,日弁連により業務停止処分と決定されたものでしたので,福岡県弁護士会の自浄能力にも疑問が向けられる事態となってしまいました.

 そのため,ニュースの中で,弁護士会会長が「不祥事があったことを重く受け止めている」と述べたようですが,これは,何を「不祥事」と捉えているのでしょうか?
 その弁護士のやったことを指してのことでしょうか,それとも,福岡県弁護士会が,日弁連で覆ってしまう処分をしたことを指してのことでしょうか?

 実は,私も懲戒の請求を受けたことがあります.この時は,何ら処分を受けませんでしたが,請求の理由については,確かに,私が軽率だった(裏付けを十分に取っておくべきだった)と反省をしたものです.
 それだけでなく,実は,10年以上前のことですが,まだ,弁護士として登録して2,3年という間もない頃に,とある弁護士に対する懲戒処分を請求したこともあります.

 その弁護士は,弁護士会の副会長を務めたことがあるだけでなく,福岡では,かなり有名で,名の知れた方でした(おそらくご存命ですが,過去形にしています.).
 請求の理由は,私がその弁護士の事務所に電話をした時に,いきなり「払うもんか」「法律と契約が全ての人種だろうが」「ロースクールはどこだ!」など怒鳴りつけられたからです.

 弁護士となってまだ2,3年しかない当時の私でも,その弁護士の名前は聞いたことがありました.
 私は,とある依頼者のために,代金の支払いを求めて請求書を送付したところ,その弁護士と,その事務所に所属する6,7名の弁護士の連名の通知書(回答書)が送られてきて,支払いに応じないというだけならまだしも,公正取引委員会やメディアに告発するぞといった内容の,まあ,脅しのようなことばかり書かれたものでした.
 そのため,「何これ?」「告発するならわざわざこちらに知らせずに,さっさとすればいいのに」「口だけか」とため息をつきながら,一応,どのような意図なのかを確認するために,その弁護士の事務所に電話をしました.

 その時は,その弁護士本人ではなく,その事務所に最近入った新入りの先生が電話には出るだろうと思っていたところ,予想に反してその弁護士本人が電話に出るやいなや,上記のとおり「払うもんか」と怒鳴りつけられたものでした.
 そのため,「こりゃあかん,素人と一緒だ,話ができない」と思いながら,私は,電話機の録音ボタンを押し,その弁護士に最初から話をさせるために,要件事実として請求原因と言える内容について,「ちょっと,まってください」「まず,契約しましたよね」といって,それに対して,支払いを拒むだけの理由を述べるように促しました.
 そうしたところ,その弁護士が「ロースクールはどこだ」と言い出したので,「いってません」と答えると,「?」となり,「大学は?」と尋ねてくるため「東工大です」と答えると,電話越しでしたが,間の空き方から,その弁護士の頭にさらに「?」が浮かんだのは容易に想像できました.
 そうしたところ,「旧試験の合格者か?」と尋ねられたので,「最後から2回目です」と私は答え,「出身大学が関係するんですか?」と尋ねたところ,「どんな人種かと思って」と言い出し,結局,「払うもんか」と電話を切られました.

 電話を切られた私は,すぐに,電話の録音内容を文字に書き起こし,その弁護士の事務所にファックスを送り,「先ほどの電話の内容です.ご確認ください」だったと思いますが,そのような書類を作成して送信しました.そしてすぐに,その一連の発言について「品位を失うべき非行」に当たると主張して,福岡県弁護士会に懲戒請求を行いました.

 ところが,すぐに懲戒処分って決まらないんですね.
 そのため,身内だから甘い処分で終わらせようとしているのではないだろうかと思い,その弁護士以外の,回答書に連名で記載されていた弁護士についても,全員に対して懲戒を請求しました.

 そうしたところ,その弁護士以外の弁護士は,ただ名前を連ねただけで,その件には何も関わっていないということで,何も処分をしないこととなりました(本音を言えば,記名して押印した以上は同じだけの責任を負うべきだと思いますが,そうはなりませんでした.).

 しかし,電話で怒鳴りつけた弁護士については,事実確認のため,弁護士会に出頭するよう命じられ,事情聴取を受けたとのことです(私も,それに先立って事情聴取を受けました.).
 その結果,どうも,懲戒にするかどうか議論があり,通常であればそれほど時間を要しないようですが,半年ほど協議が続き,最終的に,綱紀委員会20名の委員において,多数決がとられたとのことでした.
 そして,残念ながら,9対11で,懲戒にしないという意見が多数となり,結果として懲戒とならなかったとのことでした.
 悔しかったですね.

 ちょっと,長くなりましたが,要するに,弁護士会の内部においても,身内だからという理論がまかり通っているのではないか(表立ってそうではないとしても,影響はあるのではないか)というのは,すごく気になるということです.

 辞任した副会長は,弁護士会の活動にあまり関与していないこんな私でも,比較的,会の月報などで名前を目にすることのある方でしたので,もしかすると,身内だということで何らかの理由をつけて,懲戒にしないことにしたのではないかと疑ってしまわざるを得ません.

 まして,私がこれまでに目にした全国の懲戒処分では,この件のように,依頼者に「嘘」を告げた場合に懲戒処分とされた事例を多く目にしていましたので,福岡県弁護士会においても,懲戒処分とすることが期待されたものと言えます.

 そのため,冒頭述べました「不祥事」というのは,その懲戒処分となった弁護士が依頼者に嘘をついたという行為について使われたのか,それとも,福岡県弁護士会が身内に対して便宜を図ったという意味で使われたのか,どちらなんだろうと考えてしまいました.

 ちなみに,私も含め,弁護士にもミスはありますが,間違った時,あるいは,仕事が遅れるなどして迷惑をかけた時には「ごめんなさい」しかないはずです.
 そこで嘘をつくということは,依頼者に対する背信的行為に他なりませんし,刑事裁判教官の言葉を借りれば,「過失ではなく故意になる」ということです.
 今回の件は,その先生ご本人にとっても,福岡県弁護士会にとっても,「不祥事」としか言いようがないと思います.

 2023年のことのようですので,現会長にとっては,やや気の毒な出来事だと思えてなりませんが,身体検査が甘かったということですね.

「昭和」には戻らないが,,,

 私は,「昔は良かった」「あの頃は良かった」などと,昔を懐かしむことはあまりしない方で,また,そのような思考をしないように極力心がけています.

 「あの頃よりは」今の方が進歩しているべきだというのが基本的な考え方です.

 その裏返しではありませんが,ハラスメントの相談などがあると,「昭和だね」「昭和ですね」という比喩的な表現がされることがあります.
 確かにその通りだなと,その表現に妙に納得してしまいます.

 例えば,自分も大人になり,これまで出会ってきた「大人」の方々について,ある程度は許すことができるようになっても,やっぱり,「こいつは許せないな」という「大人」の存在をおもいだすことがあります.その理由を考えると,「昭和だね」という表現がなんとなくしっくりきます(いや,でもあの中学校の先生に限っては,「昭和だね」では片付けられない,人の皮を被った「悪意」かもしれません.).

 ただ,最近,「昭和」の頃の記憶を懐かしく感じることがあります.
 それは,夏の暑さをまだ楽しむだけの余裕があったよな,ということです(厳密には,高校生(平成8年頃まで)はそうだったように思います.).

 私が小学生だった頃,暑いと言いながらも扇風機の風を家族で共有することで日常生活にそれほどの支障はなく,冷たい飲料や,冷房の効いた商業施設等に出かけることがささやかな楽しみでした.
 冷房は,一応,自宅にもありましたが,来客があるような場合以外は,ほとんど使うことはなく,冷房自体が生活に必須のものではありませんでした.
 日中でも,プールや公園で遊ぶことは当たり前で,また,川遊びなどで自然の涼を求める楽しさもあったように思います.

 また,中学,高校(大学もほぼそうですね)の部活を行う体育館の暑さは地獄に感じていましたが,空調のない中で,熱中症で倒れることもなく,なんとか過ごせていたのが実際のところです.

 ところが,ここ数年の暑さは,「暑さ」を楽しむような余裕はなく,暑さを避けるために窓を閉め切り,熱された外気が部屋に入ってこないようにすらしなければならない生活は,ストレス以外の何ものでもありません.
 たった数十年の人生を生きただけで,これだけの気候の変化を感じてしまうということは,とある外国の大統領は否定しているようですが,やっぱり,温暖化は進んでいるんでしょうね.

 そのため,快適な生活を手放すことには抵抗がありますが,それでも,将来のことを考えると,世界規模で温暖化対策に取り組むことは避け難いと思いますし,私よりも将来を長く生きる若い世代の方々は,もっと,大人(特に,昭和を生きた人間)に対して,温暖化対策についての要求をすべきように思います.

 とある著名人は,環境活動家のことを揶揄しながら,人間らしく技術革新で解決すべきだと言っていましたが,政治家がよく使う,その場しのぎで国民を納得させようとする時と同じような無責任さを感じてしまいます.
 実際に技術革新が起こる保障はありませんし,その著名人自身は,地球が壊滅的になる前には人生を先に終えているであろうことを容易に想像してしまいます.

 「昭和」的な社会や人間関係が再び訪れるようなことはあってはならないと思いますが,異常なほどの暑さのおかげで,昔のことを少しだけ懐かしく思い出すとともに,次回の選挙では,温暖化対策を公約に掲げる政党に比例票は入れようかと思っています.

年いくつ?

 先日,とある飲食店で,明らかに20代前半と思しき方が,カラオケでとある曲,つまり,私が大学生だった頃に流行った歌を,さも,当たり前に知っているかのように流暢に歌っていました.
 そのため,思わず「年いくつ?」と聞いてしまいました.

 その方がいうには,幼稚園の送迎時に,親が車で流していたとかで,当たり前のように聞いて覚えたとのことでした.

 さて,今日は,終戦の日です.

 私の祖父母は,私の幼い頃,孫などに対し,戦時中,警察官として朝鮮に配属され,そこで住民の方々によくお世話になったという話をすることがありました.
 幼い頃の私は,戦争,警察官,朝鮮半島というワードが結び付かずそれが何を意味していたのかわかりませんでしたが,今となっては,戦時中,日本が朝鮮半島を統治していたことを意味することは理解できるようになりました.
 他にも食糧難であったことや,警察官であったことで兵として召集されなかったために生きて日本に戻って来れたことなど,今思えば色々と話を聞いたと思いますが,そのような経験に,当たり前のように触れることのできた世代だったのだと思います.

 新聞を含むいくつかの媒体を見ると,戦争の記憶が風化することに対する危機感が語られていて,そのことが,アメリカ,ロシア,中国などの振る舞いや各国の認識につながっているのは否定し難いように思われてなりません.

 原爆により第二次大戦が終わったと述べる,とある国の大統領のように,歴史上の事実を都合よく解釈することなく,戦争の記憶が普遍的で当たり前のものとして人類に共有されるように,これを伝えていくことがとても重要なんだろうと改めて思います.年がいくつであったとしても.

「〇〇に強い」は信用できる?

 あらかじめ申し上げますと,多くの方にとって批判的な内容となります.
 もしかすると,私のHPや私の出している広告もこれが当てはまるかもしれません.

 弁護士事務所のHPや広告を見ると

 「〇〇に強い」「当事務所が選ばれる理由」

 といった記載をよく見かけますが,これって信用できるんでしょうか?

 おそらく,多くの方は,「絶対に儲かります」「利益率120%」などの言葉で投資や仮想通貨等の購入に誘う広告を見ても,怪しいと思うはずです.

 そうそう上手い儲け話があるはずはないからというのがその理由ですが,それだけでなく,それほどの利益が出るのであれば,他人に勧めずに,勧誘者自らが行うはずです.それにも関わらず,それを勧めてくるというのは,何か裏があるはずであり,怪しいと考えるはずです.

 しかし,弁護士事務所のHPの「〇〇に強い」という記載を見ると,多くの方が信じてしまいがちではないかと思います.

 先日,とある方が,「弁護士を解任した」と言って,相談にお越しになりましたが,その際,解任した弁護士について「HPに『〇〇に強い』とあったから依頼したけど,全く成果が上がらない」ということを言っていました.
 それを聞いて,「上手くいくわけないよ,その事件では」などのことが口元まで出かかりました.

 そもそも,HPにある「〇〇に強い」とは,誰がそう言っているかというと,その弁護士ないし弁護士事務所が自分のことを言っているわけで,基本的に,信用して良いものではありません.
 もちろん,本当にその分野に精通しているかもしれませんが,「〇〇に強い」と宣伝することで,その弁護士が依頼を受けて利益を得るという関係にある以上,理由なく信用して良いことにはならないはずです.
 実際に相談に行き,具体的な説明をどれだけしてくれるか,経験を踏まえて相談内容をどれだけ具体的に検討してくれるのか,それを聞かない限りは,依頼をするに足るだけの「〇〇に強い」弁護士であるのかどうかは判断ができないはずです.

 このことは,裁判において,自分の利益になることを主張したとしても,証拠がなければ信用してもらえないことと同じです.
 例えば,残業代を請求する事件で,労働者が「休憩時間はありませんでした」といえば未払の残業代は増えるという関係にある以上,本当にそうだったのかは,直ちに信用してもらえるということにはなりません.
 実際の仕事の状況や,仕事の合間に昼食をとるときの様子を具体的に供述するなどして,ようやく信用してもらえるというのが裁判の実務です.

 反対に,自分に不利益となることを述べていれば,そのこと自体は基本的に信用して良いと考えられています.

 例えば,私の場合,離婚や相続は苦手です.基本,ご依頼を受けません.
 理由は,家族や親族間の憎しみの感情に挟まれることが嫌で,また,「どっちが悪い」という曖昧で,分析的に検討することができない事件の対応が苦手だからです.
 私がこのような説明をすれば,多くの方は,おそらく「ああ,この人は離婚と相続は苦手なんだ」と思うはずですが,そう考えることにそれほど問題はありません.
 なぜなら,そんなことを言えば,私が離婚や相続の仕事の依頼を受けることができないという不利益を被るからです.
 それにも関わらず,自分自身でそのように宣言するのであれば,本当なんだろうなと信用して良いと考えられことになるからです.

 そうすると,「当事務所が選ばれる理由」との記載もよく見かけますが,これについてはいかがでしょうか?
 上記までの説明を参考に考えてみてください.HP制作会社の常套句だと言うことはすぐに理解できるものと思います.

次の標的は誰か?

 明日は投票日ですね.
 期日前投票を済ませた方もいると思いますが,各党の掲げる公約のどのあたりを評価して投票先を決めているんでしょうか?
 SNSのおすすめ動画で誘導されている方もいるかもしれませんが,私個人としては,どの政党についても,その公約全てを否定するつもりはありませんし,反対に,その全てに賛成するつもりもありません.もちろん,「アンチ」ないし「シンパ」という感覚で,特定の政党を応援するものでもありません.

 ただ,とある政党の公約を見て思ったことを少しだけ.

 前回,「〇〇人」ファーストについて少し述べましたが,とある政党は,日本で就労する外国人について,語学能力を求めるものとしています.
 確かに,それは良いとしても,それと並んで

 「日本の文化的背景の理解と遵守」の厳格化

 ということを掲げています.
 そうすると,日本の文化やその背景について馴染めない日本人は,どういう扱いになるんでしょうか?

 20年以上前,私が公務員だった頃,公務員労働組合へのバッシングがひどく,選挙の際には標的とされ,あたかも,それらが世の中の諸悪の根源のような言われ方をされていたような記憶があります.
 社会的な不遇を感じている国民に向け,「公務員労組はかくも優遇されている」という主張がされていたように記憶しています.

 つまり,外国人に限らず,特定の方々(ここでは,公務員労組)を敵として仮想し,そして,絶対に自分たちが論戦で勝てるフィールド内で論陣を張り,有権者にアピールするということが,昔も今も行われているということです.

 事実関係が正確かどうかは自信が持てませんが,公務員労組へのバッシングを背景に行われた選挙の結果,社会保険庁の解体や,郵政民営化が次々に行われたという印象を有しています.
 そして,当時と比較すると,公務員の労組は確実に勢力が縮小しているはずです.

 そうすると,次の選挙では「誰」を標的にして選挙を戦うか,ということを考えるのは自然的な発想ですよね.

 今回の選挙では,外国人対策が一つの論点とされていて,事実と異なること(フェイクニュース)すら平然と主張されているようです.
 もし,この主張や公約が,何らかの形で結実してしまい,排外主義的な政策がとられた結果,多くの外国人が日本から排除された結果,次に誰が仮想敵として標的とされてしまうのかと考えると他人事ではないなと考えざるを得ません.

 法律を守ったとしても,異性愛者,夫婦別姓推進者,家族ではなく個人の尊重を基礎とする思想を有する者,天皇制に反対の者その他の「日本の文化的背景を遵守しない者」は,社会保障を受けることを否定されるなどして,この国から排除されてしまうのでしょうか.

「〇〇人」ファースト

 今年(2025年)の3月末に,第1子が,ワーキングホリデーで1年間滞在したニュージーランドから帰国しました.とても良い経験ができたようです.治安が良く,外国人向けの賃貸物件も比較的すぐに見つかり,路上で楽器を演奏していると,多くの現地の方から声をかけてもらえたりしたそうです.
 親として,ニュージランドという国だけでなく,経由地の国々も含め,子どもに対して,良く接してくれたことに,大変感謝しています.

 ところで,7月の参議院選挙で,国内における外国人に対する処遇が論点として挙げられているようです.具体的には,選挙公報には「日本人ファースト」,「外国人への生活保護を廃止」,「移民政策是正」などの文字が並んでいます.
 しかし,これが是とされるのであれば,海外で暮らす日本人が,その国で自国民よりも劣位なポジションに置かれての生活を余儀なくされることも是とされることを意味することにならないでしょうか.
 仮に海外で日本人が生活した時に,何らかのトラブルや生活苦に見舞われたとしても,海外で暮らすというリスクを選択したことによる「自己責任」として,その国からだけでなく,日本からも見放されるということが許されてしまわないでしょうか.

 司法試験の受験勉強をすると,必ず,日本で暮らす外国人に対し,参政権を付与して良いかどうかという問題に遭遇します.問題としては,憲法93条2項の「住民」に外国人を含めて良いかということの考察を求められることになります.
 これについては,国政については難しいとしても,地方における参政権(地方選挙での投票権)は,許容される余地があると考えられています.実際,海外では外国人「住民」にも地方選挙での選挙権を認める国があります.

 外交・防衛を中心とした政策の方針が問われる国政の場面と異なり,社会保障を含めて暮らしに関することが中心となる地方自治においては,「住民」といえるだけの基礎を有する程度にその地方で生活する方にとっては,それに関与するに十分といえるだけの年月を経て,地域への関わりを有しているはずです.
 そして,そのような外国人にとって,自身の居住する地域の生活環境や行政サービスがどのようになるのかは重大な関心事であり,それらの意思決定に関与するために,地方での政治参加を認めたところで,外交・防衛に関して他国を利することにはなりません.
 その上で,そのような,特定の地域に関わりを有する外国人が,何らかのトラブルや生活苦に見舞われたというだけの理由で,その地方・地域での生活を捨てて母国に帰るという選択をすることが容易でないことは想像がつくはずです.
 例えば,そのような外国人が,何らかの事情で職を失ったとしても,その方に子がいて地域の小中学校で教育を受けているとすれば,そこでの生活を維持するという選択を許容することも必要といえます.
 そしてこのことは,日本における外国人だけの問題ではなく,海外で暮らす日本人にとっても,同様に生じうる問題だということに想像が及ぶべきです.「日本人ファースト」という考え方は,「〇〇人ファースト」を理由に,海外で暮らす日本人が何らその国で保護を受けられないことを含意することになってしまわないでしょうか.

 まして,外国人への生活保護などが支給されることにより,その分のシワ寄せが日本人に及ぶという事実があるといえるかというと,容易には想定し難いはずです.
 今年6月27日の最高裁判決が生活保護費の引き下げが違法だという判断を示しましたが,日本人として,国内で十分な保護を受けられるかどうかは,厚生労働大臣の権限によるものです.外国人に対する保護費の支給があることを理由に,生活保護費の引き下げを余儀なくされたというものではありません.
 社会福祉に不十分な点があるのであれば,それを引き上げれば良いだけであって,あえて外国人に対する処遇やその廃止を持ち出すだけの必要性はありません.

 そうであれば,選挙の公約については,単に「住みやすく,働きやすく,子育てしやすい国」ということを掲げればよく,枕詞のように,「外国人」という言葉を掲げる必要はないはずです.

 以上のとおり,私の考えからすれば,「日本人ファースト」は,ナショナリズムを煽って集票するための役割しか果たさず,実際に目を向けるべき問題点から論点をずらし,さらに,在外国民が不当に扱われることを許容するかのようなメッセージを発するものでしかないと思います.

給付?減税?それでいいのか・・・

私のことですが,資産を管理・運用する能力に非常に乏しいと感じています.

「それなら弁護士できていないだろう」と思われるかもしれませんが,弁護士に必要な能力とは別問題で,管理能力に乏しいという自覚があります.
 先日,とある会社の社長と話をした際にそのような話題になりました.

 その社長は,いわゆる中小企業の社長で,従業員数の規模からして,細かいところは除きますが,ちょうど,社長自身が会社の全体(資産,契約,従業員等)の管理・運用をほぼ行っているような印象で,話をすると,数十年先を見据えた話題がところどころで出てきます.
 そのような姿を見るにつれ,「ちょっと私には無理ですね」という私の発言から始まったものです.

 もちろん,私にも,弁護士をしていくだけの一応の能力はあります(あるはずです)ので,「管理能力」が全くないわけではないと思います.
 しかし,弁護士の能力は,過去の出来事の清算が基本で,事件処理をするにあたり,それ自体が将来的に変動することはありません.

 それに対し,会社の人的・物的資産の管理・運用を行うことは,流動的な将来の状況を見据えながら行うことになるため,中長期的な視野のもとでそのための計画を立て,それを実行しなければなりません.
 見据えるべき対象は過去の出来事と異なり,範囲が特定されることはありませんし,外的な要因による影響にも常に気を払う必要があります.

 つまり,私にはそれができないということです.

 そのようなことを考えていたところ,ある作家さんが,日本人の資質について次のように指摘していました.

「抽象的な企画を立てることはできても,それを具体化して推進するための計画と管理運用のためのシステム設計ができない」(2025年7月3日朝日新聞 寄稿:高村薫).

 このことは,埼玉県で県道が陥没し,トラックの運転手の救出に3か月も要したことを切り口として語られたものでした.簡単に言えば,作るだけ作って,維持・管理・運用ができなかったことの具体例として挙げられたものでした.
 そして,これと同じことが,万博やマイナカード,行政のIT化など,税金をつぎ込みながら運用に失敗したものとして挙げていました.

 さて,話は変わって,参議院選挙です.
 各党の主張は,給付と減税の一色です.

 確かに,今を生き抜かなければ将来はありませんので,将来のことを考えすぎて国民が絶滅してしまっては大変です.
 私自身,物価高と弁護士の増加等に伴う収入減に苦しんでいますし,愛車(バイク)の排気量が大きくなったため,ガソリンの燃費が飛躍的に悪くなり,今までの倍以上のガソリン代を捻出する必要にも迫られていますので,給付や減税は歓迎するところではあります.

 しかし,それで本当にいいのだろうか?

 消費税をゼロにして良いのであれば,そもそも,3%から始まったものが10%まで上がることはなかったはずでしょうし,現金を給付をしたところで,それにより消費が喚起されるというものではないことは過去に学んだはずです.

 私自身,消費税自体には反対の立場ですが,それをゼロにするのであればそれに代わる財源・痛みを提示する必要があるでしょうし,現金給付が日々の生活を補助するという目的なのであれば,一過性のものでなく継続的な給付を行うための制度設計が必要じゃないでしょうか.

 国民が今を生きられることはとても大事なことではありますが,政治家においては,中長期的に,この国の制度を維持・管理・運用するための視点を有し,それを具体的に示し,そして実行することが必要であり期待されているのだと思っています.

 しかし,国会終盤での討論を含めた各党の主張を見るにつれ,「日本人の資質からすれば,それを期待するのはやはり,無理なんだろうか」と思いながらも,「いやいや,政治家を志そうという方々は,私のような管理・運用の能力に乏しい方々ばかりではないはずだ」と思いながら,ここ数日,各党の主張を眺めています.

犯罪は割に合わない

 最高裁判所のホームページに,最高裁及び下級裁判所の裁判例の速報が掲載されます.
 職業柄,毎朝,新たな裁判例が掲載されていなかチェックし,最高裁判決であれば基本的には全文,下級審判決であれば,関心の高い分野については基本的には全文を,そうでなければ概要が把握できる程度に読むようにしています.

 ただ,裁判所がどのような基準で裁判例を掲載するのか,そこにどのような意図があるのかがよくわからないというのが正直なところです.

 サイトをチェックするようにし始めた頃は,実務家ないし社会一般に対して,裁判実務における判断の大まかな方針などを示して誘導するために行っているものと思っていました.

 例えば,確か昨年だったと思いますが,酒気帯び運転で交通事故を起こし免職となった公務員が,その退職金の全額不支給とした処分を争った裁判がありましたが,最高裁は全額不支給とすることを容認しました.
 それまでは,私自身,公務員を含め,懲戒解雇・免職となった場合であっても,それを理由に退職金全額を不支給にすることはあまりないように考えていましたので,社会の価値観の変容が司法判断にも及んでいることを示すために,裁判例が掲載されたものと理解していました(もっとも,最高裁の判断ですので,当然のものとして掲載されたというのが事実だと思います).

 ただ,最近は,一概にそういうわけではないような印象を受けています.
 例えば,要旨,次のような刑事事件の判決が掲載されていました.

 この事件は,被告人(犯人)が警察官だったということが特徴的ではありますが,私の感覚からすると,それ以外に判断や量刑で特筆すべきことがあるようには思えません.

 ただ,改めて思ったことがあるとすれば,軽率な行為は慎むべきだということは当然のこととして,何よりも,

 「犯罪は割に合わない」

 ということを改めて思ったところです.

 これは,弁護修習の指導担当弁護士が言っていたことで,とても的を射ているため,私もよく使わせてもらっています.ただ,それと同時に,「はぁ」と胸の中でため息をついしまうのですが,この裁判例を読んだ時も,「執行猶予がついてよかったね」とは思いましたが,やはり,「割に合わない」と思い,「はぁ」とため息をついてしまいました.

【裁判例】
・主文
 懲役2年,執行猶予3年

・罪となるべき事実(窃盗,住居侵入)
 ① 女性用下着を窃取する目的でベランダ内に侵入し,同下着4点を窃取
 ② 同上
 ③ 正当な理由なくベランダに侵入

・量刑の理由
 財産的被害は合計約4500円と多額とまではいえないものの,特に2度にわたって自宅のベランダに侵入された被害者の住居の平穏を害した程度は大きい

 下着を盗まれた被害者らの嫌悪感,恐怖心等も軽視できない

 自身の性的要求を優先させた身勝手で軽率な経緯動機は強い非難に値する

 被告人が合計200万円を支払って被害者らとの間で示談が成立している

 被告人が本件各犯行を認めた上で被害者、家族らに謝罪の言葉を述べて反省の態度を示している

 被告人に前科前歴がない

 被告人の同居の父親が被告人の今後の支援監督を誓約している

 被告人が本件を受けて職を辞することになり,一定の社会的制裁を受けている